8-Ⅳ 毫釐の差は千里の謬り Between a Regret and an Impatience


 さて、とロートケプヒェンはマッチ・セラーに向き直る。

「あとは雑兵狩りッスね」

「そうだね。まぁ、そんなに苦労はしな――って、え?」

 マッチ・セラーの顔が急に青ざめたのに気付いて、ロートケプヒェンはその視線を追う。

 母蜘蛛は完膚なきまでに粉砕した。したのだが、仔蜘蛛はそうではなかった。仔蜘蛛は母蜘蛛の灰に群がって、母の遺灰を、食っていた。やがて彼らは遺灰を全て平らげると、今度は最も体躯の大きい個体が、他の仔蜘蛛を食う――共食いを始めた。

「……はァ?」

 ロートケプヒェンは瞠目した。

 仔蜘蛛の魔力は母蜘蛛に依存しており、母蜘蛛を撃破すれば自ずと仔蜘蛛も各々の残存魔力を消費して消滅するものと思っていた。が、母蜘蛛の魔力の残滓ざんしを取り込んで、あまつさえ共食いまでしてその残り少ない魔力を統合するなど、誰が考えられようか。

 ロートケプヒェンには、その合理性を只管ひたすらに突き詰めて個を抹消した行動が、種の生存本能と称するにはあまりに逸脱していると思えた。

 否、逸脱してはいない。例えば畏敬を以て海のギャングと呼ばれるホオジロザメは、母体の胎盤の中で最も早く孵化ふかした仔が他の卵や後に孵化した仔を食い尽くし、そうして海に生まれる。弱肉強食の世界では、同胞を食らうほどに強くなければ、生き残れないのだ。

 呆気に取られている間に、全ての仔蜘蛛を食らい尽くした最も大きな個体が成体となり、先程殺した母蜘蛛と遜色ない体躯を獲得していた。

 鋏角をがちがちと鳴らして、蜘蛛は鋭利な脚を振り翳した。

「――ッ、こいつァ丁度いい。雑魚ばっかり狩る無双ゲーは嫌いなんだよなァ!」

 我に返ったロートケプヒェンがチェーンソーのエンジンを再起動する。マッチ・セラーも続いて、足首を回しながら指の関節をこきこきと鳴らす。

 蜘蛛は身を屈めて、身構える彼女らに飛びかかる――ことはなく、糸疣しゅうから糸を出してビルの壁に着地した。そしてマッチ・セラーに焼き払われた白城を再び築き始めた。

「なるほどね、調虎離山の意趣返しか」

 地上戦は魔法少女の独壇場だ。ならば自らの得意とする土俵に誘い込む。どうやらこの新生蜘蛛眷属は、(彼女らにとっては好ましくないことだが)その辺りの判断ができないほど知能は低くないらしい。

 しかしまた、その誘いに乗るほど彼女ら魔法少女も魯鈍ろどんではなかった。

 マッチ・セラーは近くに落ちていた道路標識を拾得し、指で擦って火を点ける。ロートケプヒェンは手頃な一辺一メートルほどの瓦礫を拾う。

 そして二人は、特にタイミングを合わせようとすることもなく、同時に助走をつけて手にした物を蜘蛛に向かって投擲した。

 築城途中であることなど考慮の余地もない。というより、完成すれば厄介な状況になることは火を見るより明らかだった。

 弾丸の如く射出された道路標識と瓦礫は、巣の蜘蛛の近くを貫き、そのまま奥のビルの外壁に突き刺さる。

 穴の空いた巣は蜘蛛の体重を支えることができなくなり、絹を裂くようにして蜘蛛を墜落させた。

「そうは問屋が卸すかよ! 地面には下ろしたけどなァ!」

 跳躍したロートケプヒェンが、蜘蛛が身を起こすより速くその身体に飛び乗り、チェーンソーを突き立てる。母蜘蛛と寸分違わず同じ位置、心臓に向けて。

 が、狙い過たず切り裂くはずだった心臓は、僅かにずれていた。

 次の瞬間、動揺によりチェーンソーを抜くのが遅れたロートケプヒェンに刺突が迫り、右の肩口を抉った。

「ッが……!」

 ロートケプヒェンは一旦チェーンソーを抜くのを断念し、蜘蛛の刺突範囲から脱出する。

「大丈夫、ロートケプヒェン!?」

「ただの掠り傷ッスよ。それより、おかしい」

 どくどくと血が溢れる傷口を再生させるのに集中しながら、ロートケプヒェンは舌打ちをした。

「おかしいって、何が?」

「心臓の位置ッス。さっきと間違いなく同じ場所に刺したはずなのに」

 肩が完全に再生したのを確認し、ロートケプヒェンは押さえていた手を離す。

「確かめてみるしかないか。とりあえずロートケプヒェンは下がってて」

 負傷を慮ったのか、マッチ・セラーがロートケプヒェンを庇うように一歩前に出る。

「いやいいッスよ。テメェのケツくらい自分で拭きますって」

「いいからいいから。武器はちゃんと取り戻してあげる。あと、ケツじゃなくてもっと上品にお尻って言いなさい」

「オカン……?」

 言葉を変えたってその指すところは同じなのに、些末なことを気にするマッチ・セラーにロートケプヒェンは首を傾げた。

 背中に刺さったチェーンソーを癒着させた蜘蛛が迫る。

「要はさっき言ってたのと同じようなことをすればいいんだよねっ!」

 刺突を躱して、マッチ・セラーは蜘蛛の脚を掌で擦りながら懐に飛び込み、握った拳を渾身の力で以て蜘蛛の頭胸部に放った。

 めきょ、外殻のひしゃげる音と共に蜘蛛が十メートル程宙に浮き、そして為す術なく再び墜落した。マッチ・セラーが擦った脚から発火した炎が全身に延焼し、蜘蛛を派手な火達磨に変えた。

「あーッ! あたしのチェーンソーッ!」

 蜘蛛が藻掻き苦悶する姿にこれは紛れもなく生命なのだと改めて思い知らされるが、かといって彼女ら魔法少女の為すべきことは変わらず、驀地まっしぐらに進むだけだ。

 自家魔力を使用したのか火はすぐに消し止められたが、蜘蛛の全身は黒く焼け焦げていた。それこそがマッチ・セラーの真の狙いだ。巨大なオブジェのように静止しそびえる蜘蛛は、やがて身体の再生を始めた。嘆くロートケプヒェンを無視して、マッチ・セラーはその経過を観察する。

「最初に再生した箇所の近くにコアがある……」

 が、前後の位置はロートケプヒェンがチェーンソーを突き刺したのと然程変わることはなく、左右の位置はやはりほぼ同時に再生し始める。

「やっば……分かんないぞこれ……」

 マッチ・セラーの目には、どちらの再生が速いか区別がつかなかった。

 すると、

「マッチ・セラー! さっきと逆だ!」

 ロートケプヒェンが叫んだ。彼女の目には、左右の再生速度の違いが見えていたらしい。

 心臓の位置が逆、つまり、内臓逆位。この蜘蛛は、体内の器官が通常の個体と鏡のように反対に位置している可能性がある。

 マッチ・セラーが跳躍する。蜘蛛はほとんどの再生を終え、マッチ・セラーを迎え撃とうと脚の一本を横薙ぎに放った。宙空でそれを躱すことができないマッチ・セラーは、拳を握り、迫る脚を殴りつけて叩き折る。直ちにその脚は再生を開始するが、マッチ・セラーが蜘蛛の背中に着地するまでには及ばない。マッチ・セラーは刺さったままのチェーンソーのエンジンを起動し、それを捩じ込むのではなく鋸を扱うように横に交互に動かし始めた。右、左、右、左と内臓を繰り返し傷つけ、そしてとうとう、駆動する刃が蜘蛛の心臓を切り裂いた。様々な方向に動かせば心臓の位置など関係ない。マッチ・セラーは噴出する体液を無視してより奥深くへ斬り込んでいく。抵抗する暇もなく、蜘蛛は魔力源である心臓をずたずたに破壊され、大きな身体を崩れ落ちさせた。

 九分九厘絶命していると分かってはいても、マッチ・セラーはチェーンソーで心臓を引き裂き続ける。ぎゃりぎゃりと刃が柔らかい内部を傷付け、チェーンソーはおろかマッチ・セラー自身も蜘蛛の体液に塗れていた。それでも、それでも、それでも――。

「ストップ、マッチ・セラー。それ以上やったらミンチになっちまう」

 ロートケプヒェンの制止でようやく、マッチ・セラーは手を止めた。とっくに内臓を微塵切りにされた蜘蛛は、ざあっと灰に変わって、今度こそ消滅した。

「……こいつらを殺しても、殺された人達は戻ってこない」

「そうッスね」

 ロートケプヒェンは火に焼かれ体液に塗れた愛武器をマッチ・セラーの手から離させる。がらんと音を立ててチェーンソーが地面に転がった。

「また何人も死なせてしまった。わたしは、人を救うことなんてできない」

「そりゃそうッスよ。あたし達は本質的には人を救うヒーローじゃない。戦う為の兵器ッスから」

「……そこは『そんなことないですよ』って言うもんじゃないの」

「残念ながら、女を口説く趣味はないんでね」

 よく言うよ、とマッチ・セラーは呟いた。

 振り返ると、離れた場所ではマッチ・セラーが解放した一般人が、御伽社救助班に保護されていた。皆一様にして恐怖の色はとうに失せ、抱き合って涙を流している者や、魔法少女に拍手を送っている者など、脅威が去ったことに安堵しているようだった。

 手から零れ落ちたものはあっても、反面、手に残ったものがあるのもまた確かだった。

 マッチ・セラーは、倒壊したビルや炎上する自動車やあちこちに転がる瓦礫を眺めて、それでも人の営みは截然せつぜんとして在り続けるのだと思った。生きているということは、無限の可能性に他ならないのだから。



 蜘蛛型眷属との戦闘を終えて御伽社おとぎしゃへ戻る途中、椋路むくみちは見憶えのあるカフェテリアの傍で立ち止まった。というより、そこはつい数十分前まで稲津いなづと一緒にいた店だった。

「…………」

 客も店員も避難して人っ子一人いない店内の隅の席に、椋路は自らと稲津の姿を重ねていた。

「どうしたの?」

 先を歩いていた帚木ははきぎが椋路が立ち止まったのに気付いて尋ねた。

 自分の決断は間違ってはいなかった。他の社員に言われたように、自分と関わっていては危害が及ぶ可能性がある。そしてそれ以上に、自分は何者かという観念が揺らぎかねなかった。

「ちょっと、考え事ッス」

 適当にそう答えて、椋路は店内に足を踏み入れる。

 椋路柘榴ざくろは魔法少女だ。しかし稲津といては、ただの人間に戻ってしまいそうで、魔法少女ではいられなくなってしまいそうで、不安で恐ろしかった。親しい人間ほど、傷付けてしまいそうだったから。

 結果的には椋路は稲津を傷付けてしまったのかもしれない。が、この先共にい続けて、より深い傷を負わせていたかもしれないことを考えると、これでよかったのだと自らにそう言い聞かせることができた。

 先日病葉わくらばに「自分達は人であり兵器でもある」と説いたが、これらの狭間にいることが椋路には耐えられそうになかった。だから稲津に言ったように、「自分は人ではなく兵器だ」と二元論的に考える方が、今椋路を苛む苦悩が幾分か楽になるように思った。

 常に客で賑わっている店内は今は誰もおらず、飲み物や食べ物が放置されたままだった。そんな中、自分と稲津が座っていた席に近付いた椋路は、瞠目した。

 稲津が座っていた椅子の傍に、血に塗れた左脚と松葉杖が放置されていた。

「――ッ!」

 椋路は脚に歩み寄り、手に取った。見てくれも、感触も、稲津のそれだ。松葉杖があることからも、間違いないだろう。

 では、何故ここで、稲津だけが被害を受けている? 店内に荒らされた形跡はない。他の人間が怪我をしたような痕跡もない。その中で、稲津だけが脚を失っているのは不自然だ。

 自暴自棄になった稲津が自らの脚を切断したということも考えられるが、辺りを見回してもそれに使えそうな道具はなく、またここにいない以上移動したのだろうがどこにも血痕が残っていない。もしや誰かに連れ去られたのだろうか。

 切断面に失踪のヒントがあるかもしれないとつぶさに観察する。脚は大腿部の真ん中から骨ごと綺麗に切断されており、乾いた血がてらてらと光を反射していた。時間はそれほど経っていないのか、まだ血色は悪くなく、新鮮な食肉のようだった。臭いを嗅いでみると、血だけではなく何か甘い匂いがした。次に、味はどうだろうかと脚に舌を伸ばし――。

「柘榴? どうしたの?」

 すぐ後ろに来ていた帚木の声で、椋路は脚から顔を逸らした。

 椋路が手にしているものを覗き込んだ帚木は一瞬目を見開くが、すぐに、

「ここにも被害者が……御伽社に連れて帰って個人特定してもらわないと」

 と言った。

 帚木と左脚を抱えた椋路は、夕暮れの誰もいない大通りを、御伽社に向かって歩いていった。

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