番外編「ビヒトの里帰り」8

「奥さんでも亡くして、初めての人に慰めてもらいたくなったのぉ? 残念だけど、ここにはそこまでの勤続年数の人はいないわねぇ」

「連れは俺の子供ではないし、結婚していたこともない。どうでもいいだろうが。他の店に移っている可能性もあるだろうか」


 あくまでも冷静に話すビヒトに女は鼻白む。


「さあね。なんて名前だい?」

「覚えてない」


 半眼になった女にそのままビヒトは続ける。


「店で一番の美人だった。いつも花の香りがしていて、赤い宝石のピアスをしていたかもしれない」

「あんたの主観で語られてもねぇ……香水をつけているは多いし……」

「よく嗅ぐような香水じゃなかった。もう少し控えめな」

「あたしの来る前の人かねぇ。オーナーなら覚えてるかもだけど、どこに行ったかまで知ってるとは限らないし……そういえば、ピアス――」

「辞めたよ」


 受付の奥から酒に焼けた声がした。細い紐が幾本も下がった紐暖簾の向こうに人影が見える。


「だいぶ昔の話さ。どうしてるかは知らないね。客じゃないなら営業妨害だよ。帰っておくれ」

「……身体を壊した、とか」

「さあ」

「誰かに身請けされたとか」

「そうかもね」

「本当に?」

「知らないよ。もしもまだここにいたとしたら、どうするつもりだったのさ」

「どう……?」


 しばし考えて、ビヒトはふっと笑った。


「『愛してる』と言ったんじゃないかな」


 受付の女も、オーナーだと思われる人物も、一瞬言葉を失った。

 紐暖簾の奥から、笑い声がはじける。受付の女が引くくらい笑った後にむせ込んで、オーナーは肩で息をつきながら目元を拭った。


「やだやだ。結婚しようとか、身請けに来たとか、君が忘れられなくて、とか、いくらでも口説き文句は転がってるってのに」

「教えられた通りだろ。忘れてない」

「そういうところ。いくつになっても、ボウヤねぇ」

「あんた好みだろ」

「どうかしら。久しぶりに笑えたわ。さあ、これ以上は商売の邪魔だよ。それとも、泊まっていくのかい?」

「俺はこの店で買う女は決まってる」

「その女はもういないよ」

「そうか。もし、彼女に会ったら伝えてくれ。元気そうでよかった」


 紐暖簾の向こうで、ひらりと手が動くのが見えた。




「……オーナー? ちゃんと話さなくてよかったんですか?」


 男と少年が店を出てから、受付の女は暖簾の奥を覗き込んだ。肩に薄手のカーディガンをひっかけたオーナーが、艶の薄れた金髪を耳にかけていて、赤い宝石のついたピアスがちかりと光った。


「いいのよ。アレはタチが悪いの。こっちが夢中にさせられるなんて、面目丸潰れでしょ」

「……はぁ。まあ、確かにちょっと変わった雰囲気のオジサマでしたけど」

「ああ、そうね。分からないわよね。彼、昔、『天災』と呼ばれた冒険者だったのよ」

「へぇ……って……えっ!? あの!? 彼が!? え!? オーナーと!?」

「私が知り合ったのは、彼がボウヤだった頃で、有名になってからは一度も来なかったけどね。そういう男よ」

「でも、結婚してたこともないって……オーナー、脈あるんじゃ」

「ないのよ。ないから、忘れずにいてくれるんだから……名前以外はね」


 最後にぷっとむくれたオーナーは、なんだかとても可愛らしく見えたのだった。



 ◇ ◆ ◇



 女性たちにもらった飴玉を口に放り込んで、ガルダは上機嫌だった。

 ベルトにつけた小さな鞄には、砂糖菓子やクッキーも入っているらしい。少年の姿にはそんな効果もあるのかと、ビヒトは妙なところで感心していた。


「番にするのかと思ったが、違うんだな」

? ああ。暮らしに困っていたりするなら、そういうのもありかとは思っていたが、楽しそうにやってるようだ。俺の出る幕はない」

「ふぅん。そういうものか? まあ、残念だったな。俺はお前を嫌いじゃないぞ」


 何の告白なのかと、ビヒトは曖昧に笑う。まるでこっちがフラれたようなニュアンスだが、指摘して機嫌を損なわれるのも面倒臭い。


「よし。じゃあ、次は俺に付き合え」

「……は?」


 答えるまでもなく、大きなくちばしがビヒトをつまみ上げ、空へと放る。反射的に身を捻れば、羽毛の中へと着地した。ビヒトを乗せたまま、ガルダは月へとターンする。輪を描くように上昇はゆっくりと。上空から見下ろす故国には、冴えた月の光を纏った魔法陣の一部が場所を変え、代わるがわる浮かんで見えた。

 ひとり失われた魔法を追っていた若い頃を思い出す。たまにはこんな夜も悪くないだろうか。

 空気は冷えていたが、ガルダの身体は温かかった。




 家に帰り着いたのは夜が一番深い頃だった。

 音を立てないように注意しながら客室へと向かう。ユエの部屋の前でそっと聞き耳を立てて、異常が無いか確認してから、ビヒトはゆっくりと自分に用意された部屋のドアを開けた。


 目の前に、廊下の足元を照らす常夜灯を反射してギラリと光る金属を視認する。反射的にその腕を狙って振り上げたこぶしは薄く柔らかい膜のようなものに阻まれて、勢いを削がれた。

 部屋の奥に引いたを無意識に追いかけて踏み込む。金属製の何かを握った腕を捕まえて引き寄せれば、見知った顔だった。

 足払いをかけようとした、その足が一瞬ためらう。ビヒトのそのためらいに、相手はにやりと笑った。反対に足を払われて、二人してベッドの上に倒れ込んだ。


「甘いぞ。ヴェル。冒険者を辞めて鈍ったんじゃないのか?」

「辞めたつもりはないのですが。酔った振り、でしたか? 兄上」


 ビヒトの心底呆れた声に、その目に見せつけるように剃刀の刃をギラつかせながら近づけて、カルトヘルは彼の上に馬乗りになった。


「魔法の使えないお前が、こんな魔法の残滓を纏わせて……どこに行ってたんだ? 寝込みを襲いに来たのに、待ち惚けだ」


 空いている左手で、ビヒトの髪から頬、首筋へと指を這わせる。その手を緩く首にかけると、顔を近づけてすんっと匂いを嗅いだ。


「……女、なら、ずいぶんじゃじゃ馬そうだ」

「その香りと魔法の残り滓は別件ですよ。兄上の嫉妬をもらうほどのことは何もしてま――」

「だれが嫉妬だ」


 カルトヘルの左手に一瞬力がこもって、ビヒトは小さくうめき声を上げた。

 そのままビヒトの頭を力づくで押さえつけ、カルトヘルは冷たく言い放つ。


「いいからおとなしくしてろよ。余計な傷が増えるぞ」

「……兄上、いくつになりました?」

「うるさいな! 自分の歳を思い出せよ!!」


 頬に冷たいものが押し付けられて、ビヒトは小さくため息をついたのだった。




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