第7話 女王

 少し、3人が無口になった時。

「ガンバー‼ 」と、観客達が口にしている事に華が気付いた。

 それを察した一花が「ボルダリングの応援なの。頑張れの略でガンバ。これは日本海外共通なのよ」と説明。

 華は、嬉しそうに「なんか、カワイイ響きですね? 」と笑顔になった。

 その時だった。


 一際大きな歓声が華の背中とお腹の中身までビリビリと揺らす。

 何だか身体の中を触られてる様な気持ち悪さに、思わずお腹に手を当てると。

「くるぞ、継葉と野村だ」と、谷寺が一際嬉しそうな笑みを浮かべて呟く。


 そして――その言葉の直後、2人の女性が中央から掛け出て来ると、先程よりも更に歓声が大きくなり、華はギュッと目を瞑り胃の辺りを一層強く押さえた。

 それが少しずつ落ち着き、瞼をゆっくりと開いた時。


「わあ……」

 思わず、華はその目の前の光景に目を奪われた。

 先に出てきた2人の女性。

 見覚えのある少女は、ノースリープのシャツと、少し薄手の短パン。


 対称に、もう1人の茶髪の髪を二つ団子に結った女性はノースリーブのピチッとした陸上選手が着る様なユニフォーム。露出的には水着と同じくらいだ。

 だがそのユニフォームのおかげで観客席からも観測できる背中から肩にかけての筋肉と、彫刻の様な腹筋は、あの日見た継葉のそれよりも圧倒的に逞しく、身長も一回り大きい。体格という差は断然こちらの選手に軍配が上がるのは華の眼にも明らかだ。


 そんな2人は中央から出ると、示し合わせた様に左右に跳ぶ様に別れ、ものすごい速度で次々と課題をこなしていく。

 この時、既に最終の2人が出てきている為、ほとんどの選手が時間を使い果たして退場しているが、それでも2人はまるで家の階段を登るが如く、難なく課題をこなし続ける。

 まだ残っている選手がいる課題に差し掛かると、それを飛ばして次の課題へ立ち止まる。

「これは……」一花が難しそうな表情を浮かべると、谷寺が呼応する様に表情を歪めた。

「ああ……あいつら、オブザべもろくにしてねぇ……2人で競ってやがるな……」


「わぁああああーーーー‼ 」と、大きな歓声。

「きゃああーー‼ 」思わず華が悲鳴の様な叫びをあげた。


 継葉と共に凄まじい速度で課題を駆け巡っていた野村という女性が、殆ど屋根の様な平らな壁に引っ付いた上で、そこをガシガシと雲梯の様に登っているのだ。それが雲梯なら珍しい光景ではないが、彼女が掴んでいるのは、掌よりも小さな突起。

「野村め。相変わらず凄まじいな」それに対し、冷静な口調で谷寺がそう言うと。

「ええ。流石は野村さんです」と、一花は嬉しそうに返す。それを、面白くなさそうに見つめると、谷寺は次に華に向かって言った。

「華、野村の手。ホールディング……掴み方をよく見ておけ」と。

「掴み方? 」華は疑問に思いながらも、遠いその位置から必死に手元に目のピントを向ける。

「……石の形によって……掴み方が……違う‼ 」

 谷寺は嬉しそうに口角を上げると「詳しい説明は、帰りに一花にでも訊け」と無責任に会話を切り上げてしまった。


 その時――。観客から「あ~~」という声が聴こえる。

 華が慌てて視線を声の方に向けると、そこには大の字に寝っ転がっている継葉の姿が見えた。


「1アテンプトか……」

「あの子……きちんとオブザベしないから……」一花の綺麗な貌が、鬼の様な表情に変わる。


「だ、大丈夫なんですか⁉ 継葉先輩、あんな高いとこから落っこちちゃって……」

 だが、華の心配も何のその。次の瞬間、継葉が足を高く上げてまるで体操選手の様に身体を跳び起こして、会場から歓声が沸いた。

「あの……お調子者……」一花のこめかみがぷるぷると震えている。その様子を見て、谷寺は「おいおい、野村だって同じ事してるぞ? 」と言ったが。

「野村さんは、実力が全然違うからいいんです‼ 」と言い切る。


「やれやれ」とだけ言うと、谷寺は視線を正面に戻した。


 結局――。この1回のアテンプトによって、継葉はボルタリング女子世界大会予選を2位で突破。

 トップ通過は、下馬評通り野村晶。なんと予選10課題全てを一撃で突破。2つの課題は、記録上には残らないものとなったが。

 上位10人には、野村と継葉の他には海外の選手ばかりだったが、2位の継葉と3位のベルギーの選手の間にも大きな差が開いており、結局翌日の決勝も含めてこの2人の大会だったと観客達は口をそろえて言う事になる。


「さて……じゃあ、そろそろ継葉を迎えに行くか」

 女子の予選が終り、舞台は次の男子予選に向け多くの会場スタッフが慌ただしく準備を始めていた。

 それに目もくれずに谷寺が立ち上がると、一花も続く。

「行こうか? 華」

 男子選手の実技も見てみたかった思いもあるが、少し名残惜しそうに華も鞄を持って立ち上がる。


 歩いて行くのは、会場から少し歩く廊下だ。

 人があまり居なくて、自分達の足音しか聞こえないそこは先程までの騒がしさが同じ場所とは思えない程だった。

 そして、進んでいくと制服に身を包んだ会場スタッフと思われる男性が立っている。

「ここは、関係者以外立ち入り禁止です」と、3人が近付いてくるのを確認すると無表情でその男は彼女達の前に立ち塞がる。


「失礼します。凪海選手の付き添いの教師です」

 こちらも、何の感情も感じれない谷寺の声が返る。と、同時に首に下げていた証明書を会場スタッフの眼前に押し出した。


「……どうぞ、お通り下さい……が、なるべくお静かに願います」

 そう言うと、男は壁に背を付けてもうこちらには目もくれない。


「どうしても外部の人が入ると、課題情報の横流しとか不正があるから厳しいの。今回は公式の世界大会だから、尚更ね」と、耳元で一花が囁く様に説明してくれる。

 そんな彼女だったが、次の瞬間。解りやすい程身体を硬直させて歩を止めた。

「あでっ‼ 」必然すぐ後ろを付いていた華がその背中にしたたか鼻をぶつけ、乙女らしからぬ悲鳴を挙げる。


「よ~、野村ぁ。久しぶりだなぁ」

 鼻を擦りながら、一花の背中越しに前を確認すると、谷寺の前に肩までかかるくらいの茶色に焼けた髪で、冷房の効いた室内とは言えど今の季節には少し不釣り合いな大きな白いコートに身を包んだ女性が居た。


「久しぶりですね~、谷寺さん。腰の具合はどうです?

 ……あ、お姉ちゃんも来てたんだね。どう? 登ってる? 」


 そのコートの女性は、愛想のよい声でそうにこやかに2人に話し掛けている。

 誰だろう? と、華はその顔を見て、谷寺が呼んだ名前を思い出した。


「――あっ‼ 」思わず、声が出た。

 結っていた髪を解き、服が違うから一瞬解らなかったが、その女性は先程まであの会場で人間離れした動きを見せていたあの女性だ。


 そして、その華を見てまた嬉しそうに野村は谷寺に話す。

「なんですかー? またお弟子さんとられたんですかー? いいなぁ~、私も弟子にして下さいよ~」と、まるで子どもの様にお道化ている。


「学校のクラブの生徒だよ。継葉たちの後輩だ。獲って食うなよ」

 それだけ言うと、谷寺は「継葉は? 」と野村に訊いて、そこを離れてしまった。残された一花と華はおどっとした目で野村を窺う。


「ん。お姉ちゃんも頑張ってる?

 冬の日本大会ジャパンカップ出場る? 」

 華は、そう訊かれている一花の顔を見て驚いた。

 まるで、白馬の王子と出逢った乙女の様に、顔を林檎の如く赤めてもじもじと俯いているではないか。


「は……はひっ。い、いつか野村せんひゅと一緒に登れるひょうに……」

 まるで、声も震えて出ていない消え入りそうなそれだ。

 それを聞きながら、野村は満足そうに微笑むと。


「うんっ、そっか。

 じゃあ、冬にはライバルが二人になっちゃうな」

 と、一花の頭をポンポンと叩いて。

「おチビちゃんも、またね」と、華に手を振りながら先に3人が来た道へと去っていった。

 舞台の上の時とは違う何か余裕の様なものを華は彼女から感じ取っていた。

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