番外編「ビヒトの里帰り」6

 ビヒトが出て行くと、ヴァイスハイトは机の上の物を軽く寄せながらユエを呼んだ。


「さて。お嬢さんはどんなことに興味があるのかな?」

「はい! えっと、魔法の学校があるんですよね? どんなことを習うんですか?」


 ととと、と寄ってきて、机の上のあれこれに目を輝かせる。ヴァイスハイトは孫を見る時のように少し目を細めて、それからつとその視線を鋭くした。


「学校では魔術の成り立ちをまず必修科目として習う。それから魔力操作や魔法陣作成などの実技。実技は個人差も大きいのでクラスが分かれたりするな。ああ、そこの引き出しから、インクを出してくれるか」


 指を差されて、ユエは手元の引き出しを開けた。が、インクは見当たらない。小さな鍵穴のついた箱が見えるだけだった。


「おっと。下の段だったか」


 言われるまま、引き出しを閉じて、下の段を開ける。今度はインク瓶がちゃんと鎮座していた。


「これですね?」


 机の上に置いて、ヴァイスハイトを振り返ったユエは、彼が興味深そうに顎に手を添えて自分を見ていることに気が付いた。生え際は後退しているものの、白い髪や髭は豊かで、ゆったりしたローブ姿も相まって、彼はいかにも魔法使いといった風貌だった。それが、理知的な光を宿した瞳で彼女を見ている。

 ビヒトは何と言っていただろうか。『我が国一の魔法使い』。たしか、そう言っていた。あのビヒトが言うのだから、それは誇張ではないに違いない。

 なにかまずいことをしただろうかと、ユエは少しだけ身構えた。

 ヴァイスハイトはにこりと笑うと、インクの蓋を開けて机の上にあったペンを握る。


「ああ。ありがとう。魔法陣は魔法を発動させられない者がよく身に着ける。魔石……魔蓄石は……」

「教えてもらいました」


 ユエが頷くと、ヴァイスハイトも頷いて手元の紙にさらさらと単純な丸い図形を描きあげた。ユエが開けたのとは反対の引き出しから小さな黄色い石を取り出して、紙の上に置く。ぼんやりと光っていた石から色が失われ、紙の上に小さな丸い光の玉が浮かび上がった。


「……わぁ!」

「こちらの石から陣に魔力を移すのも、できる者とできない者がいる。そういう者たちはそれぞれを補える者を相手に選んで、魔道具や護身具職人になったりする者が多い」

「じゃあ、学校に行っていても、みんなが魔法使いになれるわけじゃないんですね」

「そうだ。魔法は詠唱で発動させるが、いくら正しく魔力を込めても発音しても発動しない者の方が多い。ヴェルデビヒトのように」


 少し哀しい響きでその名を呼んで、ヴァイスハイトは片手をユエの前に差し出した。


「――光もて照らせイルーミノー


 魔法陣の上にある光の玉と同じものがヴァイスハイトの手のひらの上に現れる。

 二つを見比べて、ユエはうっとりとため息をついた。


「すごいです……見せてくれて、ありがとうございます!」

「ビヒトはもうこういうことはしていないのか」


 小さな魔法陣に手を添えるヴァイスハイトに、ユエは小さく頭を振った。


「いいえ。私が知らなかっただけで、お屋敷の防犯やご商売の手助けもしているようです。お祭りの時に、えっと、雷みたいなの剣に纏わせて見せてくれたり……」

「祭りで? あいつは……それで、何事もなく?」

「もちろん。とても盛り上がってました」


 しばらくこめかみに手を当てていたヴァイスハイトだったが、やがてふっと苦笑した。


「アレイアではないのだものな……」

「え?」

「いや。ろくに手紙もよこさないから、思わぬ話を聞けて良かった。お嬢さんがあれのそういうところに気付かなんだのは、そういうものが作動しないから、ではないか?」

「……えっ!?」


 答えに窮するユエに、ヴァイスハイトはにやりと笑ったのだった。



 ◇ ◆ ◇



 ヴァイスハイトの書斎だった部屋は、今はヴィッツの書斎となっている。足を踏み入れても以前とそう違いはないのだが、そこにあるのがあの頃の父とよく似た兄の姿でも、やはり違う場所に思えるのが不思議だった。


「それで? 出所不明の魔力の正体は何だって?」


 少々投げやりな兄の態度に、ビヒトは肩をすくめる。


「おそらく、連れですよ。今は湖の方に居ると思います」

「それならそうとわかるはずだ。久々に背筋が寒くなる感覚だったんだぞ」

「なんといいますか……コントロールできるようでして」

「お前は、会うたび突拍子もないものを連れてくるな」

「今回は、大丈夫ですよ。変なものではありませんから。ヴァルムとユエもおりますし」

「ヴァルム殿も来ておられるのか? ユエ、とは……先ほどの?」


 挨拶し損ねたことを思い出したのか、ヴィッツはバツが悪そうに目を逸らした。


「ユエはヴァルムの養い子の妻ですよ。気にするタイプではありませんので、あとでちゃんと挨拶してください。無視されたと思われたくないでしょう?」

「わかってる。なんだ。お前の嫁ではないのか」

「若すぎますでしょう? そういえば、以前に嫁になってもいいとは言われたかもしれませんが」

「何の自慢だ。振られたのと同義ではないか」

「収まるところに収まったので、それはそれで。ほいほいと家についてくるくらいには信用されているようですよ」

「……大丈夫なのか? それは」

「心配なのですけどね。本人は大丈夫だと笑うばかりで」

「お前を振り回すとは、大物だな」


 ひとしきり笑うと、ヴィッツは書棚を指差した。


「ひとつ、確認したい。お前はあれを読んだな?」


 指先を追って、ビヒトはゆっくりと頷いた。


「ですが、その8割は帝都で読んだのです。肝心なところの抜けたものをね。ここにあると確信してました。それを見せてもらったのは、海獣を倒した後ですよ」

「後?」


 ようやく腰を落ち着ける気になったのか、立ったままだったビヒトを促して、自分もソファに腰を下ろす。


「では、あの時はなったのは……」

「決め手が欲しかった時、父上が教えてくれたんだ。「どうする」、と」

「なるほどな……」


 苦虫を噛み潰したような顔をして、ヴィッツはひと呼吸飲み込んだ。


「お前は何故継がなかった」


 低く落とされた言葉は、酷く父の声に似ていた。


「俺は魔術師にはなれなかった。魔術師でない者は魔術師の家を継がない。秘されたことは秘す。どうやら、女性にも縁がない。だから、兄上は心配しなくてもいい」

「心配などしていない! そうではなくて……!」

「兄上の言いたいこともわかる。だが、俺にはこの家でやることはもうない。嫌ったりうとんでるわけでもない。やりたいことが外にあっただけのこと」

「……本当に?」

「ああ」


 ビヒトがさっぱりと頷けば、ヴィッツは小さく肩を落とした。


「お前なら、いつかあの巨大な魔法陣も読み解いてしまうかもしれないな……」

「あ。それだが、護りだと」

「……は?」

「その、連れが……特殊なものだとは言ってて」

「ヴェル」


 ヴィッツの視線がきつくなって、ビヒトは気持ちだけ首をすくめる。


「その連れは、何者だ? そのまま信じられる根拠はあるのか?」

「いや、その……」

「何故そこだけ歯切れが悪くなるのだ!」

「信じてもらえなさそうだからですよ……彼はパエニンスラの火の山のヌシで……」

「ハァ?!」

「ほら」


 眉間に指を当てて深く息を吐き出せば、ヴィッツは何とも言えない顔をしてビヒトを見ていた。




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