第2話 政治

第2章 政治 首相官邸・機密会議室・国家安全保障会議・秘密開催


 官房長官とは一自衛官からして見れば雲上人である。そもそも下っ端の武官が官邸に来る機会はないし、またあったとしても、防衛省の「偉い人」のお供としてであり、それでも直接声をかけられる事は無い。それに、もしそういったイレギュラーな人の動きがあれば、官邸に詰めている記者がめざとく見つけ、何かを探り出すかも知れない。

 帰国早々報告書をまとめ、市ヶ谷に出向きに提出すると、すぐに官邸の会議に出席することとの伝達が来た。おそらく直接の担当者の意見を聞く場合を想定した、壁際のバックシートと呼ばれるところに座るのだろう。そう思っていたが、はたしてその通りであった。ただし、それが、国家の安全保障を検討する会議の、最高の、しかも秘密開催だとは思わなかったが。

 秋尾の前には背を向けた形で統合幕僚長、やや斜め前に防衛大臣が座り、円卓を囲み、国家公安委員長、外務大臣、治安担当官房副長官、官房長官、総理大臣が座っていた。まるで場違いで、全身から油汗が湧く。やや落とし目の照明と重苦しい雰囲気に息苦しさを感じたが、横に座るドールは、涼しい顔の良いところのお嬢さん然として、ニコニコと座っている。事前に発言の振り付けはされているが、それでもまるでスナイパーのいる戦場へ、単身進軍するかのように、命の危険を感じるほどだった。

 官房長官の進行で議題は、L国の案件にさしかかった。

「かねてから国外で多発するサイバーがらみのテロ情報を、事前に暗号化されたファイルで送り付け、事後に暗号解除キーを送付する形でたれ込んできたハッカー、通称「カナリア」、もしくはテロの犯人が、今回事前に両者を別ルートで送り付けることで、L国での革命における、アバター、これはロボットを人間が遠隔操作している例、オートマータ、これはプログラムもしくはAIがロボットを操作している例、そしていままで実例は認められていないが、エレクトリアン、これはAIが意志を持って自律的にうごいている例だが、そのいずれかの暗躍の情報をもたらし…」

 官房長官は資料のページをめくり、眼鏡にかかった髪をかき上げ、ブラウスの襟元を少し手前に引っ張ると、息を吸って続ける。

「L国大使救出ミッションと併行して、その現場をサイバー物理攻撃に詳しい人員の目により、これを調査する必要ありとして、中央即応大隊旗下の電子物理戦部隊に大使救出と共にこれを発令、現地にて通告通りの状況を認むるに至った。調査に当たった人員は現場で扇動活動を行っていた複数のロボットを確認し、うちこの一体を鹵獲に成功した、と。この通りだな?」

官房長官が顔を書類に向けたまま、目だけを秋尾の方向に向けた。秋尾はとっさのことにビクッとなり、シナリオどおりならば幕僚長からの振りがあるはずと、ためらっていると、秋尾が止めるすきもなく、ドールが立ち上がって足を鳴らして答えた。

「その通りであります!」

防衛大臣と統合幕僚長が、とっさにドールと官房長官を見比べたが、長官の「ああ、いい。」のことばで、円卓に向き直った。

「君が、この書類の如月二曹か?」

長官が今度は顔を向けて、右手で眼鏡をややしたに下げ尋ねる。

「ハッ!」

長官は再び眼鏡を直して書類に向き直り、手で座るように指示して続ける。ただし、すぐに書類はテーブルに置き、顔を出席者に向ける。

「これで、かねてから不明であった、東欧のいわゆる第二次カラー革命、そして一連のアフリカの春、昨年のアジアの赤い潮で欠けていたピースがはまると思われるわけだ。2020年、あの鉄の流星の夜以前にあった、ネットとソーシャルネットワークによるサイバー扇動は、あの日から不安定になった無線ネットワークせいか影を潜めたが、16年の時を経て、我々が聖火台から復興ののろしを上げようとするこの時に、再び形を変えて忍び寄りつつある。各国で行われた攻撃は、今以てそれがステートスポンサード、つまりどこかの国を母体とするサイバー物理攻撃かどうかは分からぬ故、テロが起きたときに、警察と防衛どちらが主導するかの明確な答えが得られなかった。しかし、各地で行われた行動が、ハッキングによるものにせよ、軍事兵器までが持ち出されるに至った以上、これらのテロが国内で行われた場合に、警察だけで対処せよ、ということはまず無理だ。」

長官は書類から手を離し、ゆっくりとテーブルの上で両手を組む。ため息を一つつく。

「それは、時に死ねという事に等しいからな。」

総理の方に目を向けると、今まで腕を組んで目をつぶっていた、長官よりはやや若い総理大臣が目を開き、視線を長官に向け、黙礼するように続けることを促した。

「以下は総理と、最善を望み、最悪に備えることを考え、相談した決定事項だ。数限りなく繰り返されてきた、神学論争はもうなしだ。主として警察組織として働き、必要に応じて即座に自衛隊の戦力を投入することができる、その体制を試験的に設ける。いずれかの省庁の下に置かず、また必要に応じて各省の協力を得られるように、籍は内閣官房に、組織的には情報セキュリティ室にある情報調査チーム下に、自衛隊の電子物理戦部隊、警視庁サイバーSAT物理事案チーム、および各省の司法警察官のサイバー選抜人員と支援要員を併任の形で配置し、官房、警察、自衛隊、各省司法警察官いずれの身分でも活動できるようにする。」

防衛大臣が、胸元からハンカチを取り出して、額の汗を拭う。ハンカチをもった手をテーブルの下にしまうと、総理の方を見つめた。長官が続ける。

「本体制は正式な組織化を目指すが、それまでは私から指示を行い、それを警察庁、防衛省、それぞれの正式な命令と出してもらう。それには…」

長官はやや間を開ける。

「『命令による治安出動』も含む。」

総理がテーブルの上に同じように手を組み、身を乗り出し、防衛大臣を正面に見る。

「防衛大臣。苦労をかけますね。何かあった際の責任は、私がとります。…いろいろとね。」

 そういうと、屈託のない若者のような笑顔で微笑みかけた。防衛大臣が大きく息を吐き、緊張を解く。総理は長官を向き直り、手を解いて、手のひらを指しだし、続けるように促した。

「サイバー物理戦を専門とする組織は各国にあるが、その多くは常に後手に回ってきた。我が国然りだが。おそらく今回の我々のアクションは、未然にこれを防げるかどうかの試金石になるだろう。国家の歴史としても、未然に事態に備える体制を整え、これに立ち向かうことができる希有な例になるだろうと考える。各位よろしいか?」

意義は示されなかった。

「では本案件は、特別な安全保障上の問題として、機密閣議決定に回される。」


会議は解散となり、各大臣が地下連絡通路から別々の省庁に向けて移動するために退出する。大臣らが先に退出するのを直立して待っていたところに、外務大臣が秘書官を連れてやってきて、秋尾たちの労をねぎらい礼を述べた。秋尾は握手を求められているのに防衛大学校の一年生のようにキレた敬礼をし苦笑され、ドールは手慣れたように握手をして、軽い女子トークを交わしていた。長官は横を通りすぎる際に2人を一瞥して行った。


「戦闘の時と、全然違うよな。ホント。」

秋尾の前を、ややスキップするように鞄をもって手を振り軽やかに歩くドールを見て、そう思った。そしてそれが、緊張感が解けた口から出てしまった。

「みんなの人気者、WACの如月ちゃん、営業モードですから。」

「営業モード?」

「いってませんでした?私、昔、学生時代に沖ツ島のダイビングサービスで働いてたんですよ。」

 いつもより幾分高く丸い声に、すこし笑ってしまう。

 「でも、潜っているときは真剣にやらないと、死んでしまいますからね。」

 そういって、本当にスキップを始めた。地下通路はリノリウム貼りで踊る靴音が響く。すると秋尾の携帯電話が、素っ気ない着信音を出して鳴った。その音で公用携帯であることを認識して、足を止める。

 「いえ。…いえ、今日は部隊に戻ってそのまま退社です。はい。大丈夫です。」

 秋尾がペンを持つ仕草をしたので、如月はすかさず鞄からメモを取り出して、ペンを秋尾に渡し、自分はメモを両手で持って秋尾の前に差し出す。

 「19時。四ッ谷の…」


 指定された時刻と場所の焼き肉屋の前には、黒塗りの車が留まっていた。エンジンはかけっぱなしで、運転席には運転手が座ったまま。その時点で秋尾は、どのレベルの人間が彼を呼んだのかの想像がついた。店の前に居るSPでそれが確信に変わり、入口で蝶ネクタイをした男に慇懃に

「秋尾さまですね。こちらです」

 と、むかえられた。そうされたことで、また緊張が高まってきた。案内された部屋の前で、ダーク色の背広を着た屈強な50代ぐらいの、秋尾より明らかに年次も役職もはるかに上の男性が、人懐っこい笑顔で会釈する。

「鞄と端末、おあずかりしますね。」

そういって、秋尾と如月の荷物を受け取ると、個室のドアをノックして「お着きです」と声をかけた。「入れ。」という声とともにドアが引かれると

「よう!先にやってるよ!」

 と言い、紙エプロンをし、片手に書類を持って、もう片手に箸を持っていたのは、官房長官の鹿島であった。先ほどの会議とは別人のように柔和な声と仕草。50代だがそうは見えない肌と髪艶、多くの政治家を束ねるのに不必要な色気は排しているが、かといって女性であることもきちんと主張する、そのアンバランスに絶妙にバランスが取れたラインは、どこか神々しささえ漂う。しかし想像の中でも最も高いレベルの相手の登場に秋尾は硬直する。

「肉ぅ!」

 秋尾の脇から部屋の中を覗き込んだ如月が、喚起する弾む声でそう言った。

「そう、肉だよ。如月ちゃん、そこに座って食べな。特別に田舎から送ってこさせた、鹿もシシも熊もあるからよ。」

 促され軟体動物のように秋尾の脇をすり抜けると、如月は瞬間で長官の席の前に、ちょんとお座りをした。

「秋尾君も早く!」

「はいいい!」

「隊長、また敬礼してる。」

 如月はそういって、手を口に当て、くくくと苦笑した。


ひとしきり他愛もない肉談義、主に鹿島と如月だが、この店が鹿島の親戚の店で隠れ家的に使っているが秘密なことや、鹿や猪は自分の地元の猟師が仕留めたものであること、どういう食べ方がいいかや旬などの話題で話が進む。それはさながら「肉女子会」といった感じで、鹿島が冬場の猟にさそうと、「隊のスナイパーもハンターガールなので連れていきます。爆弾で良ければ罠ガールもいますよ」と如月が答えた。

食事も一段落し、口直しも平らげたころやがて一息間が空くと鹿島はこう切り出しだ。

「そうだ。この前、現場で見たことを話してくれ。どんな雰囲気だったんだ?」

如月が指を立てて顎に当て「ん~」と思案し、斜め上を見て話し始めようとした時、鹿島がさらにこう声をかけた。

「素でいいぞ。」

秋尾は目を伏せながら手元を見ていたが、ハッとして鹿島を、続いて如月を見た。鹿島はもう一度重ねて言った。

「素でいい。」

如月の息をゆっくりと吐くと、顔から目尻と口角を上げていた力が抜け、いわゆる「目のハイライト」がぬけたような表情となった。

「端末、使ってよろしいですか?」

「おい!稲妻!」

 如月の質問に、鹿島は目線だけを扉にやり、誰かを呼ぶ。

「失礼します。」

 先ほど扉で端末を受け取った人物が入ってきた。呼びかけから反応の速度を考えれば、扉の前に控えていたことになる。

「安全保障担当の秘書官の稲妻だ。同席、いいな?」

 そうふられた秋尾は、いくつか前のセリフからの状況について行けず、これを理解しようとする。説明を求められているのは機密、だが相手は国家のナンバー2、その要請なのだからいいのか?そのあたりの思索が駆け巡る。

「稲妻です。よろしくお願いします。」

「ちゅ、中央即応大隊の電子物理戦部隊(サイバーコマンド)の秋尾です。」

 脊髄反射で答える。

「如月です。」

「存じ上げています。」

 稲妻と紹介された人物は、がっしりとしてて武道をたしなんでいる事がはっきりとわかる。無骨な顔をしていて、柔和に話し微笑んでいるが、はっきりと目が笑っていないことがわかる。秋尾はなおも正解を探す。

「秋尾二尉。公用端末をご覧下さい。あと、ここは盗撮盗聴電磁クリアです。」

「わいしか使わんからな。」

秋尾の思案を見透かしたように稲妻が答える。そこに念押しした鹿島の答えは、普通の人の普通の受け答えのように見えて、もっとも稲妻の言葉の裏付けをしていた。

「回線いりますか?」

 稲妻の質問に首を振る如月の脇で、秋尾が公用端末を見ると、決済済み文章が送達されていた。「L国大使救出目的の海外派遣における活動時状況追加説明要請」とある。いくら電子化されたとは言え、即座に発行されるわけではない。つまり、最初からこれが目的だったのだ。

「稲妻は手回しが良いんだ。」

 鹿島はノンアルコールのビールを手酌で注ぎながら、秋尾の方へ目だけ向けて、口元でにやっと笑う。

「仲良くしておくと、いろいろと…ああ便利、だぞ。」

 独特の間に込められた行間に複雑な理解を求められる。いや理解出来るかどうか試されているのか、と秋尾はこのテーブルの趣旨がようやく理解出来てきた。その間にも如月、いやドールである如月が、鞄から必要な機器をテーブルに広げる。

「有線で行きます。」

 といい、テーブル中央に置かれた携帯型データハブに通信ケーブルを4本挿し、2本を稲妻に、1本を秋尾に差し出す。機密のためレーザー回線ではなく有線を選んだのだろう。稲妻は自分の鞄から2個のARグラスを接続し、結線して1つを鹿島に渡す。秋尾も自分のARグラスを装着してケーブルを挿した。各自のグラス内に如月からの公用電子認証のついたリクエストが立ち上がり、承認すると眼前のテーブルの上に、L国の立体地図が広がった。

「コマンドはおっしゃっていただければ、私が承認します。」

 如月の言葉に鹿島が頷く。

「ミッション本体到着のマイナス2日、我が国がL国における政権崩壊と無政府・統治機構無し認めた段階で、私他一名が『たまたま』隣国M国にいたことから、召集を受け現地で車両とドライバー調達、領域内に侵入。必要な物資も調達しマイナス1日正午頃大使館に到達。すでに大使館周辺が暴徒に囲まれており、本体への情報収集を優先。ドライバーは解放、大使館に一名を残し、書記官とともに情報収集を開始。首都内で革命の集会場となっているいくつかの地点を移動、WAN/LAN通信傍受、群衆動作解析、レーザー通信探査を一昼夜行いました。」

 如月の説明に、目の前絵立体地図と画像が次々と展開されていく。

「各所では目的としたモノを発見出来なかったが、最終的に革命広場で発見。この時点で軍が広場に向かって進行中。激突が予想される。」

 ドールが広場を見下ろしていた状況が再現された。

「広場で群衆の行動を統率する数人の人物を発見、そこから絞ってレーザー通信探知を行い、広場を取り囲むように設置された通信ハブを探知。これに向かって通信接続をかけ侵入に成功。ネットワークに対してスキャニングをかけたところ、逆探知のスキャニングを受ける。」

 再生する映像で「スキャン・ワーニング!スキャン・ワーニング!システム侵入ノ兆候を検知!」という音声が流れる。

「それと同時に、探知していた人物が一斉に周辺を警戒、おそらく光学スキャンを始め、本官のARグラスから出ていてレーザーを探知し、ここで一斉に振り向き、全く同じ動作とスピードで本官を指さし、周りの群衆に何かを叫ぶ。。そして本官のいるビルに向かって、群衆を引き連れて移動を開始。こちらも逃走を開始し群衆を誘導、狭い路地に誘い込んだところで、誘導している人物のうち一人を、サーモグラフィ、脈拍、呼気、その他の情報から人間でない事を確定して、上方から釣り上げ、電源不活性化、電波遮断袋に詰めて鹵獲した。」

「これがタレコミ通り、群衆を誘導するサイバー物理戦の先兵だと判断した理由は何処だ。」

「本官を発見したときの行動の同期、反応、速度。」

 鹿島は手で顎を触り、立体映像に視線を落として指示する。

「現場で、発見される前の15秒前から、もう一度見せてくれ。」

 鹿島の指示が如月のARグラス上にダイアログとなって表示される。それに対して「承認」と答える。立体映像が巻き戻り、15秒前から再生される。すぐに「5倍スロー」と指示を追加すると、映像の再生が減速する。今度は立体映像の上に平面画像でロボットとおぼしき人物の画像が、横並びで同時再生される。

「ここ。本官を発見してからの速度、そしてその後の同期した指さしと口の動き。これは個別の反応ではなく、あらかじめネットワーク化されプログラム化されている動作。一方の群衆は、広域通信はブラックアウト化していたものの、ソーシャルネットワーク企業がばらまいたARグラスの近距離電波通信メッシュで情報連携しているが、反応はばらばら。これが普通の人間の動作。それに扇動をするときは、状況から間髪を入れず、そして同時多発的にシンクロして行う事で効果が増す。そのメソッドに沿っている。もう一つはコスト。正確にはロボットを調査解体した上での報告を待たなければならないが、L国という国にしては余りに高レベルな人と見分けがつかないロボットボディと、先進国並のレーザーメッシュ運用インフラ。身体障害者の代理勤務用や愛玩用とはほど遠い、ほこりっぽい国で活動可能な軍事目的のもの、それもセットで。それらの条件から、ステートスポンサード、もしくはそれと同等の資金を持つものによる意志ありと判断する。そのロボットがアバターなのかオートマータなのかは解析を待たなければ不明…。」

 鹿島はARグラスを外してテーブルの上に置き、つるに引っかけられた後れ髪を掻いてから如月を見た。

「…エレクトリアンの線はないと?」

「本官は見たことが無いものは、うかつに信じないので。」

鹿島はゆっくりと瞬きして深く息を吸い、吐いた。

「…このレポート…」

 そういって、鹿島は自分のテーブルの脇の方に置かれていた大きい封筒から、印刷された紙の束を引き出した。

「『各国におけるサイバー物理戦、サイバープロパガンダ、およびその我が国への適用の可能性』」

 鹿島と如月のやり取りに飲まれ、傍観者と化してしまっていた秋尾ははっとした。それは彼が書いた、という事になっているレポートだった。そうなっている、だ。

「これ、読ませてもらったよ。ネタとして有効に使わせてもらった。秋尾君の名前で書かれているが、書いたのは彼じゃないな。」

 鹿島は秋尾の方は見ずに、如月を見たままそう言った。

「それが戦略として有効だと考えましたので、秋尾二尉にお願いしました。」

 如月は表情を変えず、ARグラスごしに鹿島を見たまま、機械的に、いや機械のようにそう答えた。秋尾は自分の名前が呼ばれていても、まるで目の前でテレビの中のドラマを見ているように距離感を感じた。

 鹿島は手に持っていた束を、2回ほどわずかに振ると、テーブルの上に置いた。そして鼻をかすかにふんと鳴らす。しばらく手元に目を落として何事かを考えていたが、目を上げ、顔を稲妻に向けて話しかけた。

「稲妻、なにかあるか?」

 極力話を妨げぬように、じっと会話を聞いていたい稲妻が口を開いた。

「秋尾二尉。分かってらっしゃると思いますが、今日の安全保障会議の件、秋尾二尉の部隊が先行する第一チームとして招集されます。政府組織を見回して、サイバーと物理的対処能力がもっとも融合しているのはサイバーコマンドなので。その後SATと各省の司法警察官から追加チームを選抜することになりますが、SATは別として司法警察官はそれなりにサイバーと能力のある人間を選別しなきゃなりません。ついては教官や審査に秋尾二尉のチームが動員されますのでよろしくお願いします。」

 うすうす感じていたが、というよりは消去法であればそれ以外の選択肢はないのだが、打診や内示が無い段階での、公然とした話にいささか驚いてしまう。ただ秋尾は、この話が進むときに希望いておきたいことがあった。それだけは言わねばならないと考えた。

「はい。命令があれば。それと…」

「なんだ。言いたいことがあれば、言っておけ。」

 鹿島が尋ねた。

「公務員である以上、法的に整えられればどのような命令でも喜んで受任いたします。ただ、一点お願いしたい事があります。」

秋尾はそう言って、テーブルの下の拳を握りしめた。おそらくこんな直訴めいたことは、快くは思われない。しかし、通常であれば具申しても通らないことも、この場なら通る。それは、鹿島の「直接聞きたい」という要望に応えた、それを盾にひとつの願いながらば、人として打ち込める隙がある。そう、心理戦の「ギブ&テイク」だ。

「部下を国内で、警察任務に当たらせるに際し、それは現在の職務と違って、身を守れる機会が少なくなることを意味します。基地内での保護や火力、あるいはその他大勢でいられることこれらを失うことです。事態の先端で対処に当たる部隊は先端であるが故に、『まずはスナイパーを殺せ』と同じように狙われやすい。部下を守る為に機密任務用公用代替戸籍と安全に生活できる環境の確保を、なにとぞお願いします!」

秋尾は手をテーブルの上に素早く上げ、深く頭を下げた。鹿島は表情を変えず、秋尾を見据えた。怒っているようでも怒っていないようでも無い。いわゆる政治家の無表情だ。そして鹿島が席を立った、それにあわせて稲妻も立ち、出立の準備をする。秋尾と如月もすぐさま席から立った。匂いがつかないように部屋に据え付けられたロッカーから、稲妻が取り出した上着を受け取り、着る。そうしながら鹿島が口を開いた。

「話は、聞いた。何かあれば稲妻から連絡させる。君も何かあれば、稲妻に連絡しろ。いざという時にバックアップ回線があった方がいいだろう。」

目線を合わせず、扉に向かうと、同様に立ち上がって見送ろうとした秋尾の肩に、鹿島が手を置いた。

「…期待している。」

秋尾と如月が敬礼をすると、鹿島は手を振りながら部屋を出た。稲妻も二人に対して敬礼すると続いて部屋を出た。秋尾はしばらくすると虚脱して、そして如月の方を見て口を開いた。

「我が隊も帰るか。」

 如月はテキパキと、机の上に広げた機器を片付け始めつつ頷いた。それはドールだった。


「それではまた明日。失礼致します。」

 稲妻がそういって、鹿島の乗った車のドアを閉めようとすると鹿島が稲妻を制した。

「乗れ。宿舎にお願いします」

 稲妻と運転手にそう指示をすると、SPがいるので稲妻が鹿島の横に乗り込み、車は音も無く走り出した。走り出すと先に鹿島が口を開いた。

「君の所で、あいつ洗っておいてくれ。」

「如月ですか?」

「年齢の割に中身が詰まりすぎてる。背乗りもな。」

「分かりました。速やかに。レーザーメッシュ通信にいきなりハッキングをかけて成功するなんて、私も聞いたことがありませんし。」

「腕があると?」

「ええ。本当なら。…秋尾はどうしますか?」

「あれはいい。良くも悪くも、部下思いで真面目な公務員だ。」

「しかし、あそこまでなさらなくても、言って下されば私の方でしますのに。」

「…下手をしたら一発で内閣が吹っ飛ぶような武器を使うんだ。自分の目で確かめる必要がある。ライフル買うときだって、わいは海外で撃ってから買うんやで。警察が国内では試し撃ちさせてくれんから。」

 鹿島は稲妻の方に目だけやり、口元でにやりと笑う。

「はは。もうしわけありません。」

「もう一発は?」

 「SSTの?参加させます。そっちは今洗っています。」

 「そうか…。お前の所から突っ込むのは、アレと違うタイプにしてくれ。」

 「いいのがいます。」

稲妻が即答すると、鹿島は軽く頷いた。

「では、私はこれで。運転手さん、止めてください。」

 そういって止めると、稲妻は車を降り、会釈をしてドアを閉めた。車が走り去ると稲妻は携帯を取り出して、電話をかけ始めた。


 「…無か、空か…」

 鹿島は車窓の光を眺めながら、そう呟いた。


 後日、秋尾を除く部隊全員の代替戸籍と、全員が利用出来る偽装民泊およびホテルが提供されるに至る。

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