1 笑う野性 Rotkäppchen as a Magic Girl


 半壊し栄耀栄華の見る影もない、摩天楼だったビル街。ひび割れたアスファルトには硝子片が飛散しており、スクラップと化した幾輌もの自動車は黒い煙と赤い炎を立ち上らせている。


「……おーおー、派ァ手にやってンねェ」


 その凄惨な状況におよそ似つかわしくない剽軽ひょうきんな口振りで、赤いパーカーに身を包む女性がぼやいた。

『派手なのはお好きですか』

 女が耳に装着したインカムから、感情の起伏に乏しい声が聞こえてくる。

「んー、好きだよ。餡パンくらい」

『なるほど。粒餡ですか、し餡ですか』

「漉し餡だね。毎時間一個食える」

 平然と雑談を交わしつつ瓦礫の上を乗り越え歩いていく。彼女が向かっているのは、今現在も、もうもうと砂埃を舞い上がらせながら倒壊している最中のビルである。正確には、ビルそのものではなく、そこにいる “奴ら” なのだが。


『目標まで三十メートルです。目視できますか』

「あァ、楽しそうにはしゃいでやがるよ」

『それは結構。では、健闘を祈っております』

 本当に結構と思っていて健闘を祈っているのか疑わしくなるほど、インカム越しに淡白に告げられる。

 女はフードを脱ぎ、口元を獰猛に歪ませた。一閃するように大きな傷跡が横たわっている右目は、鬼灯のように赤く赫奕かくえきしている。

「おうよ。……リリカル、マジカル、キルゼム、オール」

 戦闘開始の狼煙として機能する文言を低い声で唱え、虚空から禍々しい意匠のチェーンソーを取り出す。

 ボディも鋸も黒く塗り潰され、ハンドルには不釣り合いなキャラクターのストラップがぶら下がっている。刃渡りは一・五メートル、重量にして五キロ、得物として振り回すには甚だ扱いにくい代物だろう。しかし彼女はなんとも軽々とそれを担ぎ、慣れた手つきでエンジンを起動させて、鋸の駆動音と震動に恍惚した。チェーンソーと連動してか、露出された下腹部の紋様が淡く光を放つ。

 女は鎖鋸を腰だめに構え、腰を下げて、三十メートル先の目標を見据える。

 次の瞬間、そこから女の姿は掻き消え、代わりとばかりに瓦礫が吹き飛ぶ。

 女は一瞬のうちに三十メートルを疾駆し、猛威を奮う対象、 “眷属” に肉薄していた。

 高速道路の橋脚をつんざき、アスファルトを裂き、ビルの外壁を砕く、巨大な蛸の触手の、そのうちの一本を、一薙ぎで切断する。

「蛸焼き百個分!」

 切り落とされた触手は苦しげにのたうち回って、やがて灰となる。

「よくも――魔法少女!」

 不意討ちにも拘らず動揺の気色すら見せない蛸の眷属は、残る七本の触手で以て一斉に女を襲う。

「はっはっは、ご名答ォ! ご褒美に骨抜きにしてやるよ!」

 哄笑を止めることなく、迫る触手をチェーンソー一本で捌き、いなし、断ち切る。

 その応酬の余波で、周囲の瓦礫は砕け散り吹き飛ぶが、両者共にそれを意に介さない。それもそのはず、彼らの戦いを直に目の当たりにする者はこの場におらず、戦闘は全くこの二人の間で完結していた。


 魔法少女と呼ばれた女の業前は、たいそう恐るべきものであった。別のタイミングで別の方向から襲いかかる七本の触手を、長大なチェーンソーを振り回して、驚異的な反応速度と運動能力で以て対処し、彼女の身体に傷一つ許さない。

「あたし板前の才能あるかも! なァ、どう思うよ!」

「知るか! この、小癪な!」

 一本、また一本と、丸太ほどもある触手が切り落とされていく。手数を恃む蛸型眷属の戦法は、徐々に窮しつつあった。

 対照的に、赤いパーカーの女は終始歯を剥き出して笑っている。殺すか殺されるかのやり取りの中にあって尚、その目は、その身体は、活き活きと躍動していた。或いは、死が身近であるからこそ、彼女は笑うのか。その意気軒昂とした立ち回りに無駄な隙はない。


 数ある触手も、残すところあと二本となった。

「あっははははは! タマ獲ったりィ!」

 女は感情の昂りを抑えられないように、満面の喜色を湛えて己が武器を振り翳す。


 が、その凶刃が眷属の身に届くことはなかった。


「……んうッ、んん……ふ……♡」

 女はチェーンソーを下ろし、時折艶かしい吐息を漏らして、びくびくと身体を震わせていた。

 困惑する眷属を余所に、女は内股で断続的に震えている。

 やがて、震えが治まった彼女は、

「へ、へへ……イッちゃった……」

 と、恋人に向けるかのような嫣然えんぜんとした笑みを浮かべた。

 その姿を呆然と目の当たりにした眷属は、今こそ好機と、脱兎の如く遁走した。

「あっ、おい! 待てよォ!」

 待てと言われて待つ者などいない。増してや、一挙一動からあらゆる隙を排した魔法少女が、突然のオーガズムで硬直しているのだから。相手にしてみれば、この機を逃せば死ぬのは必至だろう。


 独り残された女は、ぼりぼりと頭を掻いてインカムに手を当てる。

「ハァイ、メアリー。こちらロートケプヒェン。目標は逃走。これより本部に帰投する」

『了解。帰ったら温かいご飯とベッドとお説教が待っています』

「うげー」

 手にしていたチェーンソーはいつの間にか虚空に掻き消えており、女は空いた手でフードを被り直す。そして来た道(と言ってもほとんどが瓦礫の山と化しているが)を、だらだらと戻り始めた。


 彼女は魔法少女ロートケプヒェン。世界の平和と秩序を守る、正義のヒーローである。たおした敵は数知れず、百戦錬磨の女傑にして、豪放磊落ごうほうらいらく尤物ゆうぶつ。但し、敵を殺し屠ることに性的興奮を覚え、肝心な時に絶頂する、殺人性愛者エロトフォノフィリアでもあった。


「……あ、名乗るの忘れてたな。格好いいの考えてたのに」

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