参朝参夜:壱の印~2~

 やがてレーメも一つ目のサンドウィッチを食べ終え、二つ目へと手を伸ばした。選んだのは最後の一つ、ペースト状のパンプキンと木の実の菓子風のサンドウィッチだ。

 最初のうちは木の実の歯ごたえとパンプキンの甘さを堪能していた彼女だが、途中で異様な食感と異音を感じ首を傾げる。


「?」


 どうも異物が混入しているらしい。ティオの二の舞になるようで、レーメは何とも言えない心境になる。彼のときとの相違は、見た目や味に問題はないことだ。


 異様な触感の原因を吐き出してみると、それは乱雑に折り畳まれた白い紙だった。


「何だそれ?」

「わからない」


 ティオが興味深そうにレーメの手の中を覗き込む。

 先程までと二人の立場が逆転する中、首を傾げながら折り畳まれた紙を開く彼女の目に映ったものは、大きく汚い字で「バーカ」と書かれた文字だった。


「……ッ!!!!!」


――ピシッ!!


「いてえぇぇ!?!」


 直後、軽くものを叩きつけた音とティオの叫びが響く。

 文字をのぞき込みに来たティオの顔が丁度叩き付けやすい位置にあったため、レーメは字を見た瞬間に無意識に彼の頬に紙を思いっきり叩きつけていた。


「なにすんだよ!!」

「あ、ご……ごめん……」


 叩きつけた紙をティオの頬から慌てて剥がし、レーメは謝った。


「んだよ。なんて書いてあったんだ?」


 口を尖らせたティオは自分が叩かれた原因を突き止めるために、剥がされたばかりの紙をレーメの手から奪い取る。

 そして、片手で叩かれた頬をさすり、反対の手の親指と人差し指の先で汚い物を触るかのようにつまみ上げた。


「なんだこりゃ!汚ねぇ字だな!えー……なに……『バーカ』?」

「……」


 決して、悪意を持って言ったのではないのだろう。そう思いながらも、自分がバカと言われたように感じたレーメはティオを睨み付けた。


「なんで睨むんだよ」


 彼は悪くないが、一つ挙げるとするならば、何も考えずに紙に書かれた文字を読み上げてしまったことが睨まれる原因だ。


 レーメの心境を知る由もないティオにとっては訳も分からずに睨まれ、彼は理不尽さを感じるのだった。


 肩をすくめてみせたティオはその直後、何かに気付くと紙を顔のすぐ近くまで持ち凝視し始めた。


「ん?なんだこりゃ?」

「どうしたの?」


 すでに紙への興味を無くしたレーメは他に異物がサンドされていないかを確認をするために、食べかけのサンドウィッチを開きながらティオへと問いかけた。


 パンはパンプキンペーストが塗られた上に木の実が乗っているだけで、他には何も入っていない。


 紙以外に異物が混入していないことに満足したレーメは、二つに分離させたパンを元に戻し再びサンドウィッチを頬張り始める。


 ティオが言い放った二度目の「なんだこりゃ?」は、何に対してだったのだろうか。レーメの問いかけへの返事はまだ返ってきていないが、代わりに声を殺すような息遣いが聞こえる。


 不思議に感じたレーメはサンドウィッチを口にしたまま、彼の様子を窺う。


「……くっ」


 すると、ティオはレーメを見て必死に笑いを堪えようとしていた。

 だが堪えきれていないその顔は笑みで歪んでおり、今にも噴き出しそうな口を手で押さえている。


 そんな彼の様子を、彼女は怪訝な表情で睨み付けた。


「……っくっくっく……」


 しかしその態度は、ティオの笑いを余計に誘うものだった。ついには堪えていた声が完全に漏れてしまう。

 こうなってしまうと彼は笑うのを止められず、そのまま流れるように息を吐き出し大笑いし始めた。


「ぷはっ!あはははは!!!」

「……な、なに……?」


 自分は何をしてしまったのだろうか。ティオは何に対して爆笑しているのだろうか。


 レーメは混乱する思考の中で何が原因かを考えたが、すぐには答えが導き出せない。


 そうして、彼女にとって楽しかったはずの食事の時間は、急激に得体の知れない不安感に包まれたものへと変化していった。


「か、貸して!」


 笑い続けるティオの様子に、レーメは不安のあまり表情を真っ青にしていく。


 震える手でティオから紙を奪った彼女は、どんな些細なものも見逃さないように目を見開いて紙を調べた。


 すると、紙の隅のほうに小さな文字が書かれていることに気づき、息をのんだ。


『お前が居ないから先生が変なメシ作るんだよ!!とっとと旅を終わらせて帰って来い!』


「……っ」


「バカ」とか書かれた字と似たような筆跡のそれは、目を凝らして見ないと気付かないほど小さく小さく書かれていた。


 それこそ、最初に紙を見たレーメのように、大きく書かれた文字に注目してしまうと気付かないほどに。


「なん……で……?」


 ティオが爆笑している原因が分かりレーメは胸をなで下ろす。同時に、これが誰が書いたものなのか気づき呆然と呟く。


 このような内容の文章を書く人物は、この街を出るときに彼女のことを最後に見送った孤児院のネクトくらいだ。


「もしかして……孤児院に行った……?」

「ははっ……。あー、ああ。そりゃそんな紙入ってたらやっぱバレるよなー」


 腹を抱えていた手を離すと、今度は頭を掻いて喋るティオ。


「うん。……行ってきた」


 笑うのをやめたその表情は、ほんの少し申し訳なさそうに見える。


「この前レーメに手帳を渡されただろ?その時に緊急連絡先を見たのを思い出してさ。レーメが育った所がどんなところだったのか見てみようと思ったんだ」


「そんなの、良く覚えていたね」


「一瞬しか見ていなかったから、育ちが孤児院ってのしか覚えてなかったよ。あとは……レーメはこの街で有名だったみたいだし……さ。だからうろ覚えでも探すのは簡単だった」


「……」


 ティオが気まずそうに話すのを、レーメは俯きながらも黙って聞いていた。


「孤児院の奴らはみんな、元気にしてるってさ。それにレーメのこと、心配してたよ」


「一緒に旅をしているって言ったらビックリされたけどな」と言いながら、ティオは笑ってみせた。


「……心配……。そんなわけ……ない……」

「そんなわけある!」


 否定するレーメの肩をティオが掴んで強く肯定すると、彼女は何も言い返せずに息を飲んだ。


「……っ」


 ティオの言うことは本当にだろうか。レーメは彼の真っ直ぐな瞳に耐えられず、俯き始めた。


 何かと彼女にちょっかいを出していたネクトや、すでに成人の儀に旅立って行った黄昏の彼以外にも、レーメを輪の中に誘おうとする子どもたちは、孤児院の中に確かにいた。


 けれども、彼らが見せる態度は、レーメを腫れ物扱いしているようでもあった。そうなってしまったのは、《暁の娘》と呼ばれ街で嫌悪されている少女に対してどういった態度で接したら良いか図りかねていたからだ。


 そうして恐る恐る差し伸べられた手に込められた意図を、レーメは読むことが出来ないでいた。彼女は自分が毛嫌いされているものだと感じ、彼らの輪の中に入ろうとしなかった。


「本当なんだ!」


 信じられずにいるレーメに手を差し伸べるように、ティオはもう一度肯定する。


「だからこうやってレーメの為にサンドウィッチを作ってくれたんだよ」


 そのサンドウィッチの中には彼が被害を受けた嫌がらせとしか思えない物も入っていたのだが、あれはわざとだったのだろうか。


 そう考えかけたレーメが孤児院にいた頃の記憶を思い起こしていくうちに、料理が下手であるにも関わらず、進んで台所に立とうとした人物がいたことを思い出した。


 彼女が台所に向かう度に、ネクトやほかの孤児院の子供たちが必死になって料理音痴の人物を止める。そしてその隙をついてレーメが料理を作ることになっていた。


 そんな、何でもないようで子供たちの連携がうまく取れていた出来事は、彼女の記憶の片隅にひっそりと残っていたのだった。


 もしかしたらその人物が、良かれと思って自分の料理もティオに持たせたのだろう。


 自分が意識して過ごしていなかった賑やかな思い出に、レーメはポツリと呟き、俯いていた顔を少しだけ上げる。


「私……」


 レーメが育った街にいたのは、彼女に悪意を向ける人物だけでなはかった。

 もし、レーメが少しでも彼らに近寄っていれば、彼らと仲良くなることが出来たのだろうか。


 今更そんなことに気づいたとしても、過去が変わるわけではない。


 ただ、身近な人たちに自分が嫌われてのではなかったという事実が、街に対して恐怖感を感じていた彼女の胸に穏やかに染み込んでいく。


「ん?」


 ティオは変わらず、真っ直ぐで曇りのない瞳をレーメに向けている。


 何気なく彼の視線を捉えた彼女は、心の中に抱いていた不安を思わず口に出した。


「私……もう帰ってこなくて良いって……そう……思われてるかと思ってた……」


 レーメは今日ウェリアを離れたあと、今度こそ街に戻るつもりはなかった。


 しかし、もし再び故郷に足を踏み入れることがあるとしたら。

 自分に対して敵意を持たない人物もウェリアにいたことを知ったことで、少しは穏やかな気持ちで戻ることができるだろうか。


 出てきそうになる涙を堪えるレーメに、ティオは口では馬鹿にした態度を取りながらも優しく笑って見せる。


「バッカだなー」


 その優しさに堪えていた涙が思わずこぼれてしまいそうになった彼女は、目をそらしてごまかすように反論する。


「ティオの方がばか。変なのが入ってるのを真っ先に選んだから」

「おい!食う前に気付いていたのかよ!」


 しんみりとしていた空気が一気に賑やかさを取り戻していく。


 こうして二人は無事に一つ目のスタンプを押し終えた。


 その数日の間に、レーメはティオの瞳の優しさに安心させられてきた。


 これからも、レーメの心に迷いが生じることがあれば、そのたびに彼女はティオの瞳を覗き込みたくなるだろう。

 まるで、自分の生きている意味を認められ安堵するかのように。


 残りのスタンプは、あと三つ。

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