第6話

グンソウは話が長い。自分語りのようにこの世界のことを話した。


 彼は生存者を探している。七年の間に仲間たちを次々に失い、あの狐目もどこかではぐれてそれきりだそうだ。そしてわしを見つけた。


 この世界は文明が崩壊し、生存者も残り僅か。この世界では人は絶滅危惧種で、時代が流れた先で、古代人はこうして滅亡したのだと博物館に記されるのかもしれぬ。世界の終末を、なんの関わりもなく、ただ巻き込まれたわしは明けることのなくなった夜空を眺めて、そんなことを思った。感染者と人間の戦いが終わる頃、わしは元の世界へ還れるのじゃろう。終わりを見届けなければならぬのじゃろう。


 壁に括りつけた松明の灯りがチラチラと風に揺れる。

一晩経っても、二晩経っても状況は変わらなかった。時間ばかりが過ぎて行き、夜はいつまで経っても明けなかった。

 彼はわしを伴い、彼が乗り付けた装甲車でガソリンがなくなるまで地平線を、砂漠を、数日走り続けた。途中、かつては集落じゃったろう廃墟に燃料や食料など使えるものを探した。枯れ井戸の中に追手から逃れてそのまま死んだ複数の白骨と、骨の近くには貴重品があったが、腹は膨れないと彼は憤った。打ち立てられた巨大なタンクに残った僅かな燃料を足した。廃屋の壁の隙間に卵を産んだヤモリを捕まえて焚き火で焼いて食料にした。ここにも感染者はいなかった。

 グンソウの目は血走ってずっと姿の見えない感染者に怯えていたようじゃった。そうやって両手で数えられる程度の集落を訪ねたが、生存者もいなければ感染者もいなかった。


 ふと疑問に思った。わしがこの世界に落ちてから、わしは未だ一度も「感染者」と出会っていない。出会わぬまま、世界は終末を迎えようとしている。はたして、感染者は本当に存在するのじゃろうか?


 わしは人っ子一人いない砂丘で、サンディとゴートの横で体を投げ出して、夜空を見上げている。砂の上を蟲が這っているのが見てとれた。それを背後から忍び寄るトカゲがぱくりと捕まえて飲み込んでいるのを、視界の端で見ていた。


 すると、フッとわしの上に影が出来た。それはグンソウだった。彼はぶつぶつと独り言を呟いていた。「どうして誰もいないんだ、どうしてお前は生きているんだ」焦点の合わない濁って血走った目だ。手のひらは固く乾いている。血豆だらけの指先がわしの首へと伸びてきた。ギリギリと彼の腕はわしの首に食い込んで、わしは息ができなくなった。「どうして誰も、いないんだ」「どうして」彼は呟きながら覆い被さるように倒れこむ。サンディがギャンギャン鳴きながらわしから彼を引き剥がそうと腕に噛み付いたが、グンソウは腕の肉を食いちぎられても痛みを感じていないかのように微動だにしなかった。「レモン水、おいしかった、のじゃ」わしの遺言は彼の耳を掠めたじゃろうか?それがわからぬまま、わしの首の骨はゴキリと折れた音がして、視界は再び暗転した。


 ゴートから膨れ上がった殺意が溢れて轟々とした風の音と共に、グンソウの体が吹っ飛んだ。サンディがグルグルと威嚇の声を鳴らせ、ゴートは体を再生中のわしを背に庇ってグンソウとの間に立った。弾けた頭に比べれば、首の骨一つを再生するのはそう長くはかからなかった。視界は暗転したままだったが、聴覚が戻るのは早かった。轟々とした風の音が耳に掠めた。

 次に起きた時、わしはを見た。



 立ち上がったグンソウに首はなかった、体は向こう側を向いていて、俯いているようじゃった。いや、違う、皮一枚で繋がっている頭は、だらんと首の位置からぶら下がって俯いているように見えたようじゃ。変わり果てた姿の彼は、こちらを振り向いたように見えた。首がないので確信は持てぬ。皮一枚でつながっているくせに、頭は頭で口をパクパク動かして、その光景が空気を求める金魚みたいじゃなって、笑いがこぼれた。

 その時、砂丘が大きく鳴動した。わしはゴートに抱えられ、わしはサンディを抱えて空へ脱出した。それは大きな蟻地獄のように、擂鉢状に地の底が抜け落ちて、その下に大きな穴が開いていた。暗い暗い穴だった。中から有象無象の大小様々な黒い甲蟲が大量に這い出してきて、彼の体を覆った。そして蟲に貪られ、彼は蟲の塊となり腕がもがくようにじたばたしていたが、次第にその形も失っていった。



「お前がわしをこの世界に呼んだのかもしれんなあ…」



 彼が蟲に食い尽くされると穴の中から蟲はとめどなく這い出し続けて、砂の上を覆って走り、途中途中で小さな生き物や瓦礫を飲み込んでは、大きな塊となった。そうしてゾゾゾと進んだ先で、地平線が黒く染まるのを見た。これがこの世界の終末か。生存者は彼一人だった。感染者も彼一人だったのかもしれない。わしはそれを見ていた。ずうっと見ていた。



そんなことを思いながら、呆然と眺めていると、突然、胃が浮くような、天と地が逆さまになるような感覚を覚えた。ああ、物語が終わったらしい。わしはこの世界から放り出されるようじゃ。獣たちと共に空に突如現れた真っ黒な歪みひずみにぱっくり飲み込まれて、ぐるぐると螺旋を描いてどこかへ落ちていくのを感じた。


 


そして世界は沈黙した。

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