(2)「この任務、イズキ・ローウェルが引き受ける」

 ゆらり、ゆら、

 数度、体を左右に揺らして。

 、と男が口を開けた。人間であれば顎が外れているような開き方だった。

「――ああああぁぁァァ……!」

 もはや意味をなさない声を上げながら、前触れもなく男が飛んだ。

 膝を使わない、足首の力だけを使った異常な跳躍だった。上にではない、イズキに向かって弾丸のように突進してくる。

 予備動作のない動きに、人間は反応できない。普通であれば、イズキはなす術もなく食らいつかれて死に絶えていただろう。

 しかし、イズキは普通の人間ではなかった。吸血鬼の特性を知り、戦い方が身に染みついている。

 イズキ・ローウェル。彼は、――吸血鬼ハンターだ。

 たとえ、この一年ろくに実戦に出ていないとしても。

「おせえ。転化二種だな」

 吸血鬼が動くよりも先に予測して動いていたイズキは、危なげなく攻撃をかわして一人ごちた。

 貴族種によって転化させられた吸血鬼を転化一種、一般種によって転化させられた吸血鬼を転化二種と呼ぶ。両者の間には、魔力や身体能力に大きな差がある。

 転化二種は、個体数の多い人型吸血鬼の中で最弱の分類だ。

 それでも、吸血鬼は人間よりも圧倒的に強い。最弱であろうが、通常であれば吸血鬼のパートナー、もしくは複数人のハンターで討伐にあたる。

 イズキにパートナーはなく、周囲に他のハンターの気配もない。であればイズキの役割は、先ほどの少年から情報を受けた《黒百合》からの援護が来るまで時間稼ぎをすることだ。

 ――けれど。

「待ってらんねえな」

 刻々と暗がりに沈む森を横目に、イズキは呟いた。

 《黒百合》からの援護を待っていれば、その間に完全に日が沈むだろう。夜になってしまえば、人間は視界が狭められて不利に、吸血鬼は力が増して有利になる。

 イズキは足下に視線を向けた。地面は踏み固められて、動き回るのに支障はない。

 後ろに引いていた重心を前に傾けた。

 吸血鬼の男を確認する。吸血鬼はイズキに飛びかかった体勢のまま、蛙のように地面に伏している。

 瞬間、

 男の下の地面が爆ぜた。人間ならば決してできない動きで、脚力だけでほぼ百八十度回転して飛びかかってくる。

「――っと!」

 がきりっ、と男の歯と青い刃の間で鈍い音が鳴った。

 反応は辛うじて間に合った。無理に持ち上げた日本刀を両手に持ち替える。

 仰け反るような体勢になったのはイズキの失策だった。男が押し込んでくるのに、イズキが舌打ちする。

「汚え口で――」

 イズキは魔器を引いた。男はがっちりと刃を歯で挟んで離さない。

 強引に腕を引き戻す。二人の距離が近づく。

 吸血鬼ががばりと口を開けて、イズキの口筋に狙いを定める。そのときには、ハンターは男の胸に手のひらを当てていた。


「俺のモン咥え込んでんじゃねーぞ、このクソ変態野郎」


 先ほどまでの威勢の良さが嘘のように低く淡々と呟いて、イズキは終わりの言葉を口にした。

貫き通せサブルーム

 青年が呪文を紡いだと同時、吸血鬼の胸にぽっかりと大穴があいた。心臓を失った吸血鬼の体が、力を失ってずるりと頽れる。

「――はぁ……っ!」

 大きく嘆息して、一歩、二歩、イズキは後退した。

 すでに事切れた男が地面に倒れ込んで、彼の体が崩れていく。髪から、指先から、胸にあいた穴から。

 灰になって、ほどけていく。吸血鬼は、この世界に生きた痕跡を残さない。

 討伐の報告のために、灰を採集しなければ。

 考えながら、イズキは動けなかった。今さらのように震えだした指先を誤魔化すように握り込む。

 自分の手に落としていた視線を振り切るように、青年は顔を上げた。

 にい、と唇の端をつり上げる。ほとんど強引に。

「覗き見か、ヒサメ? ペギーの影響で性癖歪んだんじゃねーの」

 イズキの笑いかける先、吸血鬼を挟んで向かい側に、いつの間にか一組の男女の姿があった。

 青年はイズキの友人であり同僚であるヒサメ・セガール。女はヒサメのパートナーでありい、名をペギーという。

 呼びかけられたヒサメがひょいと肩を竦める。イズキと同年代の青年だ。

「やだなー、助けようとしてたんじゃない」

「相変わらず、失礼な男ね」

 つんとわざとらしく拗ねた表情を見せるパートナーの髪を、宥めるように梳いて。

 己の言を証明するように手の中の短剣をちらりと見せてから、ヒサメはくるりと手を翻した。手品のように短剣が消え失せる。

「その前に、一人で倒しちゃったけど」

 言いながら、指を鳴らす。やはり手品のように手の中に小瓶が現れて、ヒサメは小瓶の中に吸血鬼の灰を採集した。

 灰を踏み越えてイズキに近づき、ヒサメはイズキに小瓶を差し出した。

「はい、どぞー。君の功績だよ、イズキ」

「……」

 イズキはすぐには受け取らなかった。

 右手で日本刀を携えたまま、ぼんやりと小瓶を見下ろしている。一度、二度、青年は瞬いた。

「インセンティブ要らないの?」

 不思議そうに問うたヒサメに、イズキは嘆息した。

 この状況で、金の話とは。

 いや、とすぐに思い直す。話だ。吸血鬼ハンターは、慈善事業ではない。

 ハンカチーフを取り出して、青い刀身を丁寧に拭う。いつの間にか昇っていた半端な月に刃を翳して頷くと、青年は相棒である魔器を鞘にしまった。

「貰う」

 小瓶を受け取れば、ヒサメがくすくすと笑う。

「この一年、講師ばっかりだったものね。ハンターが稼げるのはやっぱり討伐だもの」

「……かもな」

「というわけで、はいこれ」

 ずいっと、ヒサメがイズキの眼前に一枚の書類を突きつけた。

 仰け反ったイズキが、胡乱げに友人を見やる。黒曜石の瞳が、文字列を読み上げた。

「討伐……指令書……?」

 ハンターに配される書類は、イズキにとっても見慣れたものだ。一年前、引退を決め込むまでは馴染み深かったといっても良い。

 こんなもの、今さら――。

?」

「そう、

 渋々書類を受け取ったイズキに、ヒサメがにこりと笑う。振り返って、ヒサメは己のパートナーを呼んだ。

「ペギー、どうだい」

「良いと思うわ」

 はっきりとした声で、ペギーが言った。

 ヒサメやイズキよりやや年嵩の女だ。実のところ吸血鬼である彼女は、見た目よりも遥かに長く生きている。

「ブランクもあるし、が亡くなってから新しいパートナーも作らずに引退を決め込んでいたから正直なところ心配していたけれど。先ほどの戦いぶりなら、簡単な任務くらいなら任せられるでしょう」

 ペギーの言葉に、イズキがぴくりと眉を上げる。

「『簡単な』だあ? 舐めてんのか、てめえ」

「あら、戦いから尻尾巻いて逃げ出した仔猫ちゃんが何か言ってるわね」

 噛みついた端から鼻で笑われて、イズキはちっと舌打ちして顔を背けた。喧嘩っ早い二人の間に、ヒサメがのんびりと割って入る。

「まあまあ。イズキは新しいパートナーと契約するつもりはないんでしょう?」

「そんなん――」

 言葉は続かなかった。それが答えだった。

 のほほんとヒサメが笑う。

「じゃあ、難しい任務は任せられないでしょう。だからといって、十四でハンター資格を取得した君ほどの才能を、いつまでも遊ばせておくのも惜しい」

 本国に吸血鬼対策機関はいくつかあるが、ハンターの絶対数は少ないのだ。ハンターには圧倒的な魔力か、戦闘能力が必要になる。

 イズキが休養を取得した際も、随分と渋られた。それでも希望が通ったのは、イズキが

「ハンターを続けていればいずれは気が変わるかも知れないし、まずはお使いからってところじゃないの?」

「『お使い』ねえ……」

 鼻を鳴らして、イズキは書類の内容を確認した。

 二人の上司、ティモシー・カークランドのパートナー、ラリーが単独でアサイン予定の討伐任務の補佐。

 人間を襲い始めた吸血鬼の討伐。予測数は一体。

 混血貴族種であるラリーにとって、大抵の吸血鬼は格下だ。それに彼は元々、戦闘能力に秀でている。

 被害の小ささから、相手は恐らく一般種か転化種。ラリーにとっては相手にもならないに違いない。

 相方のハンターが上層部であり動きづらい立場にあるために、ラリーはもともと単独で動くことも多い。本来ならば補佐など必要ないはずだ。

 だから、これは。イズキのための任務だ。

「確かに『お使い』だな」


 ――胸に抱く、青がある。


 日本刀の柄を、ゆるりと撫でる。無意識の仕草だった。

「ティモシーに伝えろ」

 イズキはぴしりと指令書を指で弾いた。


「この任務、イズキ・ローウェルが引き受ける」

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