(4)「イズキはイズキの力に堪えられない」

 白が、視界を灼いた。


 キットの操る白よりも、なお白く。白く、白く、白く。

 わだかまる鉄錆と花の香りごと焼き尽くすように。

 上空に集まっていた雲から、イズキの握る日本刀に雷が落ちたのだ。鼓膜が破れそうな爆音と、炙るような熱。

 イズキに駆け寄りかけていたキットは、白が届く寸前に周囲を炎で囲った。張り巡らせた結界が、押し負けてちりちりと削れていく。

「生意気だぜ、イズキ」

 吐き捨てて、キットは唇の端をつり上げた。

 生き物が獲物か敵対者に向ける顔で。もしくは、人間が愛しいものに向ける顔で。

灰は灰にグラングレイ

 キットを呑み込もうとする稲妻を逆に呑み込むように、炎が一瞬で広がった。熱と熱、白と白がぶつかって、キットの魔力がイズキの魔力を食い尽くしていく。

 雷が炎に侵されていく。

土は土にグラングレイ塵は塵にダスタダスト

 ひとの信仰をなぞるように、吸血鬼は死をなぞる。墓に灯りを呼ぶように。


灰は灰にグラングレイ


 白の炎が、あたりを焼き尽くした。

 周囲が晴れて、視界が広がる。キットはイズキとテディの姿を探した。

 二人は刃と魔術を交えた体勢のまま、動いていないようだった。

 水の魔力を操るテディには覿面だろうと思われたが、堪えきったらしい。息を乱してはいるが、致命的なダメージを受けた様子はない。

 対して、イズキは――。

 キットの位置からでは、イズキの背中しか見えなかった。大人姿のキットよりも細い背中が僅かに丸まって、

 けほっ、とイズキが咳き込む。

 呼吸音が湿っていることに、キットの胸に嫌な予感が過ぎる。予感の通りに、イズキが前のめりにかがむ。

 げほっ、ともう一度咳き込んだ拍子に、イズキの口から赤い血が落ちた。

「言わんこっちゃない」

 舌打ちして、イズキに駆け寄る。キットの視線の先でイズキがバランスを崩す。

 体を支えるように、イズキが日本刀を石畳につく。瞬間、


 ぴしりっ、と青い刃に、――ひびが、入った。


 イズキの雷を流しこまれた刀身が堪えきれなかったのだろう。ぴしり、ぴしり、と僅かずつひびが広がっている。

 膝をつくイズキを見守っていたテディが、身じろぐ。

「……イズキ?」

 ぽつり、と。

 こぼれ落ちるような、不意に何かを見つけたような。見た目通りのような、頼りない呟き。

 咄嗟に、キットは声を上げた。

「――!」

 仰向けに倒れかけたイズキを後ろから支える。へたり込む体を庇って膝を折る。

 イズキの手には、日本刀が握られている。雲に一部を遮られた頼りない月の光を弾く、青い刃。

 日本刀には、テディの魔力がこもっている。テディが自らの魔力を練り上げて作ったのだ。

 ほとんど意識を失いながら、イズキは日本刀を離そうとはしない。最後のよすがと言うように。

 キットの眼には、青い日本刀に絡みつく魔術がはっきりと見えた。魔器にひびが入ったことで、目くらましが効かなくなったのだ。

「その、魔器だ」

 自分に確認するように、キットは繰り返した。座り込んだ体勢のまま、テディを見上げる。

 テディは、――ほとり、と瞬いていた。長く見ていた夢から醒めるように。

 かけられていた呪縛から己を取り戻すように。

「そうだろう、吸血鬼」

 ほとり、と瞬く。

「……そうね。ええ、そうだわ」

 ほろり、と呟く。

 キットとテディが言葉をかわす間にも、日本刀にひびが入っていく。伴って、テディの瞳に正気が戻っていく。

「これがお前の望んだ結果か、吸血鬼?」

 吸血鬼、とキットはテディを呼んだ。名を呼ぶ気などないということを示すように。

 言葉を受けて、テディはイズキを見下ろした。キットもイズキを見下ろす。

 キットの腕の中で、イズキは断続的に咳き込んだ。喘鳴まじりの呼吸音が耳に届く。

 酷使した筋力と魔力に、体が追いついていないのだ。明らかに、自分の力に振り回されている。

 仰向けだったのが僅かに横を向いて、背を丸める。ひどい呼吸音が響く。

「イズキ」

 キットが呼びかければ、イズキが横目がキットを見上げた。温もりのない、黒い瞳。

 道ばたの石を見るような眼だ。短い付き合いであっても、イズキがする眼ではないことキットは知っていた。

 はくり、とイズキの唇が開く。

 声は出ない。口にするべき言葉がないのかも知れなかった。

 明らかに、自分の力に振り回されている。体も、――心も。

「放っておけば、イズキはイズキじゃなくなるぞ。もともと人狼として未覚醒の上に、絶滅種だなんてトンデモだ」

 少しずつ陰りを増していくイズキの瞳を隠すように、キットは自分の手でイズキの目元を隠した。

「お前が自分を殺したのは、イズキを追い詰めるためか? 村人たちを吸血鬼に変えたのも、暴走させたのも。イズキを追い詰めて、無理矢理覚醒させるためか」

 身じろぐ、気配があった。

 青い少女。白いワンピースに、ヒールの低い靴。

「人狼として覚醒させて、長い時間をともに生きるために。イズキの意志も聞かないまま」

 罪のない少女の形をした吸血鬼が、気圧されたように下がる。

「お前、そんな――」

 イズキの眼を塞ぐ、逆の手でイズキの頭を撫でる。

 テディを断罪するキットの声は、ひどく穏やかだった。冷たさすらない、温度のない声だ。


「くだらないことのために、村の連中を殺したのか」


 いつの間にか、周囲は静かになっていた。

 視線を向けなくても、キットには判っていた。既に村のほとんどは死に絶えて、そうでなければ吸血鬼に転化させられている。

 眼の前の、たった一人の貴族種が、キットの住む村を潰したのだ。

 

「なあ、水遣い」

 いっそ優しく、キットは語りかけた。

「吸血鬼と人間は常に、《盟約》の前に平等だ。――人間は、吸血鬼が好き勝手に扱って言いオモチャじゃねえよ」

 ふ、とキットは嘆息した。イズキの顔と頭に手を添えたまま、つかの間、眼を閉じる。

 先ほどイズキの魔術をはじき返した反動か、体の奥が重かった。イズキに受けた血の力は、ほとんど使い切っているだろう。

 それでも、キットは言葉を止めなかった。キットを突き動かしていたのは、テディへの怒りだ。

「イズキはイズキの力に堪えられない」

 キットは言った。現実を告げてやるように。

「お前、これだけのことをしでかして。そこまでやって、――イズキじゃなくなった化けモンと過ごすつもりか」

 お前のしたことは全て無意味なのだと、教えてやるように。

 彼の言葉は、義憤よりも私怨で満ちていた。はっ、と鼻を鳴らす。


「ザマーねーな、吸血鬼」


 嘲笑を向けられた、テディは――。

 テディは、キットの言葉を反論せずに受け止めた。瞬くたびに、瞳の奥に理性が戻っていく。

「……うふふ、」

 ややあって、テディは笑った。

「本当ね。馬鹿みたい」

 膝をつく。ワンピースの裾が土と血に汚れるのも気にしないまま。

「イズキ。愛しいイズキ、わたしのイズキ、可愛いイズキ、」

 ごほっ、とイズキが咳き込む。口の端から零れた血を、テディは指先ですくった。

「あなたがあなたじゃなくなるのは、嫌だわ。わたしはあなたを愛しているのに、どうしてこんなことも忘れていたのかしら」

 イズキの誇りをねじ曲げるようにして。

 イズキの意志をねじ曲げるようにして。

 罪を重ねたテディは、優しく笑う。

 力を失ったイズキの指先から、日本刀が落ちた。鈍い音を立てて転がる。

「わたしの、わたしの、可愛いイズキ」

 更にひびを広げた青い刃に、テディは手を伸ばした。

「わたしに刃を向けたあなたなら。もう、がいなくても、平気ね……?」

 刃を、握る。力をこめる。

 テディの柔い手のひらが切れて、血が滲む。瞬間、


「大好きよ、イズキ」


 テディの手の中で魔器が砕けたと同時に、青色の魔力が爆発した。

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