番外編「帰郷」3

「知ってますよ。大変でしたでしょう」

「……ルーメン主教!?」


 彼はいつもの微笑みをたたえたまま、まっすぐに横たわる主教様の前へと進み出た。遺体の額に手をかざし、次に自分の額へと同じ手を持って行く。目は瞑られ、手を組むと短く祝詞を唱えた。

 見慣れているはずのそんな所作にさえ目を奪われて、彼の存在感の大きさに改めて圧倒される。


「ど、どうして……と、いうより、どうやって?!」


 彼がパエニンスラなりサンクトゥアに居たのなら、僕にわざわざ用事を肩代わりさせるはずもない。半島から大陸に渡るには、ほぼ一日かかるというのに! サンクトゥアからだって、僕は丸2日馬車に揺られてきた。個人で馬を駆けさせたって、今日の今日着くはずもない。

 祈りを終えた彼は、少しだけ首を傾げた。


「連絡を受けた時点で、私が来るのが一番早いかと。幸い、明日は特別な予定も入っていなかったので。葬儀のためですよ? 猊下にも打診したので、問題はないはずですが」


 いやいやいや。

 どうして海を渡る人が「一番早い」なんて結論になるのか。


「事後承諾はやめてほしいよね! ヤダって言われたらそれまでなのに!」


 別の声に驚いて、振り返る。

 呆れ顔のユエちゃんとカエル君、それに、ガルダ君が物珍しそうに礼拝堂を見渡していた。


「断られたら、正規のルートで人を手配してもらうまでです。お願いしてみない理由にはなりません」

「急に来られる方の身にもなってよ!」

「夜の仲睦まじい時間をお邪魔したことは謝罪します。ですが、緊急事態でしたので。使える手があるのなら、使うべきでしょう?」


 にこにこと、どちらかといえば楽しそうにそう言う姿は、この事態をすっかり楽しんでいるように見える。

 もうっ、とぷりぷりしながら、ユエちゃんは僕に向き直った。


「ご挨拶させてもらっていい? ごめんね。びっくりさせちゃって」

「……ガルダ君に送ってもらったの?」


 誰が聞いてるわけでもないんだけど、つい、ひそひそと声を落としてしまう。

 ユエちゃんたちは今年の春結婚して、今は首都パエニンスラ住まいだ。


「そう。神官サマはお爺さんにお願いしてガルダを呼び出したみたいなんだけど、ガルダはタダじゃヤダってうちに寄って。なんで私がご褒美用意しなきゃいけないのか、ちょっと理解に苦しむんだけど、まあ、それを置いておいても、話を聞いたら二人だけで向かわせるのはどうにも不安で……仕方なくついて行くって言ったら」

「そのメンバーだけで行かせられるか」


 不機嫌な声のカエル君が後を引き取る。彼はそのまま主教様の前に立って、拳で遺体の胸をノックした。その手を開いて胸にあてて、目を閉じる。


「え? あれ? なんで違うの? どっちが正解?」

「カエル君は信者じゃないから、冒険者の作法をしたんだよ。ユエちゃんも、自分の知ってる作法でいいよ。大事なのは気持ちだから」

「そうなの?」


 頷けば、彼女はおずおずと主教様の前まで近づいて、胸の前で手を合わせて目を閉じた。しばらくして目を開けると、僕らの様子をきょろきょろと確かめる。


「へ、変? 大丈夫?」

「大丈夫ですよ。東の方の民族に同じような作法があります」


 ルーメン主教のお墨付きにほっと肩の力を抜いて、ユエちゃんは僕に向かって首を傾げて見せた。


「ところでジョットさん、なんで神官の服着てるの? 喪服代わり?」


 言われて、僕は宝探しなどしてないで、まず着替えるべきだったのだと気づかされたのだった。



 * * *



 ホテルの場所を教えると、ユエちゃんたちはガルダ君を連れてそちらに移動した。葬儀には出席してくれるそうで、それまでガルダ君を退屈させない方法を考える、とか。なんだかお手数をかけさせて申し訳ないような。大元凶は、涼しい顔で明日の葬儀の準備などしているので、余計。


「ジョットさんは休んでいてよろしいですよ? 着いたばかりなのでしょう? お疲れですよね?」

「ああ、はい……じゃ、なかった。母が戻ってくるんです。夕食を買いに行ってて」


 どうも顔を突き合わせているとレモーラと錯覚してしまう。すっかり母さんのことが頭から抜けてた。


「ちょっと、遅いかな。迎えに行っても?」

「どうぞ」


 プロが見ててくれるなら安心と、腰を上げたところで扉が開く。


「ごめーん。ちょっと話しこんじゃった……って……」


 扉を後ろ蹴りに閉めながらにっこりと笑った母さんは、ルーメン主教に気付いて、うっかり手にしていたものを取り落とした。


「あっ。あっ。落ち……っていうか、ど、どちらの神官様?!」


 取り乱しすぎて、こちらが恥ずかしい。

 ルーメン主教はいつもの通りで、遠慮なく彼女に近づくと、落ちた物を拾い上げて差し出している。


「ジョットさんのお母様ですか」

「ち、ちが……あ、ちがくないです。はい。わた、私が……」


 僕は(多分、ユエちゃんも)結構麻痺してるけど、ルーメン主教ってやっぱ超のつく美形なんだよね。耐性の無い母さんが取り乱すのも仕方がない……のかもしれない。怯えた子猫のように毛を逆立てそうで、僕は口を挟むべきかとタイミングを計る。


「明日の葬儀を担当します、テル・ルーメンです。ジョットさんには大変お世話になっていて」

「ルーメン……ルーメン、主教?!」

「はい」

「あなたが」


 その名を聞いたとたん、母さんは平静を取り戻した。落ち着いて、今度はぶしつけともいえる視線で彼を眺めまわす。ルーメン主教は黙ってそれを受け入れていて、それが、よくあることだからなのか、僕の母だからなのか、なんだか少しいたたまれなくなってきた。


「噂以上の美人さんね。どうやって、こんなに早く? 半島でのお勤めなのでしょう?」

「ふふ。秘密です。奥の手を使わせてもらいました」


 人差し指を口の前に立てて、ほんの少し首を傾ける。口元は微笑んでいるけど、目は笑っていない。そのルーメン主教の表情を見て、母さんは何故かにやりと笑った。


「お心遣い、ありがとうございます」

「いえ。お食事をどうぞ。あとは引き受けますので、ごゆっくり」

「一緒に食べますか?」

「母さん!」


 直にではないけど、落としたものを!


「嬉しいお誘いですけれど、もう済ませてしまったので」

「そう。じゃあ、明日の朝は一緒しましょう」

「ご迷惑でなければ」


 普通の会話のはずなのに、胃が痛む気がするのは何故だろう? 二人の間の微妙な緊張感を感じてしまって、心臓が変なリズムになってる。

 ちょっと形の崩れたキッシュを手づかみで噛みしめながら、暑くもないのにかいた汗を僕は袖口で拭うのだった。




「そういえば、礼拝はどうします? 葬儀の時はやらない教会もあるようですが」


 食事が終わるのを見計らったかのように、ルーメン主教が声をかけてきた。

 さすがに慣れていて、祭壇の準備もほとんど出来上がっていた。


「私はやってほしいな。毎日の感謝と葬儀は別のことでしょ?」

「そうですね。では、やらせていただきます」

「大変かしら?」


 ルーメン主教は不思議そうに首を傾げる。


「いいえ。別に。やらない方が気持ち悪いので、そう言ってもらえるとこちらも助かります。葬儀も、中央に寄って猊下に錫杖を借りてくればよかったですかね」

「どんだけ派手にやるつもりですか! 一主教の葬儀ですよ。地味でいいんです地味で!」

「送る人の多少はあれど、葬儀に上も下もないのでは? 新年の祝福だって、生まれた時の祝福だって、差はないでしょう?」

「教えの上ではそうでも、現実には色々あるんですよ」

「……あるんですか」


 困惑気味に呟かれると、俗物な自分を少しだけ反省したくなる。


「……いえ……ルーメン主教が間違っているわけではなくてですね……」

「ああ。なるほど。解りました。私が変える必要はないのですね」

「……です」


 母さんがやりとりを興味深げに、文字通り眺めているので、やりづらいったらありゃしない。

 僕はまだいいけど、ずっと視線で追われているルーメン主教は煩わしく思っていないだろうか。気づかないわけがないレベルなんだけど、あえて気づかないように振舞ってる彼も大概だ。

 無意識に片手で頭を抱えると、ルーメン主教に覗き込まれた。


「やっぱり、お疲れでしょう? 仮眠でもしてきてください。お母様も」

「そうね。お任せして少し寝ましょう」


 母さんは帰るつもりだったような? そう思いかけて、もう夜も深いのだと思い直した。一人で帰らせるよりは、仮眠をとってもらった方が確かに安心だ。

 促されるまま立ち上がって、じゃあ、と礼拝堂を後にした。




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