番外編「ビヒトの里帰り」4

 出発時は興奮していて口数も多かったユエも、二人の体温に挟まれて、そのうちうとうととまどろみ始めた。ビヒトが冒険者になったきっかけから訊かれて話していたのだが、眠っているかと口を閉じると「それから?」と身を乗り出す。子供のようだと苦笑して続けていたけれど、さすがにそろそろ限界らしい。半身にかかる重みが増して、無意識なのかカエルレウムと間違えているのか、袖口を掴まれたままだった。

 ヴァルムもまだ起きているとは思うのだが、すっかり無視を決め込んで目を閉じているので、ユエをそちらに押しやるわけにもいかない。信頼は嬉しいところだけれど、起きたら説教だなとビヒトは小さく笑って、自身も久しぶりの他人の体温をありがたく堪能することにしたのだった。




 早朝、地平線が薄く色づいてきた頃、ちょうどアレイア上空に着いたようだった。

 ガルダは大きくぐるりと旋回して、アレイアから少し南の開けた草原にカゴを下ろした。すぐに人型になってカゴの中を見下ろしてくる。


「着いたぞ」

「アレイアに直接下りんのか?」

「ちょっと無理そうだ。特殊な護りがかかってる。無理に下りられないこともないが、揉め事はだめなんだろう?」


 肩をすくめる様子に、ヴァルムは顎を撫でながら「護り」と呟いた。


「ヒトにはそう関係ない。俺もまあ、この姿ならイケると思う」

「――それって、アレイアを覆うような魔法陣のことか?」


 ガルダは面白そうに目を細めて、にやりと笑った。


「ほぅ。見えるのか」

「よく見ようとすると見えなくなる」

「ああ。そういうものだ。やっぱりお前も面白いな……なんだ。ユエは起こさないのか?」


 すっかり寝込んでしまっているユエを抱き上げたビヒトに、ガルダは首を傾げた。


「まだしばらく歩くだろう? 寝かせておくさ」

「お前がいいならいいけどな。カゴはどうする?」


 ユエを抱えたまま外に飛び出して、ビヒトは振り向いた。


「ヴァルム。目くらましの陣を出してくれ」


 腰の鞄をそちらに向ければ、ヴァルムは迷いなくそれを探し出した。


「余計な騒ぎは起こしたくないからな」

「俺も見張りを置いておこう」


 ガルダが高く口笛を吹くと、どこからか小鳥がやってきてカゴの縁へと止まった。

 布陣はぬかりない。ビヒトたちはゆっくりとアレイアを目指して歩き始めた。



 ◇ ◆ ◇



 外門が開く時間にはまだ少しあったので、身内の見舞いということで通用門の方から通してもらう。確認のために待たされている間にユエも起こした。

 冒険者などは手続きを面倒がって山や森を回って勝手に入り込む者も多いので、そうする手もあったのだが、回り込んでいるうちに門が開きそうな微妙な時刻だったのだ。


「宿を先にとった方がえぇな」

「うちに泊まるんじゃなかったのか?」


 ヴァルムは湖の方向にじっと視線を向けているガルダを顎で指して肩をすくめた。


「ガルダは連れていかん方がいいだろう。本人も自由にしたそうだ。気兼ねなく動けるとこがえぇ。が、そういうとこは嬢ちゃんにはちと落ち着かねぇ。嬢ちゃんだけ連れていけ」

「え。そう言われるとどんなとこなのか気になるなぁ。冒険者がいっぱいなとこですか?」

「そうだな。嬢ちゃんは楽しみそうだが、あとで坊主が怒りそうだしな」

「黙ってればわかりませんよ!」

「ユエ様の性格なら、黙っていられないでしょう?」


 笑うビヒトにユエはちょっと頬を膨らませて見せる。


「そ、そんなことないもん。でも、ビヒトさんちも気になるから、よろしくお願いします」


 ヴァルムが宿をとっている間に、一刻の鐘といつもより盛大な雷の音が鳴り響く。辺りの建物をびりびりと震わせるその音に、ユエは「ひゃっ」と肩をすくめた。


「びっ……くりしたぁ。雨、降りませんよね?」


 空を見上げるユエにつられてビヒトも見上げる。雲はあるが、雨雲は見えない。晴れといっていい天気だった。


「今のは『戒めのとどろき』と呼ばれるこの国の名物ですよ。どんな天気でも朝の鐘の音と同時に鳴るのです」


 いつもより大きかったな、とは思ったものの、拒否や不穏は特に感じない。しいて言えば興味、だろうか。この世界の人間ではないユエはヌシたちの監視対象らしいし、ガルダのことも感じているのだろう。


「その湖には古い主がいるらしいので、ユエ様への挨拶かもしれませんね」

「そうなんだ……なんだか、おとなしくしてろって言われた気分ー」

「雷は怖いですか?」

「んー。どうかな。見るのは好きなんだけど。綺麗ですよね! あんまり近くだと、身構えちゃうのはあるかも?」


 この国では禁忌とされて恐れられているものも、ユエには『綺麗』の括りに入ってしまう。それがとても彼女らしくて、ビヒトは微笑んで片手を差し出した。

 ユエはよくわかっていない顔で、反射的にそれを握る。


「ようこそ。アレイアへ」


 小さく揺らされた手から視線を上げて、ユエも笑った。


「えへへ。お邪魔します」


 ヴァルムのとったホテルで朝食をとり、ガルダを彼に任せてビヒトの家へと向かう。朝早いのだけれど、湖周辺は観光地としての賑やかさがすでに始まっているので、ざっと眺めていくことにする。湖そのものにも、土産物の屋台にも、ユエは目を輝かせながら忙しなく視線を注いでいた。

 賑やかな通りから落ち着いた住宅街へ入り、高級住宅街へと抜けると、ユエの口数が減った。

 カンターメン家我が家の門をくぐる頃には何故か怒ったような様子で袖を引かれる。


「ちょっと……ビヒトさん!! ここ、ホテルじゃないですよね?!」

「ええ。「うち」ですが……」

「「うち」レベルじゃないですよね?! そりゃ、パエニンスラのお城に比べれば、「うち」の範疇かもですけど……ガルダを連れてこれないって言うの、こういう意味もあったんですね?」


 ビヒトは笑って少しだけ訂正しておく。


「確かに父や、今は兄が要職に就いてはいますが、ガルダを連れてこない方がいいのは彼の異質さを皆が見抜いてしまうからですよ。興味を持たれると、離してくれない可能性はありますから……魔術師の家系はそういうところも厄介なのです。作法的にはユエ様くらいできていれば問題ありませんので、お気楽に」

「うぅ。結局庶民なのは私だけなのかぁ」

「ユエ様の教養は庶民の範疇には入らないと思いますよ? 気付いておられないのかもしれませんが」


 ビヒトが思っていたことを告げれば、ユエはきょとんと彼を見上げた。

 本当に気づいていないのだ。こちらの文字を書くことは少々おぼつかないとしても、読み書き計算ができ、相手によって自然に態度を使い分けられる。庶民だという彼女が世界の情勢を大まかながらも把握していられる、それがの世界とは、逆にどんなものなのか気になるくらいだった。

 ちょうど玄関前に辿り着いたので、そのままドアベルを鳴らす。この時間の訪問は予定外だろう。少し待つことになるかと思ったのに、目の前の扉はまだベルの余韻が残っている間に勢いよく開いたのだった。




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