テトラピロール
「人体を構成する細胞は二、三年で全て入れ替わると聞いたわ」
彼女は自慢げに、些か誇張の強い情報を披露した。
「はぁ」
僕は間の抜けた相槌を打つ。
「今は実家暮らしだから難しいけれど、大学生になって独り暮らしを始めたら、私はイカだけを食べて暮らすの」
「先に言っておきますけど、イカだけを食べたって、二、三年でイカになれるわけじゃないですよ」
「知ってるわ、そんなこと」
ならどうして。そんな疑問が顔に出ていただろうか。
「でも、挑戦しなきゃ絶対にイカにはなれない」
彼女はそう言った。
挑戦しても絶対になれないんじゃ。そんな指摘が顔に出ていただろうか。
「今まで人の身からイカになった人がいないからって、私もなれないって決まった訳じゃないでしょう」
彼女はそう言った。
虚無感が顔に出ていただろうか。
それっきり彼女は何も言わず、スマートフォンを弄り始めた。赤い、紅い、メタリックの奴だ。
雨の日の歩きスマホは危ない。特に、彼女のような素人にとっては。
傘で片手は塞がっているし、雨音が響くから、音での環境把握も難しい。今は雨も止んでいるけれど、地面は濡れてよく滑る。
歩きスマホをする時は、なるべくスマホを正面よりの高めの位置に構え、視界を広く取ること。
人が近付いたら、相手が当たり屋でないかを警戒。
横断歩道を渡る時は、事故発生時に弱味を見せないため、一旦ポケットへ。
慣れない内はルームランナーを徒歩ペースで動かして練習すると良い。
確かな技術に裏付けされた歩きスマホは、むしろ一般の歩行者より危険性が少ないものだ。
雨上がりの曇り空を、蝶が飛んでいる。猫にでも追われたのだろうか。
それから十五分くらい経って、スマホから顔を上げた彼女は、「ああ!」と大声を上げた。
「でも今は、イカになりたいなんて、思ってないわ」
ならどうして毎食イカ縛りを。そんな困惑が顔に出ていただろうか。
フフッ、と彼女は意味ありげに笑い、再びスマホに視線を落とした。
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