第七章 島原の風に揺れる命ひとつ─後編



壬生の桜。


恐らく悠久の時の流れの中で新撰組の隊士達も少なからず同じ思いでこの桜の木を見上げたことだろう。

血で血を洗う新撰組の日常、自らの死への覚悟、葬られし者への残心。

死というものと背中合わせに生きている彼らにとって年に一度咲き乱れる、満開の桜の花の、絵も言われぬ生の喜びは迫り来る死の恐怖を打ち払ってくれるには相応しいものだったのだろう。












「実はどうも会津の殿様の様子が近頃ちっとばかし、おかしいって話があって・・」



京都守護職会津藩主、松平容保は居並ぶ諸侯の前で自分はこの世の者ではないと叫んだらしい。



「それに加えて、ことあるごとに予言めいた事を口走ってるらしい。そこでピンと来たんだけど、あんたらの仲間じゃないのかい?今の 殿様は」


「それは・・・」


美音が口ごもりながら私に戸惑いの目を向ける。


ぱるさんが言ってよ、口元はそう言っているように見えた。


「松井珠理奈・・・」

そう、今にして思えばあれが全てのは前兆だったのかもしれない。



2018年、

桜の綻びが目につくようになった春まだ浅い3月の中頃、私は京都は壬生に居た。

坂本龍馬役が決まってから何か体調がすぐれない、夢でうなされ眠れない日もが続いていた。オカルト的なものは信じる方じゃないけど、役に思い入れがある分、そんな自分のこだわりが何かしらの影響を身体に与えているのかもしれない。


坂本龍馬と言えばもう今では京都の化身みたいなもの。神と崇めたてる人も少なくはない。近頃では龍馬役を受けた俳優は必ずといっていいほどお祓いを受けるものらしい。



「ぱるもそれなりのものを受けておいた方がいいいかもしれないね」



「そのうちにね」


忍さんの助言もそんな言葉で右から左へ聞き流した。

坂本龍馬が神様か悪魔かどうかは知らないけど、役を受ける度にいちいちお祓いしていたら女優なんてやってられない。

敬意を込めてその役に対して真摯に演じればいい。

要は気持ちの持ち方ひとつ、流されて生きていたらこの世はこれほど窮屈なものはない。



ただ、周りで起きているちょっとした異変が忍さんを始めスタッフの心を尖った物にしていたのは確かだった。


機材が無くなる照明が突然消える頼んだはずの弁当が届かない。

メンバーの出演調整がままならない。病気でも事故でもなくスケジュール調整はしているはずなのに遅刻や欠席が目に見えて多い。


メインロケ地にしていた壬生寺の住職さんの話によるとそれは別に珍しいことじゃないらしい。


「古都1200年のなかでも幕末は特別な時代。とりわけ新撰組隊士達の御霊は地縛が思いの外強い。古来からある京の四神を越えたところに彼らもある、そう思って間違いない」

変に神経を使いすぎて自らが非日常を造り出してしまう、そういう側面も少なからずあるのだろう。ただ今ここで起こっている現象をそれだけで片付けてしまうのは無理が多いような気がしていた。


何かが起こるかもしれない、みんながそう思い始めたとき、それは起こった。




京都市中、鴨川辺りでの撮影中、昼休み明けになっても珠理奈が現れない。一時間、二時間と時を過ぎても珠理奈待ちが続く。


そこへロケの前線基地でもある壬生寺から連絡が入る。


「松井珠理奈が桜の木の下で倒れている」








もしかしたらあのとき珠理奈はあの僅か半日程の眠りのなかで

過去へ戻り幕末から明治維新にかけての二十数年間を経験したのかもしれない。



「まついじゅりな・・・。会ってくるかな」


「勝さんが?」


「お前さんも行くかい? というより行って欲しいんだが」


坂本龍馬は会津に追われる身、行けば命の保証は勿論ない。


「坂本龍馬を会津に連れて行こうなんて俺もどうにかしてるけど

会って歴史が変わるんなら、其れもありなんじゃねえかな。

それだけ死なずにすむ人間がいるってことだ」



年下だけど先輩、いつも会うたびに感じる微妙なその距離感は私は嫌いじゃなかった。




目をあわすだけで分かり合える、


そんな仲では決してなかったけれど、互いのAKBに対するその姿勢には通じるものがあった。














「無駄な戦いはもうさせないってこと?」




「できれば」




「無理でしょうね」




「何で解る?」




「メンバーならみんな解る、仲間なら珠理奈が退かないのは想像できる。侍の魂を受け入れてしまった彼女なら尚更」




私の言葉に大きく頷く美音。


(だからぱるさん、行かない方がいい)


美音の目力がまた強くなる。潤んでその大きな黒い瞳が一段と大きくなる。


ここにも死なせてはいけないひとつの命が揺れている。




「乗った船ならもう降りる訳にはいかんがやき、美音」




「ほっほっ、龍馬がまた出よったわ」


勝がまた笑う。


両脇に控える若侍の二人もようやく表情が和らぐ。今何が起こっているのか。目の前にいる輩は何者なのか。主君である勝の笑いが彼らの緊張の糸を溶かしていく。




「ただ、そのじゅりなの殿様、えらいもんをしょい込んだようだ」




「・・・・」




「自分は将軍になると言ってるそうだ、取り巻きに」




「・・・・」




「成るのか?歴史では松平容保が将軍に」




「成らない・・・はず」




「だろうな。成れるはずはねえ」




戻れるなら、戻りたい、あの日、桜の下で倒れていた珠理奈は


三日三晩そう言ってうなされたそうだ。




このあと松平容保は白虎隊の悲劇、重臣の切腹、会津城炎上と地獄の惨状を目の当たりにする。


そして新政府によって、屈辱の20数年間にも及ぶ蟄居隠遁生活を強いられることとなる。


それは私たちにとって見れば、ある春の日の午後のほんの数時間の出来事にしかすぎなかったわけだけど・・・

















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