10-Ⅰ 敵の敵は味方 Our Hostility is our Fraternity


 御伽社おときしや病葉わくらば帚木ははきぎの元に、メアリーから緊急通信が入った。

『先日の狼型眷属が再出現しました。場所は――』

 病葉と帚木は、それぞれの戦闘装束に着替える。病葉は下腹部が菱形に切り抜かれた白いワンピースにスパッツとニューバランスのスニーカーを、帚木は背中に虎と龍の刺繍がある赤いスカジャンにダメージ加工の施されたスキニーパンツとミリタリーブーツを着用した。

椋路むくみちは?」

『端末に呼びかけましたが、応答がありませんでした』

「あの馬鹿のことだから、彼氏を捜してるのかもしれない」

 だとしても職務をほうり出して私情に走るのはご法度であるが。新人教育も楽ではないと帚木は溜め息をつく。

「まぁ魔法少女が二人いればどんな敵も赤子の手よ――コードネーム、マッチ・セラー、出動準備完了」

「それじゃあ行きましょうか、先輩――コードネーム、グレーテル、準備OK」


 狼型眷属が出現したという場所に向かう道中、グレーテルの面持ちはかなり緊張しているようだった。無理もない。グレーテルは先日今回の眷属に手酷くやられている。素直にリベンジマッチと切り替えられればいいが、魔法少女とはいえ堪えたものがあるのだろう。これはほぐしてやらねばとマッチ・セラーは考える。

「大丈夫? 今回はわたしもいるし、前みたいな事態にはさせないよ。グレーテルはわたしが守るから」

「……ありがとうございます。でも、それだけじゃないんです。なんというか、自分でもよく分からないんですが……」

 うーん、とグレーテルは眉根を寄せる。

「ともあれ、私は大丈夫です。先輩の足なんて引っ張りませんよ」

「グレーテルがそう言うならわたしはいいけど……」

 にこりと笑うグレーテルに、マッチ・セラーは彼女から向かう場所に目を向けて――、


「グレーテルッ!」


 グレーテルを突き飛ばした。

 尻餅をつくグレーテルが何があったのかとマッチ・セラーを見ると、マッチ・セラーは巨大な赤黒い塊にのしかかられていた。否、間違いなく、あの時の狼の異形だった。

「ガルルル……ゥルァオオオオ……!」

 異形は今にもマッチ・セラーのくびを食い千切らんと鋭利な牙をがちがちと鳴らしており、それをマッチ・セラーがすんでのところで耐えていた。

「――っ、お兄様ヘンゼル!」

 グレーテルが唱えると、忽ち岩人形ゴーレムが現れる。

 岩人形ゴーレムはグレーテルの指示に従い異形を殴り飛ばすと、グレーテルとマッチ・セラーを守るように立つ。

 殴り飛ばされた異形は空宙で身体を翻し無傷で地に降り立つ。しかし岩人形ゴーレムの攻撃をまともに受けて無傷でいられるはずがない。もしや一瞬のうちに再生したということだろうか。だとすれば、侮ってたおせる敵ではないだろう(もっとも、端からそのつもりは毛頭ないが)。

「こいつ、一体どこから!」

 突如として現れた敵に警戒を払いながらも、グレーテルはマッチ・セラーに手を差し伸べる。

「細工も何もない、あいつは、ただ真っ直ぐに正面から跳んできた」

「跳んで……!?」

 魔法少女の五感は並の人間を遥かに凌駕する。それを更に凌いで急襲をかけるなど、尋常の膂力りょりょくではない。

「まぁいい、こっちから捜す手間が省けた!」

 グレーテルの手を取って立ち上がったマッチ・セラーが拳を握り、グレーテルは岩人形ゴーレムを三体従えて後ろに控える。

「リリカルマジカルキルゼムオール」

「リリカルマジカルキルゼムオール」

 二人が唱えるのと、狼の異形が跳躍するのは同時だった。

 異形は岩人形ゴーレムを無視してマッチ・セラーに一直線に跳び、血に濡れた爪を突き立てようと迫る。それをすんでのところで躱し、マッチ・セラーの炎を纏った拳撃が左脚に直撃するが、次の瞬間には火傷の痕すら残さず再生する。着地した異形は追随するマッチ・セラーに爪を逆袈裟ぎゃくげさに振り上げ、マッチ・セラーは咄嗟に両腕を交叉こうささせそれを防御した。腕の肉が抉れ、血が飛び散る。痛みに眉をしかめるが、それも一瞬のことで、逆再生するように元の通りになる。異形は岩人形ゴーレムの攻撃を掻い潜りながらグレーテルに接近、先程マッチ・セラーを負傷させた爪を上段から振り下ろす。

お兄様ヘンゼルッ!」

 グレーテルの一声で地面が隆起し腕の形をとると、その腕は異形の爪を受け止めた。その時に生じた隙を狙い背後からマッチ・セラーが摺り足で発火させた足を人狼に向け放つが、異形は一瞥をくれることもなく横に跳躍しこれを躱す。

「グルァオオオ……!」

 アスファルトに火花を散らしながら両腕と両足の爪で跳躍の勢いを殺し、マッチ・セラーとグレーテルの出方を窺う異形。

「グレーテル、気付いてる?」

「はい。あいつは、眷属にしては異様です」

「あまりにも、わたし達を狙いすぎてる」

 眷属は、世界を滅する厄災に加担する存在であり、それは即ち、人類の生活の基盤である文明、市街の破壊は欠かさないということである。

 が、この狼は、奇妙なことに市街の破壊は一切行わず、魔法少女への攻撃のみに終始している。理性からの謀略などない、ただただ生来の連続殺人鬼シリアルキラー性を遺憾なく行使しているかのようだった。厄災に与する存在というよりは、自らの衝動に従事する存在であるという方が幾分か的を射ているであろう。

 牙や爪に付着した血液は、二人が遭遇するまでにその衝動の命じるまま数多の人間を屠り食らった証左だ。貪婪どんらんなる獣の瞳に理性らしきものはなく、一種の機械のようでさえあった。

「……っぐ」

 それを認識したグレーテルは、視界が一瞬ぐらりと揺らぐ感覚がした。自分のはらわたを食い散らかされ、蹂躙された記憶が克明に蘇る。はらの中を好き勝手にいじくり回し、溢れる血を啜り、一切の抵抗をものともしない捕食という本能の権化。顔を爪で抉られても抗するグレーテルはその時、体内魔力を異形に奪われ、精神は動揺と焦燥に苛まれ、岩人形ゴーレムを錬成することもできずただ貪られていることしかできなかった。

 グレーテルは本人ではなく岩人形ゴーレムという道具を用いて戦う魔法少女だ。故に、他の魔法少女とくらべて自身が傷付くことの心理的耐性が低かった(生物としては至極当然だが、それは魔法少女にとって致命的だ)。魔法少女グレーテルは自身の負傷を前提とした戦闘ができない。そして前回は、その生物として不可欠な本能によって敗北を喫した。自身が傷付き血を流すことに対する忌避が、彼女に辛酸を舐めさせたのだ。魔法少女としての矜恃きょうじに汚泥を塗りつけたままではいられないと今回奮起して戦闘に訪れたが、戦慄、怯懦きょうだ、恐怖がそのグレーテルの邪魔をしていた。

 その状態を好機と捉えたのか、異形は再びグレーテルに向けて地を蹴った。

 マッチ・セラーはグレーテルを庇うように一歩踏み出し、異形の下顎部へのアッパーで迎え撃つ。異形はその場で蹈鞴たたらを踏み、その隙にマッチ・セラーは周囲のアスファルトを炎上させ、幻影を発生させる。今異形には、マッチ・セラーとグレーテルの虚像が見えているはずであり、一度戦線を離脱しグレーテルの体勢を立て直すのが最優先の目的だった。

「――ッ!?」

 が、幻惑は異形を欺くに能わず、炎をも無視した爪による刺突が炎の幕を貫いて迫る。それを間一髪で躱したマッチ・セラーは瞠目した。

「幻惑が効いてない!?」

 どういう理屈か、視覚のある存在は今まで例外なく効果のあった幻惑が、この異形には全く意味をなしていないようだった。

 驚駭きょうがいするマッチ・セラーを余所に、異形は唸りをあげて再び身を低くする。狙いはグレーテル。先程の攻撃を躱して体勢が崩れたマッチ・セラーは、異形が跳びかかるのに間に合わない。

(やば……っ!)

 世界がスローモーションで動く。異形の脚に力が込められるのも、その先でグレーテルが息を呑むのも、全てがゆっくりと動いて――。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る