第23話 狂人


「おや、ジル先生こんにちは。お祈りの時間ですか?」

「…………いや、今日は生徒達の用で来た。祈りは後に改めてさせてくれ」

「子供?……おやおや、おやおやおや!領主様のご令嬢ではありませんか!」


村に一つしかない協会に着くと、そこにはどこか胡散臭い笑みを浮かべた神父が出迎えてくれる。こちらに気がつくとすごい勢いで近寄って来た。社交的なエミリーでさえ、少し引いている。


「おや、おやおや?そちらのご子息はどなたでしょう?私の記憶の限りでは初めて見た顔ですな」

「……リュウと言う。職業診断をエミリーと受けに来た」

「おやおや、もうそんなお年頃でございますか!それはおめでたいですね!ではではではこちらへ!」


干物ように細い腕に掴まれ、強引にある部屋の前に連れて行かれる。そこは《鏡の間》という壁全面に鏡が貼り付けられているなんとも禍々しい部屋だ。


「ではでは、お一人づつ診断を受けていただきます。どちらからお受けになりますか?」

魚の眼の様な瞳で神父がこちらを見てくる。

「エミリー、先に行きますか?」

「あ……、え、えと」


エミリーは少し青くなった顔を横に振った。神父に恐怖を感じたのか、それとも鏡の間が怖いのか。しかし自分にはどうでも良い事だ。


「……なら俺から行かせてもらう」

「おや?おやおやおや!お坊ちゃんからですか!わかりました!

ではではでは、鏡の間の説明をいたします」


神父からの長ったらしい説明を要約すると、部屋に入ると鏡の間の鏡から、様々なことを問われるらしい。それは人によって全く異なり、家族構成や性別を問われるだけの時や、思想、宗教について問われる時もある。


「聞かれたことは全て正直にお答えください。と、言っても神の権能により、虚言を吐く者などここには居ないでしょうが」

「……演説は終わったか?なら入るぞ」


まだブツブツと喋り続ける神父を視界の隅へ放り、鏡の間へ入った。扉を閉め、部屋の中央へ移動する。自分の足音だけが、コツコツと響く。

移動すると、木の作りの古びたイスが出てきた。青カビの様な色をしたイスは、座るとミシミシと不安げな音を立てる。

イスに腰をかけしばらく経つと、左の鏡から機械音の様な聞き取りづらい音声が聞こえてきた。


『汝、名乗れ』

「……リュウ」


答え終わると同時に左の鏡が白く光る。光っている鏡をぼんやりと眺めていると、次の質問が右の鏡から聞こえてきた。


『汝、齢を語れ』

「7歳」


リュウは目を見開き、口に手をやる。年齢は今までわからなかった筈なのに、なぜ?まるで口だけが操られている様だ。

しかし冷静に考えてみれば珍しいことでもなかった。魔術の一つや二つ、この部屋にかかっているだけだろう。

気を取り直し、リュウは左の鏡が光るのを視界の端で確認した。


『汝、神を信じるか』

「……信じない」


背後の鏡が光った。よってあと一つの質問が終わったら、診断を終わるだろう。未だ光っていない前方の鏡を見ながら、勉強で凝っている肩を伸ばした。


『汝、何を求める』

「●■■●▲」


何故か自分の声が壊れたオルゴールの様な珍妙で不快な音が聞こえた。いや、これは音なんて綺麗なものではない。雑音、不協和音の一つに近いものだろう。自分は何を口走ったのだろうか。

しかし鏡は自分でも聞こえなかった、俺の声に反応し光り出した。


だが、それは今までの様な一寸の汚れすら見せない“白“ではなく、黒や茶色など暗めの色彩を全て混ぜた様なおどろおどろしい“赤”になっていた。

前方の鏡以外の鏡もいつの間にかその色に同調する様に、塗りつけられた様なドロドロした“赤”に染まっている。

四方からなる目が痛くなる様な“赤”。泥の様なペンキの様な赤は鏡の中をヌルヌルと流れるように動いている。そこでやっと自分は何か間違った事を言ったのだ、と気付いた。壊れたように鏡は質問を繰り返す。


『汝、世界を壊す者か?』

「いいえ」

『汝、世界を滅ぼす者か?』

「いいえ」

『世界を救う者か?」

「いいえ」


『汝は狂う者か』

「いえ、俺は狂わす者です」


自分でも何を述べているのかわからない。何も考えられないとはこのことを言うのだろう。質問の意味はわかるのに、そこから先の思考能力を泥で塗りつぶされている感覚だ。

周りの赤を見ているのもあい混ざり、まるで自分自身がこの赤に塗りつぶされそうに感じる。


『汝、狂者なり。汝、狂者なり』


部屋が一気に明るくなった。体が動ける様になり、ようやく解放されたことがわかった。しかし前方の鏡だけが未だに赤のままだ。俺は無言のまま、イスから立ち上がった。そして赤の鏡に近寄り、囁くように話しかける。


『汝、狂者なり。汝、狂者なり』

「それは大変結構だ。元から俺はこの様な腐った性分でね、転生したところでそう簡単には変われないらしい」

『汝、この世界を狂わす愚者。居てはならない、存在してはならない』

「なら殺してみればいい。生憎、この世界のことは 新しく出来た大きめのゲームの盤上としか思っていない。乱入なら大歓迎だ。参加人数は多い方が面白いだろう?」


鏡にピシリとヒビが入る。


『汝、神を愚弄するか』

「信仰、宗教の自由をご存知か?俺は無神教現実主義派だ。お前の事も神だなんて微量も思ってはいない」

『汝、不届き者に天罰を。神の裁きを』

「貴殿に、腹の足しにもならない信仰を強要する自称神に祝福を。ありもしない偶像に破滅を」


爆発する様に、花が風に飛ばされ散る様に前方の鏡が割れた。何枚もの小さな破片が自分の体を傷つける。額縁しか残っていない鏡を見ると、何故だか無性に笑えてきた。まるで今までの自分を、この鏡の如く砕いた錯覚に襲われる。


そうか、昔の様に冷静で高圧的で、国を取り仕切る為に全てが完璧である必要はもうないのだ。この世界では自分はただの人間、魔王ではない。

この散り散りになった鏡の様に昔のつまらない自分は殺した。生きているのは 人間の自分、無知で無力な自分だ。あぁ、なんて先が楽しみなのだろう。いや、楽しもう、愉しめこの世界ゲームを。


リュウは今初めて自分が生まれ変わったことを実感した。先程まであった神秘的な雰囲気はいつの間にか消え、鏡の間は普通の部屋に戻っている。どうやら終わったらしい。

イスから立ち上がりザクザクと、鏡の破片を踏みつけ鏡の間を後にした。

生きる楽しみがまた増えた喜びを噛み締めながら。

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