第28話 林


「迷宮?そんなところに入った覚えは無い。どういうことだ」

「ひっ!?け、剣を構えるのはやめて!ちゃんと話すからぁ!」


ボロボロのワイシャツの胸ぐらを掴み、吠える。女はビクビクとしながら話し出した。

───まず迷宮というのは偶然かつ、突発的に存在する時空空間のようだ。出来る理由は未だ解明されていないらしく、総数もわかっていない。

さらに迷宮には各々に迷宮を取り仕切るオーナーと脱出クリア条件が存在し、その条件を満たさなければ永遠に出る事はできないという又不思議なルールがあるようだ。


「あたし達も何百年か前にここに来ちゃって……それで、賭けに負けた。だからもう、此処からは永遠に出られないのよ」

「ふえぇぇ……。リュウ、このひとかわいそうだよ」

「知りません、それより脱出クリア条件とは?オーナーとは?」


今ある情報では、此処が異常な空間だ という事しか得ていない。解決策を練るには聞ける限りの情報が必要だ。万が一、この女が虚言を吐いているにしろ聞く価値はある。

女は強張った笑顔を見せた。そして媚を売るような視線をこちらに向ける。香水特有の甘ったるい臭いが鼻をくすぐった。


「そんなに話して欲しいなら、せめて座らせてくれない?さっきから背中が痛くて、たまったものじゃないわ」

「……話して欲しい?何を勘違いしているんだ?」


剣を女の顔近くの地面へ力任せに突き刺す。女からヒュッ、と息を吸い込むような滑稽な、声にも満たない悲鳴が上がった。


「我々を揶揄い半分で邪魔する様な愚痴な豚に、その様な人間の権利を与える訳無いでしょう。むしろ人間語を話せる事を光栄に思うがいい」

「ひっ、やっぱり怖いーー!てか、あたし豚じゃないわよ!こんなプリチーな豚がいる訳無いでしょう!」

「俺の邪魔をしてくる馬鹿どもは、俺は全員愚鈍な豚だと認識しているのでな。この剣で豚を切り刻むのは初めてだが、脂で錆びてしまわないか心配だ」


女はバタバタと全身を忙しなく動かす。まるで陸に打ち付けられた魚の様な不格好な姿にさらに鬱憤が募った。只でさえ、豚の大将の一件で憤っているのに、迷宮なんて連れて来られ、挙げ句の果てには見ず知らずの豚に邪魔をされる。あぁ、此処らでストレス発散しなければ。このまま行けば頭髪が死滅してしまいそうだ。


「リュ、リュウ!いじめちゃダメだよ!」

「大丈夫ですよ、エミリー。恐怖と苦痛は上手く扱えば真実の情報を吐かせられます。その手の方は詳しいのでご安心を」

「ダメだってばー!ぼうりょくはいけません!めっ、だよ!」

「……失礼、冷静さを欠けていました」


青ざめたエミリーが仲裁をする。その為、渋々剣をしまい、恭しく頭を垂れた。確かに安全かどうかもわからない道端で拷問は、余りにも自分達が無防備だ。不意打ちはおろか、真正面からでも攻撃された時には此処らの土の肥料になってしまう事間違いない。


「とりあえず、今はこの道を抜けましょう。この豚に見せられた幻覚が解けているのなら、何処かには出るはずです」

「そうだね……。おうち もなくなっちゃってるし、ひきかえせないもんね」


今まで通ってきた道を振り返る。林の奥にあった、つい先刻出発したばかりの領主の屋敷は、初めから何もなかったかの様に消滅していた。

いつもは林の中からでも金蘭豪華な屋敷は見えるのに、今は曇天と林しか見えないのだ。

───林?


「もう幻覚は解いているわ。でも早くしないと、意地悪な林たちに道を隠されちゃうわよぉ?」


辺りを見回す。すると先程焼き払った筈の林が、ものの見事に復活していた。自分らの半径三メートルの木や土は燃えカスに変わり果てていたのだが、今ではすっかり元通りではないか。しかしまだ、木炭に近い煙たすぎる臭いは残っていた。


常識に反している。木が勝手に動くなんて前世ですら無かった。迷宮は予想以上に、あやふやで常識が通用しない世界らしい。早急に情報を得て、策を練らなければ。


「よっ、と。……重い、子ドラも手伝え」

「キュー!」

「ちょっと!?レディーを持ち上げといてそれは無いんじゃない?」


ライトを地面に置き簀巻きの状態で転がっている女を、上半身が子ドラ、下半身が俺というふうに持ち上げる。神輿の様に頭の上に持ち上げた。少しギリギリだがなんとか運ぶ事は出来る。実を言えば一人で抱えたかったが、今の体では叶わない夢だ。


「さぁ、エミリー。早くこんな森出て行ってしまいましょう」

「うん!じゃあライトはわたしがもつね!」


エミリーはライトを乱雑に拾い上げた。カランカラン、と炎が踊る。それに合わせ、自分達の影も揺らめいた。闇夜の中、まるで生き物が嘲笑っているかの様な物影に、なんとも言えない不快さを感じられる。

人生の殆どを常闇の中で過ごしてきた者が言うと珍妙かもしれないが、それでもこの世界の暗さは何処かおぞましいと思えたのだ。例えるなら大きな舌で全身を隈なく舐められている、そんなネチネチとした雰囲気だ。


それが前世・魔界への思いに対する嫌悪感からか、はたまたそれ以外かはわからない。

だが、これから起こることは自分にとって決してプラスになることはないだろう、と言うことだけは理解できていた。


あれだけ望んだはずの『気ままに平穏な』生活が徐々にヒビが入り始めてる気がした。なぜこんな事になった?領主家に来たからか?何処の国の王かも知らん奴を凍らせたからか?それとも、ドラゴンを倒したからか?


……いや、考えてみれば全て自分のせいか。ドラゴンを倒したのは本屋が燃やされそうだったから。王を凍らせたのも自分の注意不足が原因だ。領主家に来たのだって、倉庫にある多数の本が目当てだった。

『欲は身を滅ぼす』と言うのはあながち間違いではないのかも知れないな、と一人納得する。


「『気ままに平穏な生活』の代金は、思ったより高いのだなぁ……」


口走ってしまいそうな愚痴を、半端無理やり呑み込んだ。喉が渇いた痛みを発するのは、環境せいではないのかも知れない。

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