Chapter.35 『国際警察機構 主任捜査官 E.E.バードマンの場合』

 これからこの男は、『捜しようがありません』と言う。

「捜しようがありません! この混乱、混雑の中ですよ! それにこの辺りにはまだ、同じ格好をした特殊部隊の連中だって山ほどいるんです! そんな中で見つかるはずが」

 わかったもういい、と予想通りの返答を遮る。その警備兵の意見はもっともだった、これでは確かに捜しようがない。こうなればもう、この野良犬に頼る以外になかった。なかったのだが。

「おい、犬。お前、そろそろ動かんか」

 ロビーを出て以来、ずっと立ち止まったままだったその犬を叱りつける。するとたちまち襲いかかってくるのだから手に負えない。派手に大乱闘を繰り返すうちに、またぞろ遠くへすっ飛んでいく野良犬。慌てて追いかける人混みの中、確かに捜索は難しそうだった。

 なによりの問題は、やはり特殊部隊の装備――全身黒ずくめ、防毒面ガスマスクに防弾ジャケットなどという恰好では、中に誰がいようともはや判別がつかない。どうしたものか、と思案する中。

 犬が吠える。

 その先にいたのは、ひとりの隊員。格好は例の黒ずくめだが、しかし全体的に、どこかおかしい。なんか服のサイズが合っていないような――と、いうよりも。

 なんか、小さい。どう見ても。明らかに、子供だ。

「おい待て貴様――」

 そう呼び止めかけて、しかしバードマンは静止する。そうせざるを得なかった。突如、目の前に割り込んできたのは、同じく特殊部隊のひとり。

「お疲れ様であります、バードマン捜査官。こちらは本官に任せて貴方は」

 考えるよりも早く体が動いた。怪しい、なんてものじゃない。もう間違いなかった。ほとんど密着していると言ってもいい距離の彼、その腹部に素早く、バードマンは銃を突きつける。

「久しぶりだな、コソ泥」

 何をおっしゃいます、という、その白々しい演技。盗っ人猛々しいとはこのことだ。さらに強く、グリグリと威圧するかのように、バードマンは銃口を押しつける。

国際警察機構エスポールは巨大組織だ。MCATエムキャットの隊員が、わしの名前など知るものか。そもそも奴らはエリート部隊だ、わしに対して敬語など、あり得ん」

 囁くようにそう告げてやると、「それは盲点でした」と観念した様子のコソ泥。すぐに振り返らせて、背中に銃を突きつけ、歩くように命じる。周囲の人間に気取られた様子はない。このまま、まずは人混みを避ける。おとなしく従うコソ泥に、さらにさっきの子供もついてくる。ついでに言えば、犬もだ。

「それで、どうなさるおつもりで?」

 無論逮捕だ、と告げると、小さく口笛。

「バードマン捜査官、それは不可能ですよ」

「貴様、状況が分かっておるのか? 仮にどうにかわしを撒いたとしても、だ。周囲はMCATエムキャットだらけ、それに州警察も、この企業の警備兵だっておる」

 それは大層なことで、と相変わらず余裕綽々しゃくしゃくのコソ泥。この人を食った態度が、バードマンはどうしても気に食わない。

「それでは逆にお聞きしますが。こちらの少女――『ブラスクラムの三日月』はいかがなさるおつもりで?」

 その言葉にバードマンは目を見張る。こちらの少女、というのは恐らくのこと、このサイズの合わない服を着ている子供のことだろう。『ブラスクラムの三日月』が、まさか、人間だなどと。

「そちらで保護する、というのは無しですよ。彼女の命を狙っているのは紛れもなく、国際警察機構エスポール、あなた方だ。まさか『自分には関係のないこと』だなどとは、仰いませんよね」

 返答にきゅうするバードマン。このコソ泥の言葉が、どこまで真実かは疑わしい。しかし、この子供が命を狙われているのではないか、ということについては、そもバードマン自身が同じ考えを持っていた。犬が吠えかかったこの子供は、あの予告状の差出人、封蝋の元々の持ち主だ。

 言葉を返せずにいるうちに、さらに調子に乗って喋るコソ泥。

「それにもう一点。貴方は、僕を逮捕している場合ではない。もうひとり、証拠隠滅のために命を狙われる立場にいる人間がいたはずです。お忘れですか?」

 忘れるはずがなかった。クレッセリア財閥総帥、コルドナ・ファッテンブルグ。彼は本社ビル内で姿を消したまま、依然として行方不明のままだ。

「貴様に言われるまでもない。無論忘れてなどおらん、あの小生意気な社長だ」

「その居場所を知る手段がある、と言ったら?」

 そんなこと言われたらそりゃ確かに大助かりだ、とも思うが、しかし相手はコソ泥、信用などできるはずがない。ひとまず聞くだけ聞いてやるから詳しく話せ、と促すと、「発信器です」とコソ泥が答える。

 無線でキースに問い合わせる。しばらく待ったあとに、その答えは返ってきた。

『この建物の地下三階です。しかし、妙です。あのあと、彼女はテレビに映っていた。確か報道ヘリに飛び乗ったとかで――』

 やっぱりですか、と怪盗の言葉。

「いま発信器は、と言いますか、それを仕掛けたあなたのコートは、ビルに紛れ込んだ少年が手にしているはずです。そしてその少年と、コルドナは行動を共にしているはず。まあ信じるかどうかは、貴方次第ですが」

「貴様の話を信じるなどと、本気で思っとるのか。わしは十年間、ずっと貴様を逮捕することだけを考えてきた男だぞ」

「だから尚更なんですよ。こうして結果的に『三日月』に接触してしまった以上、僕もむざむざ特殊部隊に消されたくはないですし、ね」

 その通り、このコソ泥は、生きた証拠物件に接触した。そもそもにして、なんでも盗み出してしまうと噂されるこのコソ泥――ランバーンの名による予告状があったからこそ、国際警察機構エスポールはここまで強引な手段を執らざるを得なかったのだ。秘密主義に覆われた巨大企業。州警察や捜査官のひとりふたりは問題にならなくとも、しかし世紀の大怪盗が相手ともなれば、どう転ぶか分からない。万が一を考えて、全てを消しに来たのだ。

 ということは、つまり。

 いまここでこの男ランバーンを捕らえたとて、正当な裁きにかけることはできない。それどころかMCATエムキャットに横取りされ、全ての事実は闇から闇――それがオチだ。

「ここまで来て、何もせず見逃せ、と言うのか」

 そうは言ってませんよ、と怪盗の言葉。

「こちらもそれに見合う情報は差し上げたはずです。いますぐコルドナ氏の保護に向かわれては? 特殊部隊だらけのこのカジノに現れる前に、警備兵なり州警察なりを引き連れて保護すれば、何の問題もないはずです」

「見逃すのはその代償……つまり、司法取引のようなもの、か」

 バードマンは銃を下ろす。振り返る怪盗の表情は、防毒面ガスマスクに覆われてわからない。しかし、その言葉はいつも通り忌々しく、底抜けに陽気な声だった。

「初めからそのつもりだったのでしょう? わざわざこんな、ひと気のないところにまで誘導して。捕らえるだけなら、周りはほら、警官だらけ。いつだってできたはずですから」

 ついでに安全な帰り道も教えてくださいますか――などと。まったく、どこまで人を食った男だろう。バードマンは背を向け、銃をホルスターに戻す。無線で州警察の応援を呼び、そのあと。

「いいかコソ泥。次こそは必ず、貴様を逮捕する。そしてその時は、司法取引など通じんぞ」

「まったく、そのような取引はめんこうむりたいものですね。できれば、その必要性が生じるような状態ごと、ですが」

 音もなく駆け出す、ランバーン。それが分かったのは、そこに従う小さな足音が聞こえたからだ。

 振り返らず、バードマンもまた、駆ける。向かう先は地下、コルドナの保護。

 ――大金星を見逃してまで捕まえに行くのだ、絶対に逃しはせんぞ。

 無線越しにげきが飛ぶ。その頭上には、三日月が姿を現しかけていた。

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