番外編「帰郷」5

 ルーメン主教はしげしげとそれを眺めてから、いいえと首を振った。


「扉の鍵にしては小さいですし、教会関係の施設の鍵なら登録証とセットになっているはずです。個人的な金庫か、引き出しか……そういうところの鍵だと思いますが、ここの鍵なのですか?」

「そう、だと思うんです。主教が倒れた時に僕にと渡されて。ざっとは調べてみたんですけど、見える範囲の鍵穴には合わなかったんですよね」

「裏帳簿でもつけてたのでしょうか」

「そ、そんな人ではないですよ! そんなもの、僕に託されても困りますし!」


 けれど、ルーメン主教は真面目な顔で続ける。


「けして開けられることのないように、という方向から見れば、あり得ない話ではないですよ。気になりますね」


 カギに手を伸ばされて、慌てて僕はそれを握り込む。

 軽率だっただろうか。帳簿の中身には興味がないだろうけど、何故隠されたのかには大いに関心を示してる。

 ルーメン主教はにやりと少し悪い顔で笑って、僕の握られたこぶしの上に自らの手を重ねた。


「ジョットさんも、何か気になるから私に訊いたのでしょう?」


 そ、それはそうなんだけど!

 結局、にこにこと促されるままに僕たちは事務室へと移動していた。ドアは開け放されたままなので、横たわる主教様は見える。


「悪いものなど来ませんよ。迷信です」

「あなたが言うのは、どうなんですか!?」

「ここには二人きりですから、問題ないです」


 本気なのかどうか。確かに僕は立派な信者ではないから、僕に合わせてくれているのかもしれないけど。

 嬉々として本棚の並んだ本を少しずつよけて後ろを確認しだす彼の背中に、僕は小さくため息をついてから倣ったのだった。




 机に二重底の引き出しもなくて、収穫のないまま僕たちは小さな棚の前に立っていた。鍵のかかった棚で、普通の鍵穴ではなく、横一文字の四角い穴が開いている。教会関係者が持っている登録証を差し込んで開けるタイプなので、今まで手つかずにしていたのだ。


「主教様の登録証、借りますか?」


 机の上に置いてあるそれを一瞥して言うと、ルーメン主教は自分の首にかかっていたものをさっさと差し込んでしまった。小さな魔法陣が浮かび上がり、カチリと解除の音がする。関係者の彼が開けるのならば、罪悪感も薄くなる……はずなのだが、ちょっと複雑な気分だ。

 鍵付きの引き出しがあったので合わせてみたが、開かない。ルーメン主教は少し考えてから、並べてあった帳簿を手に取って眺め始めた。新しいものから、少し年代を開けて古い方へ。パラパラと流し見しているようだが、右目はうっすらと光を放っていた。


「……おかしなところがありますか?」

「いいえ」


 パタン、と音を立てて見ていた帳簿を閉じて元の位置へ戻し、彼はぐるりと部屋の中を見渡す。仄かに光をはらむその瞳を見ると、まだ少し緊張してしまうのだけど、それを綺麗だと言ったユエちゃんの気持ちも解るようになってきた。

 ふっと仄かな光が消え、ルーメン主教が一歩を踏み出す。

 屈みこんで小さな鉢を置いてある木箱へ手を伸ばすと、その木箱が


「えっ?」

「目くらましの陣が仕込んでありました。普通の方では見つけるのに難儀するはずです」


 瞬きの間に、小さな木箱は扉付きの棚へと姿を変えた。僕や母さんでは絶対に気付かなかったに違いない。

 その扉には鍵は無く、中にもうひとつ鍵穴のついた箱が入っていた。ルーメン主教が事務机の上へと持ってきてくれて、僕はドキドキしながら鍵を合わせる。抵抗もなくそれが回った時、思わずルーメン主教を見上げてしまった。彼は黙って頷いて、先を促す。

 箱の中には革の小袋が一つと帳簿らしきもの。小袋は持ち上げるとじゃらりと音がしたのでコインが入っているのだろう。本当に裏帳簿なのかと不安になってきた。

 あんなに率先して探していたのに、ルーメン主教はそれ以上手を出してこない。僕が帳簿を開くのを躊躇っているのを、黙って見守っていた。

 意を決して、表紙をめくる。


「あっ……」


 ほとんどが数字で、ただ、時々書き込まれた文字は教会の使う暗号文字だった。何パターンかあるらしく、ルーメン主教でもすぐは読み解けないという話。


「ユエを呼んできましょうか」

「夜中ですよ!」

「冗談です」


 『繋ぐ者』の加護を持っているらしいユエちゃんは、確かにこの文字も読んでしまう。けれど、これ以上教会関係のごたごたに巻き込むのは申し訳ない。主教様がどういう意図で僕に鍵を託したのかわからないけれど、僕らだけで見つけられなかったことを思えば、ルーメン主教の言う通り、開けられたくなかったものなのかもしれない。

 諦めも肝心と、僕は見なかったことにすることを決めた。


「少し、いいですか」


 ルーメン主教は置いてあった帳簿を手に取った。文字は読めなくてもお金の流れは判るだろうし、彼には『神眼』がある。するままに任せると、持ち上がった帳簿の一番後ろから書類が一枚滑り落ちた。畳まれたそれは色と紙質から教団が使う要請書の類だとわかる。

 何気なく拾い上げて開いてみる。

 監査に関わる注意事項のようだ。少し変わった内容のそれを最後まで読んで、そこに記されたサインに僕は息を呑んだ。


「総主教……補佐」


 思わずこぼれた呟きに、帳簿に目を落としていたルーメン主教が弾かれたように顔を上げた。

 眉をひそめていつもの微笑も隠れたその顔は、整っているだけに少し怖い。けれど、彼がそれだけ動揺しているのだと今は解って、なんだか可笑しくなった。

 僕は束の間の優越感に浸ることにする。


「総主教補佐からの、直々の書簡でした。予算が毎年金貨1枚多いのは、自分が個人的に出しているから追求しなくてよろしい、と。裏帳簿ではなさそうですね」

「そう……ですね。ほとんど使われていませんし……一度使われたものも、後で戻されてます」


 気まずそうに目を逸らす彼に、気分が良かったのも束の間、僕は嫌なことに気付いてしまった。


「えっ。ちょっと待って。主教様はどうしてこれを僕に?」


 ルーメン主教はそっと帳簿を閉じると、小さく息を吐き出して押し黙ってしまう。

 あ。どうしよう。考えちゃいけないかもしれない。

 この書類を書いた時の総主教補佐の名前が『フェエル』で、それは多分、母さんの想い人の名で……毎年1枚ずつ金貨を……


「待って。母さんは知ってるの!? 総主教補佐って……あの人、どうしてそんな人に!? 怖いもの知らずか! 知ってたけど! 知ってたけど!! え。待って。事件は何年前? 何年間こんなことを?」

「事件はほぼ5年前。20年間ですね」


 そっと帳簿の表紙に指を這わせて、求めたわけではない答えをくれる。

 金貨20枚! ひどく大金でもないけれど、それだけ稼ぐのはもちろん簡単ではない。


「おそらく、お母様は知らないのでしょう。彼女は受け取りそうにない。使ったのに戻されているのは、主教が貸付けという形にしたのではないかと。ですから、貴方に。……また、彼女に怒られますね」


 珍しくうなだれる姿に、僕はもう優越感など湧いてこなかった。



 * * *



 おそらく、この町の歴史の中で一番の厳粛で荘厳な葬儀を終えて、僕は深々と息を吐き出した。

 ルーメン主教の使う小さな錫杖の音に、母さんが大げさなほど泣き崩れたり、送り火と呼ばれる遺体の周囲で焚かれる火が必要以上に大きくなったり、何度かひやひやするようなことはあったけれど、概ね滞りなく済ますことができた。


「ごめんね、ガルダが……」

「大丈夫。こっちを思ってしてくれたことだし」


 当然、という顔をしたガルダ君に苦笑いする。浄化の炎だと気まぐれに加えられた力は、ルーメン主教がすまし顔のまま抑え込んだらしい。火は酸素がないと燃えませんので、と説明されたけど、僕には聞いてもさっぱりだった。


 例のお金は一応受け取って、鞄の底に押し込まれている。帳簿と書類は元の場所へと戻しておいた。もしも誰かに見つかっても問題のない範囲だという。ただ、母さんには言わないでおこうと決めた。僕が父のことを気づいたことも、そのうちバレるかもしれないけど、しばらくは黙っておく。母さんと主教様が頑なに守った秘密の重さを、僕も少し解るようになったから。


 夜の闇に紛れて、向かいの丘から飛び立つ彼らを見送りに行って、大きな鳥の姿にあんぐりと口を開けた母さんの肩を叩く。姿を変えたところは見ていないから、ガルダ君だとは気づいてない。というか、僕も半信半疑だ。彼の姿がないので、たぶんそうなんだろう。

 太い縄で編まれたような、大きな籠に乗り込んで、ユエちゃんは手を振っている。気球の籠らしいけど、どこから調達したんだろうね?

 最後にルーメン主教が母さんへと頭を下げた。


「お世話になりました」

「えっ。こちらこそ、です!」


 テンパってる母さんににこりと微笑むと、ルーメン主教はさらりと爆弾発言を残して籠に乗り込んだ。


「次にお目にかかるのは、おそらくジョットさんの結婚式ですね。大いにお祝いさせてくださいね」

「……あっ!」

「結婚……?」


 一瞬首を傾げた母さんが、僕を勢いよく振り返るのと同時に、ガルダ君は飛び立った。

 風が四方から吹いてきて、僕たちは目も口も閉じてそれに耐える。

 双子の丘に静けさが戻ったころ、僕は伝えるべきもう一つの話を思い出し、これから根掘り葉掘り(何なら一晩中)尋問されることを覚悟した。


 そんなだったから、ルーメン主教が時の総主教補佐と総主教猊下を親代わりとして育ったこと、二人を凄惨な事件で同時に亡くし、彼自身、事件の唯一の生き残りで、心無い噂が付きまとうことを思い出して複雑な思いに駆られたのは、しばらく経ってからのことだった。




 帰郷・おわり

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