第9話 消えてはまた現れる

 それから二人の表情はしだいに落ち着いたものになり、二人が同じ答えに行き着いたことが想像できた。

 先に、夕雨ゆうさめが口を開いた。


「……わかった。そこまで言うのであれば。我らが影の世界に穴をあけ、影食かげくいを誘導しよう」

「はい。そして、近くであなたのことを見守らせて下さい」

「……ありがとよ」


 煙羽えんうは、あくまでそっけない返事をした。それから黙って話を聞き続けている死神に顔を向けた。


「いいか? 現世に影響を与えることになるかもしれない」


 死神は目を閉じた。そのまま踵を返す。


「穴の広さは最低限、開けている時間も最小限にしろ。現世への影響を押さえることに努めてくれ。……後は好きにするといい」


 その言葉に煙羽が答える前に、


「ありがとなのじゃ」

「ありがとうございます」


 潮里しおりと夕雨が先に答えた。


「なんでお前らが言うんだよ」

「同じであろ? 我らは仲間なのじゃから」

「ふーん。俺にはそんなつもりは少しもねぇけどな」

「なんじゃと?」


 夕雨はそのまま煙羽に詰め寄ろうとしたが、潮里がやんわりと引き留めた。


「煙羽さん。あなたの正刻せいこくはいつですか?」

「……十七時十四分になります」


 煙羽のワタリは飛んでくると、そう答えた。


「では、後二時間ほどですね。それまでは休みながら、作戦を考えましょう」

「……楽しそうだな、お前」


 潮里は、煙羽に大きくうなずいてみせた。


「楽しいですよ、誰かと何かを一緒にできるということは。……それにしても煙羽さんはすごいです。長い間影浪かげろうをしている私たちは影の世界を守るべきだと思っているから、壊すなんてなかなか思いつかないです」


 潮里は嬉しそうに言うと、夕雨とともに少し離れた場所へ歩きはじめた。二人のワタリも後を追って、地面を跳ねるように歩いていく。

 煙羽もそんな二人の後を追おうとして足を止めた。改めて死神に顔を向ける。


「なあ、ちょっと訊いていいか?」


 背を向けたままの死神は何も言わなかったが、煙羽はそれを肯定として受け取った。


「あの二人は影食いに勝つことよりも、俺が消えるかもしれないことを気にかけてる。なんで、そんなに敏感なんだ?」

「……そんなことか」


 死神はつぶやくと煙羽に顔を向けた。その目はすでに開かれている。


「君は、考えたことがあるか。新たな影浪かげろうが現れる時、決まって何が起こるのか」

「……いや。でも、そんなのないだろ。俺たちはいつ現れるかもわからない、不確かな存在なんだから」

「違うな」


 死神は否定の言葉を口にすると、夕雨たちに視線を向けた。二人は足を止め心配そうに煙羽を見つめている。

 死神と煙羽の声は小さく、二人には会話の内容が聞こえていないのだった。


「影浪は少ないものの、常に一定の数存在している。一定の数より、大幅に増えることも少なくなることもない。なぜかわかるか」

「…………まさか」

「そう。影浪が消えた時影浪は現れる。君が影浪となる少し前に、一人の影浪がこの世から消えている、ということになる」


 死神は淡々と事実を述べていく。


「そして影浪が消える理由はほとんどの場合、影食いによる消滅だ。若い影浪は経験不足から、やられてしまうことが多い」

「……あいつらは、それを恐れてるのか」

「彼らはそうして何度か仲間を失っている。君の前にった影浪は三十年ほど影浪を務めていたが、あの二人と比べれば大したことのない年数だった。君など、あの二人にとっては本当に力の弱い影浪でしかないのだろうな」


 人が嫌なことを簡単に言ってくる奴だと、煙羽は改めて思った。


「気にかけるのもわからないわけではない。君はまだ君という存在に、自信が持てていないらしいからな」

「でもだからこそ、やるしかねえんだ」

「…………」


 両のこぶしを握り締めた煙羽に、死神は意味ありげな視線を送った。その意味が、煙羽にはわかるはずもなかった。


「忘れるな。君が願えば、いつでも私は影浪の宿命から君を解き放てるということを。そして、そのことを知りながらり続けている彼女たちの意志の強さを」


 死神は右手を横に伸ばした。その手に鎌が何の合図もなしに現れる。冷たい光を投げかける銀色の鎌が、煙羽に向けられる。

 二人が驚き駆け寄ろうとしているのが見えたので、煙羽はその二人に向かって首を振った。自分を消そうとしているわけではないとわかっていたからだ。


「進むといい。君たちは儚いからこそ、強い意志を抱けるのだから」

「なあ……」


 煙羽は眉をひそめながら、声を張り上げた。


「あんたは、俺たちの味方なのか?」


 それは今回の騒動を通して、影浪全員が感じていた疑問だった。助言のようなことを言ってきたり、影浪たちを安全な所に連れてきたり。

 それは、監視という役目から外れている行動のような気もした。 

 死神は鎌を下ろした。遠くにいる二人に聞こえるように、声を強める。


「我らは等しく魂を見守る。それだけのこと。私は冥主めいしゅの命を遂行するだけのこと」


 彼は、そのまま鎌を地面に突き立てた。


「君たちが気にするのは、自らの存在だけにするといい。武運だけは祈ってやろう」


 そうして、彼はいつものようにその場から消えた。地面に突き立てた鎌とともに、跡形もなく。


「どれだけ話しても、腹の底が見えん奴じゃ。全く」


 夕雨が、呆れぎみに声をあげた。


「それでお前、あやつと何を話しておったのじゃ?」

「大したことじゃねぇよ。影食いについてのこととか影の世界についてこととか、確認しただけだ」

「む……そうか」


 納得しきれていないところがあるようだが、夕雨はそれ以上訊こうとはしなかった。


「まあ、そんなことはいいではないですか」


 潮里は、明るい声で二人に話しかけた。


「だな」


 煙羽は同意すると二人に近づいた。潮里はそれを確認すると公園の中に向かって歩きだそうとしたが、何かに気づいたように動きを止める。

 残りの二人が視線を追うと、そこには入り口の横に置かれた掲示板があった。

 町内会のお知らせや道路工事案内など、雑多な紙が貼られている。中には、風雨にさらされ、ぼろぼろになっているものもある。


 その中で一つ、目新しい張り紙があった。


「花火かよ……」


 心底嫌そうな顔で煙羽はうめいた。

 それは、この公園がある市内で行われる花火大会のお知らせだった。日程は八月のはじめ、ちょうど今日になっている。

 張り紙を見つめる潮里の顔が、嬉しそうに綻んでくる。煙羽は、潮里が何かを言う前に口を開いた。


「行かねえぞ、俺は。死んでも」

「どうしてですか? きっと楽しいですよ」


 煙羽の予想どおり、潮里は三人で花火を見に行きたいと思っているようだ。影の世界からも花火は見ることができる。


「それに煙羽さん。あなたはもう死んでいますよ」

「……それはその、言葉の綾ってやつだろ。とにかく俺は嫌だ。これからすることを考えたら、そんなの見ないで俺は休むほうがいいね」

「そんな……」


 潮里は顔をうつむかせた。


「気にするな、潮里。我と行こうぞ」


 夕雨は潮里の顔をのぞきこんだ。


「影食いとの戦いが終わったら、自分への褒美として行きたいのであろ?」

「それもありますが……」


 潮里は顔を少し上げた。その眼は先ほどよりは、強い光を帯びている。


「私は、三人でそういうことしてみたいんです。いつもは一緒にいられないから……」

「なるほど、それはもっともな考えじゃな。なあ、煙羽」

「……だな」


 不機嫌そうな声で、煙羽は返した。


「けど、俺はそんなことを今約束したくないんだが。フラグ立てるような気がする」

「ふらぐ?」


 夕雨は、ぽかんとした顔で訊き返した。


「だってよ、戦う前に約束とか夢を語ると大概そんな奴はろくな目にあわないって決まってんだ。それがフラグだ。だからやめようぜ、縁起でもねえ」

「むむ?? ……よくわからぬが、結局、お前は行きたくない口実として言っているだけであろう」

「おお、当たり前だろ」


 二人が話す横で潮里はじっと張り紙を見つめてから、


「わかりました……」


 煙羽と夕雨に顔を向けた。


「みんなで行くのは諦めます。それに、今は目の前のことに集中すべきなのに、軽はずみなことを考えてしまった私も悪かったですね」


 潮里は気を取り直したのか、いつもの控えめな笑みを顔に浮かべた。


「作戦、考えましょう!」


 そう言うと、潮里は地面に勢いよく座った。自分に張り紙が見えないようにしているのか、その方向に背を向けて座っている。

 夕雨は、煙羽を少しにらんでからそれに続くように座る。

 煙羽は肩をすくめると、二人に続いた。

 彼からはその張り紙が見えていて、煙羽は作戦を話す間、その紙を視界に入れていた。

 三人の後ろには先ほどのようにワタリたちがいて、話し合いが終わった後、影浪たちが休憩している間、周囲の監視を頼まれるはめになった。


 現世はその間に、日が傾いてきた。

 雲一つないそんな空をワタリたちはじっと見つめた。傾いてきた日の光と冥界めいかいの光が混ざりあう様子は、神秘的で美しかった。

 その空を見つめてからワタリたちは休んでいる影浪たちに声をかけた。時間である、と。

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