第4話 彼の名は


 彼の元へ戻ったのは、30分程経った頃だろうか。先ほどの客は既に居らず、彼はひとりで絵を描いていた。



「やあ、先ほどはどうも失礼しました」


 優馬の声に、彼は弾かれた様に立ち上がると、ペコリと頭を下げた。


「さっきは済みませんでした。俺、余計なこと言っちゃって」

「いえいえ。こっちこそ変な風に逃げたりして」


 男ふたりが謝りあっているのを他所に、栞は絵を見分している。


「あらら。私の欲しかった絵は売れちゃったのね。窓から雨模様を見下ろしてる感じの」

「ああ、はい。今日はわりと売れ行きが良くて。すみません」



 優馬が栞の隣にしゃがみ込んだ。


「あー、あの赤い傘の子のやつか。あれ良かったよな」

「そうそう。となりの小さな黄色い傘の子も可愛いの」


 栞も膝を抱えてしゃがむ。


 ふたりして指を差しながら、あれがいいこれもいい等と言い合っていると、彼が思い切った様に声を上げた。


「あの、もし良かったら、好きなのひとつずつ差し上げます。持ってって下さい」


「え」

「それは駄目よ」


「いえ、あの‥‥俺、嬉しかったんです。シャッターの絵をずっと見ててくれたのも、今日声を掛けてくれたのも。だから、お礼というか、さっきのお詫びというか‥‥」


 言い終えると、彼は両手を後ろに回し腰の辺りをゴシゴシと擦りながら照れた様に目を逸らした。



 3名の話し合いの結果、2点の絵を1000円&缶ビール1本で買うことに落ち着いた。


「なんか、逆にすみません。気を遣わせちゃって」

「ううん。とんでもない。元々買うつもりだったんだもの。得しちゃった。ね?」


 同意を求める栞に、優馬は笑顔で頷く。

「だな。あのさ、俺達これからメシの予約入れちゃってるんだ。だから今度、改めて似顔絵を頼みに来るよ。いつもここに居るの?」



 話によると、公園の使用許可はひと月毎に申請しなければならず、来月以降のことは未定なのだそうだ。なので、許可が下りなかった場合は、別の場所で描くことになるらしい。


 あ、と言って彼は荷物を探り、「これ、良かったら」と小さな白いカードを取り出しふたりに手渡した。


 右上と左下の隅に、4分の1の太陽と三日月の手書きイラストがあしらわれており、中央には名前が書いてある。


「俺、大月 陽って言います」



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