第21話ささやき


 ――ここじゃない。いるべきは。謝るべきは。頼むべきは。

 ――待っている人がいる。



 ――歌声ささやきが聞こえた。挙動不審になり、思考を巡らせる。

 店の中にいたおばちゃんが俺に気が付いて出てきた。


「おや? どおしたんだい。おなかでも空いたかい?」


 ここを逃せば終わるかもしれない。楽な方向じゃなくて、もっと辛く後悔するような結末になるかもしれない。


 俺はおばちゃんに頼み込んだ。「他に腹を空かせている奴がいるんだ、どうかそいつらに食わせてやってほしい――――あと……ここでは働けない。俺は帰らなきゃいけない」



「そうかい」と快く受け入れてくれたおばちゃんを後に走った。


 壁の間を通り抜け、小川を飛び越え、枯れた水路を渡り、辿り着いた。

 ささやきの原点であろう人物を――。


 建物の影から覗く。暗い路地の小さな階段に腰掛ける少女が二人。


 歌を歌っているのは白い少女で、それにもたれ掛かるように顔を沈める黒い少女。


「ふふーんふふーんふふ、ふーふー、ふふーふーふーふふーふふーふーふふ」


 ただの鼻歌。どこかで聞いたことのある、懐かしい曲。何かと思い出す。

 必死で。

「だれ?」踏み出す勇気を――いや、言い訳はなしだ。



 物陰から顔をだし、二人と顔を合わせる。


 俺の顔を見た少女は驚きを隠せないのか、涙が出ていた。

「また……あんたなの……」震えた声で呟く。


 黒い少女が起き上がり、相互の顔を覗く。


「ねえ、なにも思い出せないの? 何も覚えていないの? 私のことも――の事も……全部忘れちゃったの?」


「何のことだ――」誤魔化した。また誤魔化しやがった。


「何のことだって――本当にわからないの……私たちの顔を見ても、何も思い出せないって言うの!」


 狭い路地に少女の声が木霊する。


「約束したよね……。忘れないって、見つけられるって。なんでこんな簡単なことで終わっちゃうの? ここで、忘れたらみんなで帰れないんだよ? みんながバラバラになっちゃうんだよ……。それでも思い出せないっていうの? 忘れちゃったで済ませるの? もう思い出せないの?」


「だったらなんで――」



 ばちんっ。

 思いっきりビンタされた。



「何もわからないって何も考えていないからじゃない! 考えているように見せて、あいまいな反応で終わらせて…………心からの言葉をちゃんと言ってよ。教えてよ! なんでいっつも曖昧にするの、同情だけで終わらせようとするの……自分でもわがらないならぢゃんと言っでよ……一緒に考えてあげるから」


 地団駄を踏む。

 ぼろぼろと溢れている涙。鼻頭を赤くさせ、洟をすすり、泣いている。


 黒い少女はまたも寂しそうな、悲しそうな顔をする。


 きっとこの子にはそんな顔は似合わない。

 させちゃいけないんだ。


 勇気なんてたったのこれっぽちでいいんだ。あとは信じてさえいれば。自分の心と彼女の涙を。信じてやることしか、俺には出来ないのだ。俺にしか出来ないことだ。



「――スフレ」「――シュゼ」



 二つの言葉が身体に柔らかに溶けていくのがわかる。

 嗚呼、そうだ。


 自信のなかった心でもしっかり言えた。忘れてはいなかった。ただ、怖いだけだった。自分を否定されるのが、恥をかくのが。

 少女にひっぱたかれ、目が覚めると同時に、現実世界の――もとあったはずの膨大な量の記憶が一気に流れ込む。


 消えていた二人の名前が――かすれていた二人の声や笑顔が蘇った。

 俺の目を見つめる少女の顔は、驚きと不安と寂しさに涙しており、微かに自信があった。



 しめやかに微笑む少女の顔を俺は知っていた。



 不安がなくなったからか、お腹がなる。

 えへへ、と恥ずかしそうにはにかみお腹を押さえるスフレ。待っていてくれていたんだ。腹をすかしても、ずっと待っていてくれていたのだ。




 ――なんで忘れていたのだろう、なんで分からなかったのだろう。今となっては過去のものだが、おそらくあれは、俺にとっての試練の一環であり、スフレやシュゼにとっての修行の一部なのだろう。


 もしあの時、スフレが気づいていなかったら。もしあの時、俺が歌に気付かなかったら。あのまま店に入っていたら。あの選択が間違っていたら。


 今考えると恐怖で足がすくみそうになる。


 でも、二人はいまここに居る。


 ギルドの席に座り、シュゼで遊ぶ少女を見遣る。少しばかり、涙と笑みが零れてきた。


「なに、どうしたの?」


 能天気に返してくる。いつものように。


「いや、……ありがとな、俺を見つけてくれて」


 呟くように言った言葉だったが、しっかりと耳に届いてくれていたようだ。



「だから言ったでしょ、このあたしが、貴方を見つけられないはずないじゃない!」



 二人とも笑顔を向ける。穏やかで幸せ、異常がとなってしまった。


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