§1

 木造家屋は燃え易い。

 そのことを否定する者はいない。

 ではどの程度燃え易いのか。

 となると、途端に答えられなくなる。

 昭和八年。東京帝国大学に、その問題に頭を悩ませる一人の建築学者がいた。

 内田祥三よしかず。明治十八年生まれの四十四歳。気鋭の建築家であり、十年前の関東大震災で多くの建物を失った東京帝大の復興を、建築面から担った男であった。東京帝大工学部建築学教室を率い営繕課長として安田講堂や総合図書館、医学部本館、法文一・二号館など、現在まで残る一階部のアーチと茶色の壁面スクラッチタイルを特徴とする一連の建築を手がけ、昭和八年当時は工学部教授の地位にあった。

 震災で猛威を振るった大火災の反省から、耐震・不燃建築の必要性が叫ばれ、都市の区画整理と共に、所謂復興小学校に鉄筋コンクリート造が採用されるなど、不燃建築といえば鉄筋コンクリート、というのが常識であったから、東京帝大の復興建築物もまた鉄筋コンクリートが選ばれるのが当然であった。内田は学外でも多くの鉄筋コンクリート建築を手がけ、震災後の復興住宅として名高い同潤会アパートの設計も行っていた。

 事程斯様に、不燃建築といえば鉄筋コンクリート、といった風潮であったが、鉄筋コンクリートが火災に強いことは関東大震災の罹災地調査からも全く疑いの余地はなかったが、では木造家屋よりどの程度強いのかについては、明確な回答を出せずにいた。別の言い方をすれば、木造建築がどれ程に火災に弱いのか、どのような手立てを講ずれば火災に対して強くなるのかは、よく解っていなかった。

 それまでの木造家屋の火災についての知見といえば、国外の実験事例を参考にしたり、戸や壁、窓といった部材単位での燃焼実験を行ったり、実際の火災現場で建材の燃え滓を調べ、その後同様の焼け方を再現してみたりといった、細切れな部分的な実験の結果を纏めたものだった。

 内田はさらに内務省から特別に許可を得、非常線通過証を持って消火活動中の火災現場に入り込み、実際の火災を観察することによっても、知見を積み重ねていた。

 そのような苦労を重ねて得た数値は、上限温度がおよそ八百度といったものだった。

 実態と大きくかけ離れているわけではないだろうとは思われたが、それでも実態を正確に描き出したものであると断言するには心許なかった。何より、どうしたら木造家屋を燃え難くできるか、について、確たる知見を提供するに至ってはいない。

 都市不燃化を突き詰めれば、全ての建築物をコンクリート造にすることが望ましい。実際、最もラディカルな方法として政府に対し提言もなされたが、それが可能であるとは誰一人信じてはいないだろう。震災から十年を経ても尚終わらぬ復興事業を思えば、その間にも作られ続ける木造建築を無視することなど出来よう筈もない。さすがに急造のバラックなどは順次取り壊されるにしろ、全ての住人を収容できる復興住宅を提供できる見込みなどありはしなかった。

 結果として、復興帝都には、その気高い目論見とは裏腹に、計画的に作られた鉄筋コンクリート建築と、無計画に作られた木造建築が入り乱れることとなってしまった。

 これを批難することは簡単であるが、科学的に根拠ある議論の俎上とするには、些か学術的知見が不足していた。何分、震災を契機に作られた市街地建築物法に定められた耐火、準耐火、防火といった各種基準に用いられた温度・時間といった数値すら、国外の研究と、諸々の推定に基づく数字に過ぎなかったのだ。後に一メートル四方、二メートル四方といったテストピースを燃やして、各種数値がおかしくはないことを確認していたとしても、だ。

あたうなら、家を一軒丸ごと燃やして温度や時間を計測したい〟

 想いは募れども、そのような贅沢が許されるような予算状況にはない。さすがに震災の後には多少の予算は付いたが、家を一軒燃やせる筈もなく、部分的な燃焼実験をするのが精一杯だった。

 そして震災から十年目の今年初旬、内田は一つの建物に目を着けた。震災後に応急に建てられた木造建築は学内にも多々あったのだが、東京帝大附属病院の筋向いに震災後に用意された理髪所の建物が、中身が移転して取り壊すばかりの状態になっていた。木造平屋建十坪のバラック小屋だが、この際贅沢は言わない。

 東京帝大工学部建築学教室を挙げての実験が始まろうとしていた。

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