新編 災禍の都 Episode1

不死鳥ふっちょ

序章

 分厚い板金鎧プレートメイルの中で、肌が粟立つ。理屈では説明しきれない、戦士としての勘が戦いの始まりを告げているのだ。


 薄暗く、しかし広い通路だった。白い鎧に身を包む金髪の男の両側に、一人ずつ、奇妙な形の刀剱を構えた男が立っている。片方はまだ若い男だが、もう一方は老練という言葉が似合いそうな初老の男性。その互いが十分な距離を取り、剱を振るったとしても、何等支障をきたさない程の幅を持つ。


 奇妙なのは、二人が中央の戦士に比べて極めて軽装である点だった。


 若い男のほうはまだ、戦士としての装備を着けていた。しかし金属の鎧ではなく、胸や肩などを覆う動物の革によるものだった。動物の革を特殊な蠟剤に浸して硬く仕上げ、内側には薬草でなめした革をさらに張り付けて強度を上げている品だ。


 しかし、老齢の剱士はどうだ。布でできた衣服を身に纏うのみであった。踝までの長い裾の服を腰のあたりで帯で結わえただけの、およそ戦士として戦うには信じられない装備であった。まるで魔術師のようでもあったが、彼の手にあるものは紛れもない刀剱だ。


 彼等が歩いていたのは、互いが十分な距離を取り、剱を振るったとしても、何等支障をきたさない程の幅を持つ廊下だった。天井の高さも、これに比例して高い。断面図が巨大な正方形となるような、自然に構成されたとは思えぬほど精緻な規模を持つ通路なのだった。


 三名の男の背後はさらに二人の人影が見てとれた。片方の青年の携える杖の先端に、僅かな光が宿っている。その光は、通路はほぼ端から端まで、一応は確認可能な程度の光量なのだが、それとて天井までを照らし出すまでには及ばない。青年の隣にいるもう一人は小柄な影が見えるのみ。


 巨大な通路に五つの人影。その誰もが、歩みを止め、じっと眼前にわだかまる闇を見据えている。


 金髪の男の気品が感じられる凛々しい口元や、いつもなら調子のいい軽口ばかりをしゃべりそうな若者の表情からも、彼等が対峙しているものが並々ならぬものであることを物語っている。


 静寂、ではない。現に今も、闇の中からくぐもった音が聞こえてくる。


 人の声、というよりも獣の唸り声にも似た響きを持つそれに応じるかのように。


 青年が声高に詠唱を開始した。


 呪紋、と呼ばれる一種の特殊技能である。特殊な韻律をもつ定型呪句を唱えることで人智の及ばぬ力を行使できる者たちの操る力だ。各地には様々な流派が無数にあり、人はその力とともに生きていた。


 その詠唱が終了すると同時に、前方の闇から巨大な火球が恐ろしい勢いで飛来してきた。地獄の業火とも思しき光景を前に、青年は慌てる素振りすら見せずに杖を掲げ、そして床と水平になるように横に構える。


 その瞬間、火炎が五人を包んだ。


 否、火炎は確かに着弾した。しかし紅蓮の炎は五人の身を焼くことはなく、また荒れ狂う風と炎熱が喉を炙ることさえなかった。渦を巻く火炎は激しい上昇気流を生み、廊下に風鳴りの音が響く。青年の用いた呪紋は、相手が火炎を放つことを読み、魔力の壁を生み出すものだったのだ。


 その壁の向こう側から、もう一つの詠唱が沸き上がった。


 その声の主は、青年の隣に見える、年若き一人の少年であった。


 両の目を閉じ、先刻とは異なる響きを持つ声で。


 先刻の青年の呪紋が子守歌のように静かに、聞く者を宥め慰撫するかのようなものであったのに対し、少年の声は怒気を孕んでいるかのように激しく石の壁を打つ。


 最後の一音が発せられると同時に、壁は消滅した。


 破られたのではない。少年の詠唱の終了と同時に青年が護りの術を終了させたのだ。


 火球の飛来してきた空間が、紅く照らし出された。


 その中に、火球呪紋の主と思われる数体の影が見て取れた。骨張った躯に、異様に長い手足、背には一対の翼。下級魔族が舞う廊下の床から、光は放たれていた。


 それはただの光ではなかった。呪紋によって出現した、焔王との契約の紋章。それが輝きを増したと感じられた瞬間、契約は履行された。


 直下から先刻の火炎と同等以上の炎の渦が出現した。炎を操る魔族であっても、それは単に攻撃する手段に過ぎない。焔の精霊ならともかく、自らを火炎から護る手段が低位の魔族にあろうはずもなかった。


 逃げ場のない紅蓮の牢獄。その苦痛に耐え切れず、一体の魔族がこちらへと突進をかけてきた。黒い皮膚から白い煙を上げつつも、牙を剥き錯乱フレンジーの効果を宿した咆哮を上げて襲い掛かってくる。


 だが、それは虚勢に終わった。


 前衛の三人の戦士に牙が届く前に、魔族の首は胴と別れを告げた。下方からの銀閃が、的確に魔族の喉笛を捕らえていたのだ。


 左側に立つ、初老の剣士の手には、僅かに反った細身の剱が光っていた。


 苦悶の声を上げることもできずに床に叩きつけられた魔族の醜い躰は見る間に硬化し、罅割れ、石像と化していった。


 五名が敵の気配を察知してから、最後の魔族が倒されるまで、僅かに二分半。剱を鞘に収める微かな音が、戦闘の終了を告げた。


 つい今し方、炎の呪紋を唱えていた少年が、溜めていた息を大きく吐き出す。


「疲れたか?」


 金髪の男は、振り向いて少年に尋ねた。


 呪紋による高揚感から肩を上下させている少年は、首を横に振った。


「力は残しておけよ。帰りの分も計算に入れろ」


 少年はそれには答えず、足早にその場を離れると、魔族の死骸に近づいた。自分で倒した分は、既に炭化し、塵となっている。かろうじて原型を残している骸は声なき呪詛を吐き出すかのように、かっと口を開いていた。


 その一部で、何かが光った。


 少年は屈み込んで、手を伸ばした。魔族の禍々しい指には不釣り合いな指輪がそこにはあった。


「指輪」


 少年の声に反応したのは、青年であった。額にかかる髪をかきあげつつ、近寄る。


「呪詛がかかっている様子はありませんね……触るだけなら、危険はありません」


 青年の言葉に頷いた少年は、力任せに指輪を引き抜いた。細い指は、半ばほどでもろくも折れた。


「まだ早いですが……そろそろ戻りませんか。この指輪にもし危険な力があるとすれば、予測もつかない事態になることも考えられます」


「そうだな」


 振り向いた青年が提案する。指輪を見つけたことを責められていると勘違いし、あからさまに抗議を示す顔をした少年だったが、金髪の男に同意され、言葉を失う。金髪の男はさらに背後にいる、初老の剣士に振り向いた。どうやら、この男が一行の頭らしい。


 五名がその場を離れ、再び静寂の闇がもたらされるまで、そう時間はかからなかった。

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