第13話 アイスミントティーの女
香川警備保障の件は、全くもって進展がない。経営状況が悪化しただけで倒産したただの会社なのかもしれない。トラックが突っ込まれたという少しセンセーショナルな事件と、たまたま同じ日にライブ会場で爆破事件、その警備にあたっていたのがその警備会社という偶然が重なっただけなのかもしれない。
カチコミのような事件も、調べてみると報道されたこともなければ、事件の記録がない。香川警備保障が携わった件で、何かの逆恨みなのか、イタズラなのか。警備会社というのは警察関係者のOBが在籍することが多い。単なる傷害事件で、現役警察関係者が揉み消したとも考えられる。きっと揉み消せるほど、大した事件ではないのだ。
そもそもトラックが突っ込んだのも、単なる事故かもしれないのだ。最近の動画編集というのは素人でも簡単に作れるらしい。事故の現場を元に、自分のSNSのビュアーを増やしたい輩の作られたものなのかもしれないのだ。書き込みで仕入れた情報も、その動画を見た人が集団催眠にかかったように、知ったかぶって見た気になっているのかもしれない。オカルトチックなことのように聞こえるが、そういうことは現場で聞き込みをしているとよくあることだ。人の記憶ほど当てにならないものはない。
それに第一、この事件に興味を持つ読者はいるのだろうか。1つの会社が無くなっただけの話、そんな記事を読むほど読者も暇ではないはずだ。
俺はなぜ、こんな事件に興味を惹かれたのか思い出せない。ジャーナリズムをくすぐられた感じがしたのは、気の病だったのだ。
あまりの進展のなさに、嫌気の方が勝り、書く気力も興味も失いかけている。
それでも未練がましく、浮気現場の張り込みやネタ探しの合間に、「ミュージックスタジオ アオバ」の近辺など香川警備保障の件に関わりがありそうな場所を彷徨くが、これまで調べた以上のことはなにも転がっていない。
そして、気持ちが疲れてくると自然に足がcafé Sun Flowerに向いている。あのアイスミントティーが飲みたくなるのだ。
「ニラさんかい、またアイスミントティーか?」
サクジと呼ばれているウエイターに笑顔で迎えられた。通ううちに、店員の名前も覚えた。オーナーは藤原景子、ゴリラ顔は神野靖「ジンさん」と呼ばれている。そしてこのサクジと呼ばれているのは、神宮寺作次郎。このほかに、佐々木良和、大野哲平という2人のウエイターがいて、店舗の上が住居になっていて、共同生活をしているのだそうだ。
「もしかしてアンタも、景子ちゃんに惚れちゃったんじゃねーの」
「そうかもな」
3ヶ月も通ううちに冗談も言える間柄になってきた。その間、どれだけのくだらない記事を書いてきたのだろう。書く対象が違っても、同じような内容のルーティンワークだ。書いていて、つまらないが、楽だ。頭を悩ますこともなければ、苦しいこともない。
季節は春だ。街の雰囲気が忙しないようでいて、まったりとしたような、色んな空気が混じっている。他の人季節ではなんとも思わないのに、春は見たことがない人の顔で溢れているように見えた。べつに他の季節に歩いている人が、全員見知った人間というわけではない。たぶん春を、そういう季節だ、と認識しているだけに過ぎない。新社会人や大学生が生き生きと新しい生活を始め、その新しい生活にも慣れてきた、東京にはそういう新しい顔で溢れている、そういう目で見ているのだ。
そして俺たちが書く記事もそうだ。熱愛に然り不倫にも然り、真意のほうは然程関係ない。読者が求めている通り、それに尾ひれ背びれを付けて、大袈裟に書けば喜ばれる。
新しい客が入ってきた。今日は土曜日だった。昼から家族連れやカップルが目立つ。
入ってきたのは若いカップルだった。
「いらっしゃーい、あ、慶太くんも来てくれたの?」
藤原景子がそのカップルを迎えた。カップルは、さっき俺が店の入り口にいる時に入ってきた家族の席に案内されていた。
「あのお母さんが、このアイスミントティーの入れ方、教えてくれたんですよ」
藤原景子が空になった俺のグラスに、アイスミントティーのお代わりを当たり前のように注いでいる時、そんなことを言った。
お母さん?藤原景子は誰のことを言っているんだろう。そう思っているのが顔に出ていたのか、藤原景子は、さっき家族連れと合流したカップルの方を指差した。
「あの人です。わかんないですよね、見た目若すぎるけど、あの子のお母さんなんですよ」
カップルだと思っていた男女は、言われてみると男の方は中学生くらいに見える。女の方もは、背が低く服装も若いというか幼いので、言われても信じられない。
でも、この女、どこかで見たことがある気がする。
藤原景子は家族連れとカップルと思っていた親子が座るテーブルに行き、何か世間話をしている。男の子の母親が、俺の方を向き、会釈してきた。いつもアイスミントティー飲みに来てくれるんですよ、というような感じで俺のことを紹介したのか。俺は会釈し返した。
若くして子供を産んだのか、どう頑張って見ても20代前半、藤原景子に言われなければ、息子と同じくらいの年にしか見えない。薄い緑色のワンピースにフリルの付いた襟、髪の色も明るい茶色で目立つカチューシャをしていた。
突然、俺の頭の中で閃光が走った気がした。
この女、あの時の動画の女だ。
俺は、浅場直樹にLINEした。
:このあいだの、トラック突っ込んでる動画を送ってくれ:
ずっとスマホを触っているのかと思うほど、すぐさま浅場直樹から返信が来た。
:そんなの自分で検索すればいいじゃないですか:
俺はすぐに打ち返す。
:調べ方がわからない。すぐ送れ:
たぶんネットで調べているのか、少し時間がかかり、動画が送られてきた。
画像が鮮明でないから、はっきりとは言えないが、髪の色、背格好、このトラックの運転席から降りてきた若い女と、このアイスミントティーの作り方を教えてくれたという目の前の女、同一人物と思えた。
俺はもう少し調べることにした。
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