第9話 事情説明と烏骨鶏のカステラ
カラコロンとドアベルを鳴らしていつもの喫茶店に足を踏み入れる。気分的なものが大きいのだろうが、いつもと雰囲気が変わって感じられた。
うん、気のせいじゃなかった。店長の雰囲気が全然違う。全身に華をまとったような、幸せいっぱいの笑顔を振りまいている。なんだろう、白いドレスを着て神父が待機しているような光景を幻視した。
そして俺の顔を見た瞬間、ボムっと耳まで真っ赤になって後ろに引っ込んでしまった。何この可愛い人。
「いらっしゃいませー」
すんごい棒読みでジト目のこころがやってくる。
「お、おう。とりあえずだ、店長の悩みの第一段階は解決したぞ」
「ええ、ええ、そうでしょうねえ。今朝からずーっとノロケ聞かされたあたしらの身になっていただきたいわあああああああ!」
小声で吼えるという高等技術を駆使しながらオーダーを取り、厨房に戻る。一部の男性客がお冷をまるでやけ酒でも煽るかのようにがぶがぶやっていた。今日は特に暑かったからな。
しばらくして、店長がトレーを持ってこちらにやってきた。顔が真っ赤でプルプルしている。
「お、お待たせしまひた」
噛んだ。ちょっと涙目になっている。恥ずかしいんだろうけど、こっちにはご褒美だ。可愛すぎる。
「ありがと。……大丈夫?」
「は、はひ。ごめんなさい」
「体調悪い?」
「いや、あの、その。恥ずかしくて」
何この可愛いひと。一目がなかったら抱きしめていたところだ。
「あ、えと、今日のランチです」
きのこの和風パスタ。豆腐の和風サラダ。かくしあじ緑茶。塩バニラのジェラート。
これで800円(税別)とかどんだけですか。
「うん、いただきます!」
空腹感がすごいが、落ち着いて食べ始める。暑さを考慮してか少し塩味が強めだが、それが心地よい。
緑茶はひとつまみ塩が入っているらしい。汗をかいた体に染みわたる。そして定番の塩バニラ。夢見心地で食べきった。
満足げに最後に出てきたぬるめのほうじ茶をすする。
「ごちそうさまでした」
「はい、お粗末様です」
この人がそばにいると自然に笑顔が出てくる。周辺では男性客がブツブツつぶやいていたり、テーブルに頭を打ち付けるなどの奇行が散見された。
なんか悩みでもあるんだろうか。
「うふふー、店長、良かったねえ。タヌキさんのおいしそうに食べてたじゃない」
「え、ええ。うん、そうね」
「どういうことです?」
「実はね、タヌキさんの分、全部店長の手作りなのでしたー」
「こころちゃん!?」
「食べてるところじーっと見てたじゃない。そわそわしながら」
うん、なんというカミングアウト。もっと味わって食べればよかった。
しかしさっきから泣きながら店を出て行く男性客が多いな。なんか悲しいことでもあったのだろうか。
「うー、始さん。どう、でしたか?」
「美味しかったです! 毎日でも食べたいですね!」
「ていうか、ほぼ毎日来てるじゃん……って、いつから名前呼びになったの?」
こころのツッコミに俺たちはそろって顔を真っ赤にする羽目になった。
後日、店長ことフミさんからお出かけのお誘いがあった。もちろん俺は有休をとる。理由を聞かれてデートですときっぱり答えると、爺さん上司は頭から湯気を吹きだしそうな表情で届けにハンコを押していた。
女にうつつを抜かして仕事を休むとかなどとほざいていたが、だからてっぺん禿げても独身なんだよとつぶやいておく。耳に入るかは知らん。
というか、俺が自由に振る舞い始め、ジジイの説教を聞き流していると、ほかの若手も俺と同じようにやり始めた。メールでのやり取りや、電子化された書類を使用し、外をてくてく歩きまわるよりも多くの業績を上げ始めたのである。効率化って大事だよね。
さて、この街は古都と呼ばれていると以前述べた。土産物などで和菓子店も立ち並んでいるし、老舗と呼ばれる店もある。
「カステラ、ですか」
俺たちは観光地と呼ばれる通りを歩いていた。古い寺社や街並みが残る風情はまさに古都と呼ぶにふさわしい雰囲気を醸し出す。
その中で、真っ黒な鶏が描かれた看板の店に入った。カステラと言えば長崎だが、なんでまた? と首をかしげる俺にフミさんが説明してくれた。
「烏骨鶏の卵を使ってるんですよ」
「へえ! それは楽しみだ」
店の一部がイートインスペースになっている。そこに腰かけ、備え付けの緑茶を飲む。キンキンに冷えていて暑い中を歩いてきた身にはありがたかった。
お茶うけにしては豪華だなと思うが、ちょっとお高いくらいの価格だったカステラを一切れパクッとやった。
濃厚な卵のうまみが口に広がる。ふんわりとした口当たり、底に敷かれたザラメがアクセントとなってジャリっとした感触だが不快感はない。さっととけて広がる甘みが卵のうまみを引き立ててすっと消える。
口直しに飲む緑茶の苦みが後口を綺麗に洗い流し、再びカステラを食べる。エンドレスだ。そのまま無言で食べきるまでそれは続いた。
ふと気づくとフミさんが蕩けそうな笑顔で俺を見ていた。
「どうしました?」
「いえ、始さんって本当に美味しそうに食べますよね」
「そりゃあそうです。美味しいものを食べると幸せになるじゃないですか」
「うふふ、私もその幸せを分けてもらってる気分ですねー」
「そりゃよかった。あなたが幸せなら俺も嬉しい」
そのまま移動していくつか和菓子を食べ歩いた。柚子を丸ごとくりぬいてそこに詰め物をするとか、いろいろ面白い菓子もあった。一部は冬場しか売っていないとか聞いたので、先の楽しみができたと二人で笑いあった。
「うちの実家がちょっと古い家だってお話しましたっけ?」
唐突にフミさんが語りだした。
「こころからいいところのお嬢様というのは聞きました」
「もう、こころちゃんったら。お嬢様って言うのが当てはまるかわかりませんけど、京都の老舗って呼ばれる和菓子屋なんです。だからお砂糖とか、材料をうちのお店に回してもらえてたんですね」
「なるほど。正直、採算取れてるのかなーって思うこともありましたが」
「あはは、実はぎりぎりです。材料を安く卸していただいているからできてるって感じですね」
「もう少し値上げしてもいいと思いますよ?」
「けど、それだと学生さんが食べに来れなくなります」
「ああ、そう、ですね。うむむ」
「洋菓子系を扱うようになってることが実家にばれちゃいまして、パンなんか置くとは何事だって」
「……それは」
「和菓子至上主義なところがあるんですよね。美味しければなんだっていいのにね」
「そう思います。美味しいものはおいしい!」
ちょっと重い話になってきた。実家絡みのごたごたってこれかと思って話を聞いているとフミさんがちょっとまなじりを上げて、怒ったような口調で話し始めた。
「そうなんです、お父様って頭が固いうえに考えが古いんですよ。というかね、今時二三フミってどうなんですか! 妹の名前もあれで……ダジャレで名前つけるってどうなの!」
うん、なんか話がそれてきた。
「お、おう。名前で苦労するのは、まあ、わかんなくもないです。ええ」
「でしょう? なんかね、うちの伝統で古臭い名前つけられちゃうんですよ。わたしの名前の最初の候補なんか、きな子ですよ? ふざけないでって思いません?」
「それはひどい……」
「きな粉に罪はないですけどね。きな粉餅とか好きですし。けどそれで名前呼ばれるってなったら……お母さんが必死で止めてくれなかったらって思うとぞっとします」
「そうですねえ……」
「だから、このおバカな伝統をやめさせるために戦うのです! お願いしますね、始さん!」
手をぎゅっと握られて真剣なまなざしで言ってくるフミさんはかわいい。しかし、実家との宿業を断ち切るって、こういうこと? え? いろんな疑問が頭をぐるぐるしていた。
次の土日にフミさんの実家にご挨拶に行くことになりました。どうやら年貢を納める時が来たようです。納めるのは全然かまわないんだけど、これ、俺が顔出していい流れなの?
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