ひまつぶし:カエルレウムの場合

 調子がよくなってからは、朝一の鐘より早く起きて身体を動かすことにしていた。

 ただ走ったり、剣舞の型をさらったり、柔軟をしたり。

 ざっと汗を流したら朝食を作って、ユエが起きるのを待つ。たまに起きてこないから、そういう時は起こしに行く。

 屋敷に居た時は使用人がいたから、朝食は運ぶだけだった。

 二人だけの生活は、それでもそんなに変わっていない。




「ユエ、そろそろ起きろ。休みじゃないんだろう? 夜中に起き出したのか?」

「んー……」


 気の抜けた声に呆れるが、一緒に寝ても彼女は時々夜中に起き出していることがある。家族の夢を見て目が冴えてしまったり、ふと星を見たくなるのだと言って。


「明日からはしばらく帰ってこないからな。起こせないぞ」

「……そうだった!!」


 ぱちりと目を開けて飛び起きる。


「3日だっけ? 4日だっけ? えーと、必要なものは揃ってたっけ……」


 自分の支度より明日の心配をし始めて、閉じていた鞄を開けようとするから、身体ごと引き寄せてキスを落とした。


「さんざん確認した。自分のことをやってくれ。まず、飯、だ」

「ん……ふぁい」


 食べた後は一緒に片づけをして、それぞれが着替える。

 何気なくユエの服をチェックすれば、半袖シャツに膝丈のスカートを合わせようとしていた。

 動きにくいからとスカートの丈が短めのを選ぶのは、あまり褒められたことじゃない。実年齢より幼く見えるから、ある程度は見逃してもらえるが、登城するとなると悪目立ちする。


「ユエ」


 びくっと彼女の肩が跳ね上がる。


「い、いいじゃん。下に細身のズボン合わせるし、どうせあっちで着替えるんだし……」

「城に出入りする人間のチェックは厳しいんだと何度言えば」

「えー……お爺さんはあのままじゃん……」

「爺さんはさんざん有名で、あれ以上どうしようもない。妙なやつに絡まれても自分でどうにかできる。けど、ユエは下手に目立ちたくないだろ? また厄介ごとに巻き込まれたいのか?」


 ユエの持つ『繋ぐ者』の加護は珍しい。さらに、同じ『繋ぐ者』の中でもユエの能力は一つ頭を抜いている。あらゆる言語を理解し使いこなし、その上、紋や印などの偽造も見抜けるのだ。大国や、各国への布教を強化したい教団などに知られれば、手段を選ばず狙われると想像がつく。

 さらに、彼女には誰もが持っているはずの魔力がない。防犯で使われる登録制の魔道具も、反応すらしない。つまり、悪用しようと思えば、いくらでもできるということだ。本人の自覚が薄いせいで、こちらはいつもハラハラする。


 当たり前だが、そういうあれこれはごく一部の者たちしか共有していない。

 城での仕事も領主のお墨付きがあるからできているのだし、それに甘えてはいけない。


「せめてこっちにしとけ」


 脛まであるエプロン型のワンピースを取り出して彼女に渡す。

 本当は足首まである長さのかっちりとした七分袖のものを着せたい。でも、彼女は暑さに弱く、元の世界の夏場は足や肩のほとんど出るような、こっちが目を覆いたくなるような服で過ごしていたのだという。だから、俺としてはかなり妥協しているのだが。

 幸い、城にはお仕着せがある。まだ若干不服そうな顔に懇願する。


「家ではいい。でも、仕事に行くときは我慢してくれ。俺が戻ってきたらユエが誘拐されていたとか、洒落にならん」

「大丈夫だと思うけどな。物好きは多くないよ。ガルダもどこかで見張ってるんだろうし……あー、でも、そうか。カエル留守の時は護衛業界隈のみんなが見回ってくれるんだっけ。どこかで誰かに見られてるってことだもんね……」


 思い出したというように呟いて、息をひとつつくと、彼女は諦めてくれたようだった。都会に出てきて、周囲とのかかわりも少しずつ変わってる。来年は言わなくても覚えててくれるといいんだが。夏の初めはだいたい同じようなやり取りをしてる。


 髪を編んで、化粧もしてやって、一緒に家を出る。

 お互い仕事の間は心配してもどうにもできない。何かやらかしていたとしても城の方でなんとかして――




「ちょ、ちょっと、待て。髪を結ったり、化粧まで君がしてるのか?!」


 思わずというようにフォルティス大主教が口を挟んだ。


「髪は、以前彼女が切ると言った時に、俺がやるから伸ばせと言ったんだ。化粧は、あっちに居た時から面倒がってあまりしなかったんだが、城に通うならさすがにまずいだろってやってやったのが……なんとなく習慣に……」

「いや、できるのがすごいと言ってるんだ。奥様に習ったのか?」


 驚いてるのか、呆れてるのか、フォルティス大主教はカップを持ったままこちらを見ている。


「いや。ビヒトに。お嬢もあまり外に出るタイプじゃなくて、使用人のアレッタがいるときはいいんだが、何かあった時のためにって、結局そういうのはビヒトが覚える羽目になってたから」

「ビヒトさんが!?」


 ようやく置かれたカップは、勢い余って中身を少し飛び散らせていた。

 冒険者のビヒトの噂しか知らないなら、そりゃ驚くよな。


「あまり外の人間を雇えない事情があったんだ。だから、ビヒトは何でもできるようになった」

「……彼に習った君も、というわけか」


 細く零れるような息の音を聞きながら、俺は頷く。


「夕飯は先に帰るユエが作ってくれる。食後のお茶は俺が。すっかり習慣になってしまったのは、ユエが幸せそうに飲んでくれるから、かもしれないな。たまに遅くなるとテーブルで寝ていたりして、申し訳ない気持ちになる。ベッドまで運んでやるんだが、鍵もかけずに割とどこでも無防備に寝てしまうのは心配でもあって……屋敷に居た時もそうだったから」


 「ああ」とフォルティス大主教はそれに納得の声を上げた。心当たりがあったのかと少し眉を寄せる。


「審問会の時、俺の部屋でもそういえば。あの時は、張っていた気が緩んだんだろうが……」


 深いため息が出た。フォルティス大主教は苦笑してる。


「なるほどそうか。それは、結婚するまで……しても、心配になるな。外で見てる限りでは、しっかりしてそうにも見えるのにな。よほど君に甘えてるのかもしれんなぁ」


 一転して、にやにやと言われて、頬が熱くなった。そうだろうか。そうだと、いいのだけれど。まだ少し残るカップの底に視線を落とし、ふと、聞いてみたくなった。彼には、のことがどう見えているのだろう。トラブルメーカーだというくせに、口調は温かい。

 聞いてしまえば今以上に嫌えなくなりそうで、ずっと避けてきた。

 彼も解っていて俺にあいつの話はしなかった。


「俺より、そちらの方が大変そうだが……彼とは長い付き合い、なのか?」


 少し驚いた青い瞳が、柔らかく細められた。




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