閑話 ある存在に関する記憶

 ――その存在自体は、はるか昔から確認されていたという。


 かつて我々は、その存在の特異さゆえに、彼らを見つけては消滅させていた。

 全ての魂は、死んで肉体を離れた後、冥界めいかいに至り新たな命へと転生する。輪廻の中で全ての魂は幾度いくども転生を行っている、ということになる。

 我々の役目の一つは、その魂の定めを見守り、全ての魂を行くべき場所に導くことである。


 その定めの中で、死後、輪廻から外れてしまい、世界の境界に縛り付けられた彼らはるはずのない存在である。

 彼らは、世界の境界から冥界に続く門へと踏み入ることはできない。

 つまり、生前の姿をとどめたまま、世界の境界で半永久的にり続ける。


 そんな、世界の理から外れた彼らが存在することは更なる理の乱れに繋がることと我々は考え、彼らを消滅させていたのである。


 例え、想いを力に変える能力を持つ彼らでも、魂を切り取る鎌に抗うことはできなかったのだ。





 ある時何を思ったのか、我らが主、冥主めいしゅはそんな彼らに名を与えた。


 現世と冥界の境界に広がる影に染まる世界。

 その影の世界を放浪する、輪廻から外れた魂。蜻蛉かげろうのごとき、儚い存在。

 ゆえに影浪かげろう、と。



 影浪は、その存在の特異さと希薄さゆえに数自体はけっして多くない。しかし、一定の数を保ちながら世界の境界に存在している。


 彼らが現れる理由は定かではないが、いくつかの条件を満たした魂である必要があるようだ。


 まず彼らは、強い魂を有している。

 そして、彼らの生きた年数は、おおむね十代半ばから後半である。

 この年代は、大人になろうとする体と大人になりきれない精神との間での葛藤が大きくもたらされる。

 この精神の不安定さが魂に影響し、冥界と現世の間という、世界の境界に引かれてしまうようである。


 生まれてからあまり経たない幼い魂は、現世との縁が弱く冥界に引かれやすい。逆に、生きた年数が長いと未練も多く、現世との縁も強いためとどまろうとする魂が多くなる。

 どちらにも定まらない精神の持ち主が、現世と冥界の境界に迷いこむのは道理であると言えるだろう。


 また彼らは総じて、臨終のさいに強い想いを抱いている。その未練こそ、彼らが存在する理由となっているようだ。

 影浪は、り続けるという意志が弱いと、力や存在が薄くなってしまう。その果てには、彼らは消えるとされる。


 輪廻から外れている中で、消えてしまえばその魂は二度と復活はしない。生まれ変わることもない。

 彼らの存在は、本当の意味で終わるのである。





 これまで長い間、彼らをてきた。

 ただ依然として、影浪については不明な点が多い。存在自体が不確定なのだ。調査はあまり進展しない。


 だとしても、我々死神は魂を司るものとして、彼らについて今後も調べる必要がある。


 これはまた、冥主のめいでもある。私は、そのめいを実行しなければならない。


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