八章:三元融界の果て 8


 マラコーダが敗する。

その有様を目の当たりしたエイケンが、忘我したように立ち尽くし、白痴のように言葉を囁く。


「莫迦な……マラコーダが、敗れるというのか? 我が傑作。異形の王。悪しき爪の長たるマラコーダすら……勝てぬのか。魔女には……」

「――魔女に、じゃあないよ。ハサウェイ」


 いつの間にか彼の前に立ったアゼレアが、はだけた胸元を抑えながら彼を見据える。


「貴方たちは彼らに負けたの。トーリと、グレンデルに。母の――ベアトリーチェの弟子だから、彼らは君に抗ったんじゃない。母に関係なく、彼らは貴方たちと相対することを選んだ。それは、主張と主張のぶつかり合いだ。彼らの望む現実と、貴方の望む、有り得たかもしれない世界。そして、彼らが――今ある現実が、貴方に勝ったんだ。そして――」


 アゼレアはそこで言葉を区切り、そして――何処から取り出したのか。いつの間にか、彼女の手には重厚感漂う奇形の銃が握られていた。


「――貴方を殺すのは、私だよ。私から母を奪い、未来を奪った……観測者ハサウェイ」

「ならば、裁を下すがいい。魔女の娘、アゼレア・バルティ。ただし――私もまた、ただでは死ぬまい」


 見据えるアゼレアの視線を正面から受け止めたまま――ゆらりと、エイケンはその諸手を挙げて。


「ああ、エイダ。我が姉弟子よ。我らの大望は最早叶わず。階差機関が齎す栄華は露と消えてしまった。ならば――そう。最早叶わぬ夢だというのなら……藻屑と消えろ。ノスタルギア」


 ――カチリと。

 頭上で、一際大きな音がした。

 すると――沈黙をしていた機械が、《生命機関》が再び淡い光を発し始めた。そしてその光は次第に眩さを増していき、周囲が激しく鳴動し出す。

「何をした!」再び動き出した《生命機関》の姿を目にし、アゼレアは鋭利な眼差しと共にエイケンを恫喝する。

 そんな彼女を前に、しかしてエイケンは嘲るように口元を歪めた。


「万が一の保険というものだ。言っただろう。言葉通りの意味だ。塔の地下――《生命機関》を動かすのに設置した、無数の大型演算機械を暴走させた。あとは《生命機関》の動力である粒子加速炉が過剰加速し続け――ノスタルギアは、光と共に消え失せるだろう」

「何故……そんなことまで」

「それも、言っただろう? 叶わぬ夢だというのならば、そんなもの、存在しなければいい」


 そうすれば、夢見なくて済む――そう言って、何処か満ち足りたように笑うエイケンを、


「何処までも愚かだな、観測者ハサウェイ――いいや、ハワード・ハサウェイ・エイケン」


 そう、哀れみの言葉と共に、アゼレアは引き金を引いた。

 パンッ――と、空気の爆ぜるような音がして。

 ゆっくりと、エイケンの身体が傾いた。

 胸元に小さな風穴を開けて。

 静かに広がっていく血溜まりに倒れたまま、彼は――


「名声……などではない。ただ……同じ世界を……この目で見たかった……ただ、それだけで――」


 その言葉を最後に、ハワード・ハサウェイ・エイケンは、ゆっくりと目を伏せた。

三つの次元を跨いで、世界を変えようとした男は――夢半ばのまま、二度とその目を開くことはなかった。



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