番外編「懺悔」後編

 ルーメンをきちんと知っていれば、血の気が引く思いだ。彼は自分も自分の加護も神のようだなどとは思っていない。神に仕える者の子が神だと祭り上げられるなど、彼にしてみれば言語道断だ。

 その時のルーメンの気持ちが痛いほど解るような気がした。

 一方で、総主教猊下の気持ちも僅かだが解る気がする。ルーメンを神に近いものだと見ていたのなら、禁を犯した自分たちに授けられたそれは正に主からの贈り物。必ず加護を抱いて産まれてくる。次の総主教はその子だ。彼女が許されなくとも、ルーメンは許されたのだ。そんな風に思ってもおかしくはない。

 一度瞼を下ろし、深く呼吸する。昔、面会室で見た、やつれたルーメンの顔が浮かんできた。

 俺がもう一度目を開けるのを待っていたかのように、彼は淡々と続ける。


 食べられない日々。幸せそうな猊下。代理としての責務……彼が心を語らずとも、擦り切れていくのが見えるようだった。そして、運命の一言。


「私は彼に告げました。猊下は間違いなく妊娠していると。『神の子』を身籠っていると」


 確かにそれは引き金だったのだろう。彼は強行に及び、ルーメンは全てを失くした。


「フェエルは言いました。もしも猊下が子と共に辞すると言ったなら、自分が父親だと告白するはずだったと。だから、『神の子』で誰も納得しなければ、審問会ではそう証言しろと。そして、私が魔法を使えることを知られるな。自分のために、生きろ、と」

「審問記録を見たが、その証言は無かった、よな?」


 彼は頷く。


「とても、言えません。それが事実だったとしても、初めに猊下を只人に引き下ろしたのは間違いなく私です」

「……その真偽も判らなかったのか?」

「判りませんでした。彼は最期まで私と猊下に、ただ、愛しい、と……」


 最後に小さく震えた声を聴いて、俺は安心する。解らないなりに、それは彼に響いたのだ。

 距離を詰め、視線を落としていたルーメンが顔を上げきる前に、彼をしっかりと抱き締める。


「フォルティ……」

「その愛は、ジョット君に向けられるべきだと思ったんだな。自分ではなく、実の息子に」


 返事はない。でも、抵抗もない。


「自分に与えられるべきなのは罰だと」

「私は『神の愛し子』ではありません」

「数々の罪を犯した未熟な信徒だと」


 腕の中で、ルーメンが顔を上げた。


「ルーメン。主は人を見て罰を与える。お前を騙し、欲しいものを手に入れ、お前や総主教補佐の気持ちを省みれなかった猊下はその子と共に主の御許へ呼び寄せられた」

「……彼女はっ」


 反論しようとする口を人差し指で止める。


「猊下のために、許されないとわかっていて多くの罪を犯した総主教補佐も、自分の子と会うこともなく身罷られた。相応の罰だったのではないかな」

「そう、でしょうか……彼らは私のために……ならば、私には……」

「お前は、お前の幸せを祈ってくれる二人を失った。あるいは、自分の子も。忘れることなく罪を反芻し、苦しんでいる。彼らのように目に見える罰を受けて楽になりたいと思っているのかもしれないが、主は、お前が何を苦しく思うのか、知っておられる。お前は、お前が傷つくことを厭わない。それでは罰にならない。それまでの暮らしを全て奪われ、真実が判らぬまま、軽々しく口にすることもできず秘密として抱え、育て親の子と出会っていつまでも心を痛める。それも、罰だと言えるかもしれない」


 こんな言葉では、納得しないだろうなと思う。主がどれほど慈悲深くとも、彼は赦されたくないのだ。あの火事の夜、妻子の傍に居られなかった自分と同じで。


「ルーメン。猊下は『神の子』と言うことでお前を守りたかったのかもしれないぞ。何一つ、お前には関係の無いことだと周囲に見せるために。それがお前を苦しめるとは思っていなかったんだ。総主教補佐に至ってはまっすぐに幸せを見つけろと言っているじゃないか。そろそろ気付いてもいいだろう? 二人は、お前の幸せを主に願っていた。主はそういう声もちゃんと聞き届けて下さる。お前は、知っているはずだがな? 人は間違いを犯す。時々罪の意識や無力感に押しつぶされそうにもなる。だから、人は……誰かにしがみついて夜をやり過ごしたりするのだ」


 お前が悩み苦しむ時、その罪の重さにかかわらず、誰かにしがみついてもいいのだと、しがみついてくれと、そう、伝わるだろうか。

 少し不思議なものを見るようなその顔が、なんだか幼く見えたのも相まって、初めて会った夜を思い出していた。


「――もし、罪の意識を忘れられなくて辛いというのなら……俺を抱くか?」

「……なに、を」

「一時は忘れられるぞ」


 彼に言われた同じセリフを真似て、にっと笑ってやれば、綺麗な琥珀色の瞳が見開かれ、それから、いつもより頼りない微笑みがその口元に戻ってきた。


「……いいえ。いいえ。一時も、忘れてはいけないのです」


 ほろりと零れたひとしずくを隠すかのように、ルーメンは俺の法衣を遠慮がちに握りしめて、そっと胸に顔をうずめた。



 ◇ ◆ ◇



 結局、ルーメンはパエニンスラ大聖堂への転属を受け入れた。

 後を任せるナランハ君への引継ぎも問題なく、問題があっても彼が責任をもって対応すると総主教にまで宣言したらしい。

 総主教はルーメンを中央に戻したかったようだが、ユエさんの件が後を引いているのもあって、パエニンスラの規模ならいい踏み台だと口を尖らせつつ仰ったとか。彼なら何か理由をつけてご自分の目で確認しに(というか、あわよくば引き抜こうと)来るかもしれないと、少し覚悟しておく。


 ルーメンがあの日殊勝にしていたのはほんのひと時だった。

 すぐにいつもの微笑みを戻して離れていった。「聖職者らしくなったものですね」と、嫌味を残して。

 こちらに迎え入れてもまだ面倒ごとは尽きないのだろうが、以前ほど殺伐とはしないに違いない。

 俺はどこか楽観した気分でオルガンに指を走らせながら、新しい光が差し込む天窓を仰いでみるのだった。




 懺悔・おわり

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