伍朝伍夜:弐の印~1b~

 静かに告げたアーブに対し、長老はレーメを凝視したまま重い口を開いた。


「……構わん。とっとと印を押してやるから、早々に街から出て行くが良い」

「町長! 一体何をっ!?」


 それを聞いた住民たちは更に混乱に陥った。町長の口からは、旅人たちに何らかの報いを受けさせる言葉が発せられると思っていたのにも関わらず、予想に反した言葉が飛び出てきたからだ。

 不満に思った住民たちが次から次へと町長へ殺到し、非難を口走る。


「黙れ……! そうしなければあやつらが街の外をうろうろと彷徨うだろう! お前たちはそれに安心出来ると言うのかッ!?」


 だが老人が彼らを一喝すると、怒鳴られた住民たちは一斉に静かになる。町長が無愛想に散れと口にすると、三人に殺意や恐怖心を向ける者が多い中、彼らは渋々一人……また一人と離れていった。


 大人しく引き下がった住民たちに取り残されて最終的に残ったのは、レーメ・ティオ・アーブ・ティオの父に町長の五人だ。


 残ってはいるものの、ティオの父は非常に肩身が狭そうにしている。彼の子どもは子どもで、着いていけないとばかりに瞬きを繰り返した。


「ご配慮頂き、誠に有り難う御座います」


 それまで冷徹な気配を放っていたアーブが、にこりと微笑む。今までと変わらぬ吟遊詩人の様子に、ティオは安堵する。


「着いて来い」


 三人は踵を返す町長の後を追う。気を失ったレーメは、ティオが引きずり加減におぶっている。


 町長は終始無言を保ち、街の中心にある大きな建物まで三人を案内した。


 この建物も被害にあったようで、来訪者を迎えるはずの戸は完全に炭と化してしまい、建物を覆っていた壁の大半も焼け焦げている。


 町長は戸を完全に無視して、焦げて崩れ落ちた壁のあった場所を突っ切り建物内に入っていった。ティオも彼の父親も遠慮なく町長の後を着いていく。アーブだけは、来訪者を拒むことをやめた戸をくぐる。


 建物の中は焼けていない場所もあり、彼らが通された部屋は比較的被害が少なかった。部屋の窓際には入り口を向いた執務机があり、町長は椅子を引いて机に肘を着いた。


「さて、手帳を出せ」


「ウェリアの町長はこんな偉そうな奴じゃなかった」と不満を感じたティオは眉間に皺を寄せる。その一言を口にすれば、嵐を呼ぶことになるだろう。そうなれば、先ほどまでのアーブの苦労が水の泡と化してしまう。


 ティオは口をきゅっとつぐみ、自らの懐から青い手帳を取り出した。レーメの荷物はアーブが代わりに持っていたため、そこから赤い手帳を取り出す。


「ご苦労だった。……後悔せん選択を」


 二人分の手帳を不愛想に差し出すと、町長は執務机の背後にある金庫から印を取り出し、それを手帳に押し付ける。簡単な一仕事を終えた町長は、ティオへ顎と目線で「持っていけ」と訴えた。


「ウェリアの町長の話はもっと長かったのに」と再びティオは不満を感じたが、別段聞きたいわけではない。

 最後の一言に何の意味があるのか気にかけながらも、言葉を請うことはせずに手帳を受け取る。

 そして相手を下手に刺激すまいと、手帳をすぐにしまって部屋を後にしようと踵を返した。


「ありがとさん」

「失礼します!」


 ティオは愛想笑いもせずに、心にもない礼を告げる。


 少女を背負ったまま一足早く部屋を出ていく子どものあとを、ティオの父親が追いかけようとした。彼は僅かな間、長の顔色を窺おうとしたが、相手の表情が読めず、諦めて頭を下げて静かに退室した。そして、数年ぶりに再会した子どもの後を追いかける。


 アーブは丁寧に頭を下げて律儀に礼をした。


「有り難う御座います。これでもうご迷惑はおかけしません」

「フン……」


 町長は座っていた椅子を素早く回転させ、窓の外を眺めた。


「お前……名を何という?」

「はい……? ……。アーブ……です」


 ティオ同様、多くを言われずにこの場を立ち去ることになるかと思っていたアーブは、不意に声をかけられて首を傾げた。


「お前、我が国の戦争について、どこまで知っておる……?」


 背を向けてしまった町長の表情は掴み取ることが出来ない。


 疑問の発端は外での口論中の、自分の発言にあるのだろう。そう理解したアーブだが、問いかけにどのような意味が込められているのか図りかね、怪訝な表情をしそうになるのを耐えた。


「私が存じ上げているのは、旅の最中に聞いた噂話などです」

「そうか……」


 椅子を逆回転させ町長は、アーブに向き合った。


「お前。我が国と休戦状態にある……ウォルシャカ国出身か」

「よくお分かりになりましたね。けれども、今の私には関係ありません。私はただの、吟遊詩人です」


 向き直った町長の真剣な眼差しに射抜かれながらも、アーブは強い意志と笑顔を保って答える。


「そうか。……行って良いぞ」

「はい、失礼いたします」


 視線と会話から解き放たれ、アーブは急いでティオたちを追いかけた。廊下を走る吟遊詩人はそれまでの笑顔から一転、不安で満たされた表情をしていた。


「……」


 一人部屋に取り残された町長は、静寂の中肘を執務机に当てて手を組む。


「……あの小僧の目的は……娘……。『暁の娘』か……」


 誰にともなく呟き、町長は静かに目を閉じ俯いた。その閉じた瞳の裏は何を映し出しているのだろうか。

 その思惑は本人のみぞ知る。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る