噂・02



「悠香が妖獣を目撃したのは叔母上の使いで後宮へ行った帰りなのだが。あまりの恐ろしさに気を失い、前後の記憶がはっきりしないと言っていた」



「後宮の帰り……って。後宮の中ですか、それとも外?」



「外だと言っていた。もっと詳しい話を訊こうにも恐ろしがってあまり話そうとしなかった。叔母上もそんな悠香の様子を心配していたし、気遣って無理に話をさせようとはしなかったようだ」



「後宮には一人で?」



 綵珪は頷いた。



 前後の記憶が曖昧なうえに一人とは。



(嘘をついている可能性もあるじゃないか)



「時間帯は?」



「夕刻だ」



「その後、用水路で見つかるまでの日数と彼女の様子は?」



「妖獣を見たと言った日から四日目の昼近くに突然いなくなった。

 遺体となって見つかったのは翌朝だ。とくに変わった様子はなかったと叔母上も仕えている宮女たちも言っていた」



「……そうですか。では白紐の官吏について聞かせてください」



「名は真徳シントク。宮殿で扱う備品倉庫を管理する部署に勤めていたが、どうやらかなり方向音痴なところがある奴だったようだ。役人になったばかりで帝城慣れしていないせいもあったのかもしれんが、真徳はよく城内で迷子になっていたと聞いている。妖獣を見た日も仕事先の倉庫から官舎へ戻る途中だったようだが、その晩は真徳だけがかなり遅れて戻ったそうだ」



「まさか迷っていたんですか?」



「そのようだ。だが真徳から妖獣の目撃談を聞いた者は少なくてな。そのうえ皆、仕事疲れで幻でも見たのだろうと言って本気にしなかった者ばかりだ。しかしその二日後、真徳は勤務先に姿を見せなかった。またどこかで迷子にでもなっているのかと思われていたが……。それきり真徳は見つからずに死体となって発見されたのだ」



「では真徳さんは悠香さんと同じ日ではなく、悠香さんより後に妖獣を目撃した、ということになりますね。場所の特定はできなかったのですか?」



「調査は続けているが、真徳がどの辺りで迷子になっていたのかはわかっていない」



「では二人とも似たような時間帯に目撃したということ。そして行方不明の三人の話も合わせると、目撃時間は夕刻から夜半の間ということですね。───話を三人の行方不明者に戻しますが。彼らが嘘をついている可能性はありませんか?」



「嘘だと?」



「口裏を合わせて計画的に城を抜け出したとか。仕事が嫌になって逃げだしたとか」



「彼らを疑うのか」



 綵珪は顔をしかめた。



「証言が絶対とは限りませんよ。慧麗宮に配属の兵士だけが立て続けに妖獣を見て行方不明だなんて、なんだか変ですし。恨まれていたとか、なにか問題を抱えていたという話もないのですか?」



「そんな話は聞いてない。彼らは真面目で働き者だ。身分は低いが悪ふざけをおこすような輩でもなかったし、仕事が嫌になって逃げだしたのとも違うだろうと俺は思っている。……俺はそう信じている。だから知りたいのだ、真実を。衛兵でも俺の宮仕いには変わりない。大切な部下だ」



(へぇ。意外と部下想いなのか。そういえば……)



 ───殿下の傍には誰も仕えたがらない。


 ───この宮殿に近付く者もいない。


 ───みんな嫌がる。と、李昌が言っていた。



 なぜなのかは、そのうち噂を耳にするだろうとも。


 どんな噂なのか、かなり気になるが。


 三人の衛兵はきっと嫌がることもなく真面目に仕事をし、慧麗宮では貴重な存在だったのかもしれない。



「自ら調査に関わっている理由はそれですか」



「……ああ」



 返事はあったものの、なんとなくそれだけじゃないだろうと綵珪を見て思ったが、ユリィは別の質問をした。



「三人とも出身は同じですか?」



「それは違うようだ。慧麗宮の配属になってから知り合ったと聞いている」



 ユリィはしばらく口を閉ざした。



(死んだ女官の話について、信憑性も訊いてみたいところだが)



 二十年も身内叔母に仕えていた人物女官であれば疑うこともなく、かなり信頼もしていただろう。



 綵珪ではなく李昌に訊いてもいいかもしれない。



「何かほかに聞きたいことはあるか?」



 術が効かない理由ワケを訊きたい!


 ───と、真っ先に思ったが。



 抱える心労ストレスに加えて更に鬱々とした気配が増しているように綵珪から感じる。


 これは気鬱という心の病になる前兆でもある。


 ここから邪気が強まると〈病み憑き〉になってしまうのだ。


 栄柊の宴で綵珪が華睡館へ伴った髭の男、楊白がそうだったように。



(そういえば楊白が祓いの必要な病み憑きだということも話しておかないと……)



 チラリと目の前を見ると、綵珪の視線はユリィではなく卓へと下向き、心ここに在らずといった様子だ。



 本当はもうあまり話したくないのだという気持ちが伝わってくる。



 妖力のせいかは判らないが、ユリィは相手からときどきほんの少し、感情が伝わってくることがあった。



 喜び、悲しみ、怒り、憂い。


 相手にもよるし、その時々で伝わる感情は様々だが。



(今日はここまでにしておこう)



 李昌が言っていた噂も気になる。



 噂は自ら動いて集めに出てもいいだろう。



 何かほかにも手掛かりが得られるかもしれない。



(そうだな、じゃあ……)



 あと一つだけ、とユリィは質問を決めた。





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