<SECTION> Dive :04 </SECTION>

PHANTOM HEAVEN 【Episode:1】

〔1〕


 夜、八時。

 色とりどりのネオンサインに溢れるジャンク地区を俺は歩いていた。MEL空間に必要な機材などが売られている店や、ゴーグル専門店が表通りに並んでおり、人通りもそれなりに多い。

 行き交う人々から遠ざかるように、寂れた裏通りへと向かう。怪しげなMEL空間での求人広告等が貼られたビルに挟まれた路地を抜け、古びた雑居ビルに到着する。

 三階建てのビルの一階の部屋の重い鉄製のドアを開けると、焚かれている甘い香のにおいが鼻を掠めた。

 『王龍城塞』とネオンサインが光る狭い店内には、ゴーグルを改造するための器機や、ケーブル、チップ等が乱雑に並んでいる。カウンターの上で丸くなっていた黒猫のマオがこちらに気付いて小さく鳴いた。


「やあ、美人さん。相変わらずゴージャスだな」


 艶やかな黒いビロードのような背中や顎下を撫でてやると、甘えるように鳴きながら俺の指を甘噛みしてくる。


「なあ、気が向いたら家に遊びに来いよ。飼い主より豪華な飯を食わせてやるから、な?」

「うちの看板娘を口説くな」


 店の奥から出てきた鶴のように痩せた老人に、俺は皮肉っぽく笑みを浮かべる。


「よう、ジイさん、まだ生きてやがったな」


 俺の言葉に、店主のドクター・ワンは仙人のように、白く伸びた眉を上げてニヤリとしてみせる。


「お前さんもアルコールに殺されていないようだな」

「まあな。残念ながら、まだ生きてるよ」


 ドクに促されてシノワズリな衝立で仕切られた奥の部屋に移動する。そこは乱雑とした店先とは違い、塵一つなく整頓されている。歯医者にあるような治療椅子ユニットが置かれ、その横のステンレスのワゴンにはピンセットや消毒液、メスなどが並んでいる。

 俺は治療椅子に座りながら、ラテックスの手袋をつけ始めたドクに告げる。


「最近、チップを埋め込んだ辺りが熱を帯びている」


 ドクは、左右のこめかみのチップが埋められたあたりを触診しながら、眉を顰める。


「大分、負荷が掛かっているようだ……相変わらずMEL中毒らしいな。頭痛は頻発しているだろう?」

「まあ……な。ダイバーの宿命みたいなもんだろ?」

「馬鹿を言うな。お前さんの場合、両方のこめかみにチップを埋め込んであるんだ。それだけでも脳……いや、ボディに負荷が掛かっているんだぞ」


 呆れたようにドクが言いつつ、超音波診断器のプローブをこめかみにあてる。モニターに映し出されたチップは、まだ膨張も破損もしていないようだった。


「チップの強度と容量を上げたい」

「青い鳥を超深海帯ヘイダルゾーンまで追いかけるつもりか」

「ああ、そうだ」

「死ぬぞ」


 そんなのは百も承知だ。肩を竦めて頷く俺に、ドクは諦めたように溜息をつく。


「俺が断ったら、お前さんのことだから、モグリの技師のところに行くんだろうな」

「あんたも立派にモグリの技師じゃないか」

「ああ、俺もモグリだが、腕は一流のモグリだ」


 小さく笑う俺に、ドクは薬品などが並んだ棚へと向かい、酒瓶とグラスを手に戻って来る。


「お、もしかして老酒ラオチュウか? いいね」

「酒は天然物に限る」

「まったくだな」


 カラメル色の酒が注がれたグラスを俺達は軽く触れさせる。甘みのある酒を一気に呷り、ドクも空になったグラスをワゴンに置いた。


「さて、麻酔も済んだことだし、始めるか。チップの事だが、前に埋めたチップを取り出して、非認可のいわゆる、闇チップに取り換えるしかないぞ」

「いや、既存のチップは残して、闇チップを追加してほしい」


 ドクが目を剥いてみせ、俺は「それしか方法がないんだ」と返す。


「まったく、困った坊やだ。伴侶を失ってからこっち、アルコールに浸かった死んだ目でMELを彷徨っていると思ったら、今度は人でも殺しそうなギラついた目でやって来やがる」

「今の方がマシだろ?」

「復讐や報復は誰も救わないぞ」

「彼女が死んで、一緒に俺も死んだようなもんだ。頼むよ、ドク」


 真っ直ぐドクを見つめると、ドクの老獪した……だが、不思議と澄んで研ぎ澄まされた瞳が微かに揺れる。それから、彼は二つのグラスにもう一杯、強い酒を注ぎ、一気に呷った。


「分かった。しかし、無駄死にはするなよ」

「ああ、勿論だ」


 俺は軽くグラスを上げ、一気に酒を飲み干した。

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