シスターさんの全肯定



 何が始まるのだろうかと遠巻きにしていたレンは、突如響いた快活なハスキーボイスに、びくっと肩を震わせた。

 いまのは『奴隷少女ちゃん』と呼ばれた銀髪少女の声だ。

 先ほどまでの物静かそうな雰囲気が嘘のような快活さ。楚々とした見た目を裏切る通りの良い声音。セリフの最後に付け足されたあざとい笑顔のまま、勢いよく口を動かす。


「奴隷少女はあなたのお悩みを全肯定するの!!!!! さあ!!!! 日々のお悩みを叫ぶといいのよ!!!!!」

「うん! 言いたいことがいっぱいあるんだ……!」


 あたり一帯に響くような声量で肯定されたシスターさんは、雪崩を打って愚痴をこぼし始めた。


「今日の神殿の仕事でもクソオブクソキングとクソオブクソクイーンの間で生まれたゴミクソの塊みたいなことがあったの! 疲れた! 慰めて!!」

「すごく大変だったのね!!!!! お疲れ様なの!!!!! 」

「あ、ありがとう……! 奴隷少女ちゃんだけだよ、仕事が終わった後に笑顔で『お疲れ様』って言ってくれるの。あたしの癒しは奴隷少女ちゃんだけだよぉ……」

「どういたしましてなの!!!! 頑張っている人を労わるのは人として当然なの!!! あなたは頑張っているんだから、労わられるのは当然なの!!!!!」

「でも、神殿の上司のハゲは給料払ってるんだから、あたしがなにやっても当然みたいな顔するし、先輩は無表情でなに考えてるかわかんないし……あたし、ちゃんとやれてるのかなぁ。労る価値もないって思われたり、してないかなぁ……」

「大丈夫なの!!!!!!! ハゲはともかく、無表情の先輩もきっとあなたのことを心から労わってるの!!!!! その人はちょっと感情表現が不器用なだけなのよ!!!!!」

「そっかぁ!」

「そうなの!!!!!!!」


 打てば響くような奴隷少女の返答に、暗い顔をしていたシスターさんは、ぱっと顔を輝かせる。


「そうだよ。あたし、頑張ってるんだよぅ。なのにさ! 神殿に治療に来る冒険者のクソがさぁ、『もう治療はそんくらいでいいよ。自分の体は自分がよくわかってるからさぁ』とか言うのよ! 自己判断できるほどお前は偉いのかぁ! って感じだよね!?」

「まったくもってその通りなの!!!!!! 人の治療を請け負うシスターは専門職!!!!! あなたの仕事は誰にでもできることじゃないの!!!! それをわからないなんて、クソみたいな相手が顧客で本当にお疲れさまなの!!!! すごく頑張ったのね!!!!!!」

「うん……! うん! 頑張ったんだよぅ、あたし!! 奴ら自分から好き好んで命がけのところ行ってくるくせに自分は命かけてますぅみたいなお殿様みたいな態度なんだよ!! しかも一部のカスが治療中に手を撫でてきたりよろけたふりして胸に腕押し付けたり……魔物じゃなくてあたしがお前をぶっ殺すぞカスがぁ! 滅びろ! って思っちゃうの!」

「それは仕方ないの!!!!! そんなことをされたら仕事でも相手にしたくなくなるの!!!!!!! そいつはお殿様はお殿様でも、お下劣バカ殿様なの!!!!!! 自分たちじゃ回復ができないからお金を払ってまで仕事を頼んでいるのにセクハラをしてくるなんて、ひどい自己矛盾なの!!!!!!! そのうち自己崩壊しちまえなの!!!!!」

「だよね!!」


 笑顔で快活に女性を全肯定する奴隷少女に乗せられて、シスターさんは活き活きと愚痴を吐き出す。

 やっべ自分もこれから治療を受ける機会があったら、態度に気を付けよう。レンはひっそりと神殿で治療に受ける時の心得を胸に刻む。


「あとさっ、客だけじゃないんだよ! 先輩もさぁ、すごく怖いの! 態度がきつくってさ! 同僚でも合わないって見ると、『……もういいから』ってすぐ切り捨てにかかるんだよっ。クールというか、ちょっと排他的な人でさぁ」

「わかるの!!!!!! この世の中で生きる時に立ちはだかるのは、大体が人間関係なの!!!!!! 近くの他人ほど怖いものはないの!!!!!!」

「でしょ!? 悪い人じゃないし、すごいできる人ではあるから尊敬はしてるんだけど……。いろいろと切り口が鋭い人だから、全然気が抜けないの。ぶっちゃけ、趣味も話題もまったく合わないしっ」

「それは大変なの!!!! 話の合わない人とのコミュニケーションは、相互理解が必要なの!!!! 一方的に理解を押し付けられると、とっても心が削られるのよ!!!!! 相手が歩み寄ってくれないのに、それでも頑張るあなたは素晴らしいの!!!!!」

「うわーん! ありがとぉー!!」


 興味で本位で聞いていたレンは、奴隷少女の話術に感心する。

 愚痴に対して降り注ぐようなポジティブシンキング。肯定内容こそ時々薄っぺらくなるが、それを感じさせないほどの勢いがすごい。とにかく片っ端から拾って肯定していく奴隷少女の怒涛な勢いには尊敬すら覚える。

 あ、言葉って内容じゃなくて勢いが大事なんだ。

 傍で聞いていても流されてそう納得してしまうようなハキハキとした発声は、もはや一つの技術だ。一対一の会話に滝のような怒涛の流れを作り出し、愚痴をためこんだ女性の心理を巻きこんで淀んだ澱を吐き出させる。

 あの声で肯定されるだけで自分の中にある澱が吹っ飛んでいきそうな爽快感があった。


「それにあの上司! あたしが昨日髪形変えたらさぁ『前の方が似合ってるよ? 戻したら?』だとさぁ! ハゲのくせにハゲのくせにハゲのくせにぃいいいいい! あたしは別にあんたのために生きてるわけじゃねえんだよぉおお! むしろお前は最もあたしのプライベートから遠い存在だよぶぅわああああああああか!! ハゲの分際で人の髪型にケチつけてんじゃねえええええええええええええ! 先輩は今の方が似合ってるって言ってくれたんじゃボケぇ!」

「そのハゲは最悪なの!!!!!! ハゲには他人の髪形に口を出す権利なんて一切ないの!!!! 他人の髪の毛に口出しするハゲは生きているだけで害悪なのよ!!!!! 悪いハゲは自分の頭が悪いからつるっぱげたということにすら気が付いてないの!!!!! 頭皮から抜け落ちる髪の毛とともに死ねばよかったのよ!!!!!」

「そうよね!」

「そうなのよ!!!!!!!」 


 ハゲに厳し過ぎない?

 少し不安になった彼は、そっと自分の頭に手をやる。ふさふさとした感触。よかった、まだ大丈夫。でも家に帰ったら鏡で分け目を確認しよう。若ハゲという現象もある。注意するに越したことはない。

 十代後半のレンは己の毛髪に初めて不安を覚えつつも、かたずをのんで奴隷少女と女性の行く末を見守る。なぜ見物してしまっているのか、自分でもわからない。ただ、吸い寄せられるような勢いがそこにはあった。

 その後もシスターさんは奴隷少女に愚痴をぶつけ、そのすべてを肯定される度に顔を明るくしていった。

 そして十分。侃々諤々の呪詛の嵐と自己肯定の最中、ぴたっと口を閉じた奴隷少女はプラカードで自分の口元を隠す。


『全肯定奴隷少女:1回10分1000リン』


 プラカードに書かれた表記が、怒涛の如く愚痴を叫んでいたシスターさんの目に映る。


「あ、もう十分かぁ。二回目は……今日はいいやっ。ありがとう、奴隷少女ちゃん! だいぶすっきりしたよ!」

「……」


 ここに駆け込んできた当初からは想像もできないほどに明るい笑顔でぶんぶんと手を振るシスターさんに、口元をプラカードで隠した奴隷少女は、無言でにこにこ笑いながら頷く。

 先ほどまでの勢いは何だったのか。奴隷少女は物静かな笑顔の少女に戻っていた。


「……」


 なにか、すごいものを見たような、そうでもないような。

 一部始終を見ていたレンは圧倒されつつも、理解した。

 ようするに『全肯定奴隷少女』なる彼女は、他人の愚痴を聞いてくれる存在なのだ。

 楚々とした美少女が、ひたすらに自分の境遇を全肯定してくれる。なるほど、お金を払う人がいるのも納得のシステムだ。『全肯定』はともかくなぜ『奴隷少女』という廃された身分を名乗って粗末な貫頭衣を着ているのかは謎だが、彼女がやっていること自体はわかった。

 そして、レンの心にも変化が一つ。

 奴隷少女の話術の勢いは、傍で聞いていただけのレンの心の澱すらも流し去るような激流だったのだ。


「……俺も、頑張るか」


 さっきのをシスターさんの愚痴を見て聞いて気が付いた。

 別に、悩んでいるのは自分だけではないのだ。

 さっきのシスターさんの愚痴しかり。なにかをやろうとすれば嫌なことがある。やり始めに上手くできないなんて当たり前。好き好んで足を踏み入れた世界でも、夢を目指す道中は楽しいことばかりではない。そうして自分の存在価値を疑うこともある。

 ただ、そこで悩んで腐ってしまっては仕方がない。反省している内はいいが、ただの自己否定で終わっては何の生産性もないのだ。

 否定するのではない。自分のやれることを肯定して、一歩足を踏み出すのだ。

 冒険者になって、まだ一日目。自分が何をやったというのだ。失敗も成功も、どちらもまるで足りていない。

 やれることはある。やれることをやらないで、やる気はあるだなんて言ってもなんにもならないのだ。

 気持ちではない。なにかを実行するのが、やる気というものなのだ。

 自分は冒険者になるためにこの町に来た。諦めるのは、まだ早い。

 そうだろう?

 まったくもってその通りだ!


「ぅっし!」


 自分で自分の心を自己肯定したレンは、ばしりと頬を叩いて気合いを入れる。

 酒場に戻ろう。どうせまだ、先輩冒険者は飲んだくれているに決まっている。そこに混ざって、彼らの話を聞くのだ。

 先輩冒険者の彼らの失敗談は、自分がするかもしれない失敗だ。なにもできずに失敗した自分の未熟さをからかわれて小馬鹿にされてもいい。何をすればいいのか聞く。彼らがどんなことを考えて冒険者をやって来たのか、その経験値を聞き出す。そして自分に落とし込む。やれることを洗い出して、明日の冒険の糧にする。

 どんな手段を使ってもいい。食らいついて成果を上げて、あの女魔術師に目にものみせてやるのだ。


「っしゃあ! やってやんよ!」


 雄叫びを上げて広場を去るレン。


「……」


 彼の背中を、奴隷少女は静かな微笑みで見送っていた。

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