第2節 一ノ瀬、俺のために生贄になれ

 東南とうなん高校の廊下には、放課後ということもあってか、すれ違う生徒などおらず、人の気配などはない。廊下の開け放たれた窓からは、野球部が放ったのであろうカキンという甲高い音と、吹奏楽部の奏でる演奏が、流れ込んでくる。

 そんな音を聞きながら龍崎りょうざきは、眼の前を歩く涼香すずかの後ろ姿を眺め「これは不法侵入というヤツなのでは?」と心配していた。


 あの後、2人は下駄箱までやって来て「コイツ、上履き持ってねーだろ」と龍崎が涼香の足元を見ると、既に上履きを履いていた。しかもその上履きは東南高校指定のモノであり、そんなモノをどこで手に入れたのか龍崎には分からなかった。


「なあ。‥‥‥さっきのはアレ、何だったんだ? つかその制服どうなってんだ」


 龍崎は涼香の後ろ姿を眺めながら気になっていた疑問をぶつける。一瞬にして赤椿高校の制服から東南高校の制服へと変化。いったい、どんなトリックを使ったのか龍崎は知りたかったのだ。

 すると涼香は振り返って龍崎に顔を向けることなく、口を開いた。


「ただの変装ね。……私たち『スレイヤー』は色々と小細工ができるのよ。と言っても服装を好きに変えることと、身体能力とか五感を底上げするぐらいしかできないけれど」

「はあ。小細工、変身……あれか? 戦隊ヒーローの変身スーツ的な?」

 そう龍崎が質問すると、涼香は制服のブレザーをチョイと持ち上げる。

「正確に言えば変身スーツとは違うけれど……。そうね。昨日、私が着ていたあの服は『バンカラ』って呼ばれていて、身体強化がなされる服なのよ。ああ、でも今纏っている、この服は『バンカラ』ではないわ。ただの変装。で、『バンカラ』を纏って『カワイガリ』を狩るのが、私たち『スレイヤー』という似非ヒーロー」


 龍崎は目を細め、前を歩く涼香の後ろ姿を眺める。本気でそんなことを言っているのかと、そう思ったからだ。


「……じゃあ何か? お前はマンガとかアニメの世界みたいに『カワイガリ』って言う化物と闘ってて、その結果をして一ノ瀬に用事があるってか?」

「その通り。昨日はあの黒ジャージに湧いた『カワイガリ』を狩り出すためにあの路地にいたの。じゃないとあんな場所に用事はないわ……次どっち?」

「はー、なるほど。なるほど。へぇー。よくわからんけど。まあいいや。左だ」


 浮舟と龍崎は廊下を左に折れ、二階渡り廊下へと続く扉を潜り、そのまま進んで行く。

 涼香は曲がり角に来るたびに、いまの様にして龍崎に道順を確認している。

 龍崎の通う東南高校を俯瞰して見ると、カタカナのエの字のような形をしている。北側の移動教室群が入る校舎を特別連棟、南側の一般教室や職員室が入る校舎を一般連棟、そして2つの校舎は渡り廊下によって繋がれている。西側には運動場や体育館、部室連棟。これが東南高校の見取り図となる。

 2人が目指すは一ノ瀬の所属する『自己援助同好会』。その部室は特別連棟の最東端に位置していると、昨日、赤楚との会話で聞いていた。


 と、渡り廊下の中腹あたりで「ところで」と言って涼香が振り返って立ち止まったために、吊られるようにして龍崎も立ち止まる。

 涼香は微笑みを蓄えた顔を龍崎へと向けた。


「で、今日これからすること。それは一ノ瀬さんの悩みを聞くことなの」


 そう言われて龍崎は固まった。いったいなにを言っているのかわからなかったのだ。


「……なに言ってんのお前」

「だから、一ノ瀬さんのお話を聞いてあげて。そうすれば『カワイガリ』が弱体化して、私の仕事がやりやすくなるわ」

「は、はぁ?……は?」


 龍崎は必死に理解しようとしたが、それでも意味が分からなかった。一ノ瀬に湧いた『カワイガリ』とやら狩るために、なぜ一ノ瀬と会話をしなければならないのかと。

 すると涼香は「そうね……」と前置きをする。


「まず、『カワイガリ』の根源にあるのは人間の抑圧された感情とか欲求とか衝動なのよ。『こうしたい、ああしたい。でもできない』って気持ね。でも本来、人間にはそれを抑える力がある。けど私たち。つまりヒュドラ君や私のような年齢ぐらいの人間の中にはその感情とか欲求とか衝動を抑えきれなくなる人間もいるわけ。そしてそれが表に湧き出るのが『カワイガリ』よ」


 涼香はそこで言葉を区切り、龍崎をチラリと見た。理解度合いを確かめているのだろう。

 そのことに気が付いた龍崎は返事の代わりに、

「てことはなにか? 抑えきれない気持ちが悪さして、昨日会った不良みたいに化物になるってことか?」

 と言った。すると涼香はコクリと頷く。


「だいたいそんな感じね。その人の悩みやわだかまりが具現化する、とでも言うのかしら。で、そんな『カワイガリ』を狩るうえで『スレイヤー』が絶対にしなければならないこと。それが『カワイガリ』の弱体化。弱らせた上で狩る、ということ。というより、そうすることで『スレイヤー』の負担が減るの」


 そう言われて龍崎は一応、首を縦に振った。『スレイヤー』は『カワイガリ』を狩る。その過程で『カワイガリ』を弱体化する必要がある、と。

 すると涼香は腰に手を当て小さく溜息をついた。


「そしてこの『カワイガリ』を弱体化させる方法なのだけど、これが厄介でね……」


 そこで涼香はジッと龍崎を見た。見つめて間を取る。

 そんな涼香の眼に、龍崎は喉を鳴らし唾を飲み込んだ。彼女の眼に憂いのようなものを感じたからだ。いったどんな方法なのだと。

 すると涼香は小さく息を吸い、口を開いて、言い放つ。


「………………対話」


 龍崎はあっけにとられ、口が半開きになった。


「……た、対話? 対話? 対話ってあの話すアレか? お喋りの?」

「その通り。『カワイガリ』の元になっている悩みやわだかまりを聞いてあげるの。そうすれば『カワイガリ』は弱体化するわ」

「…………なんだろ? ぜんぜんわかんねぇ。話し合いでなんで『カワイガリ』が弱体化すんだよ」


 そう言って龍崎が首をひねると、涼香が「んー」と唸ってから口を開いた。


「映画や漫画の戦闘シーンで会話しながら闘ったりするじゃない。で、会話の優勢劣勢でピンチだった主人公が勝ったりするとかあるでしょう。アレと同じだと……まあぜんぜん違うと思うけれどそんな感じよ。ま、この話は『スレイヤー』講習で習うわ」

「……いや、まあそんなシーンとかあるけどよ。敵と会話して主人公が信念通して、打ち勝つとかあるけどよ。……てかなんだ講習って」

「私たちは秘密結社だから講習があるの」

「……」


 龍崎は腕を組んで考えるが……意味が分からない。『カワイガリ』はお喋りで弱体化する性質を持つ。意味がわからないというより……。


「‥‥‥へっ」


 と、半笑いを浮かべた龍崎は可哀そうなモノを見る目で涼香を眺める。浮舟涼香という女は頭のネジが飛んでいるに違いない。きっと大切なものママの腹の中に忘れてきたに違いない。だからいままでの発言も、きっと嘘にきまっている。そんなデタラメ信じられるはずがない。だが、この女に抵抗すれば、学校に『お宅の生徒さん』一報が入れられる。脅されている。となれば、適当に話しを合わせるだけ。気のすむまで妄想に付き合うだけ。つまりそのためには……。


一ノ瀬いちのせ。俺のために生贄になれ)


 龍崎は組んでいた腕を解き、涼香に先立って歩き出した。


「オーケー、オーケー。良く分かった。じゃあ俺が一ノ瀬との間を取り持つから、とっとと終わらせようぜ」


 すると涼香は「あら、いきなり物分かりがよくなったわね」とニコリと笑い、龍崎の後を追った。

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