番外編「あなたと共に」9

 嬉々として帰ってきたテリエルは、大量の医療器具を抱えていた。

 思いつくだけのものを調達してきたらしい。薬類は徐々に届くはず、と上機嫌だった。


「ほら、見て? ちゃんと免状もあるでしょう?」


 まるで誰も信じていないんでしょ、とでも言いたげに、筒に入っていた免状を掲げ上げて見せびらかす。


「失くしたら、笑われますよ」


 ビヒトさんにそう苦笑されて、彼女はぷぅっと膨れていた。

 ここではいつまでも子供扱いね、と。

 離れのカエル君の部屋近く、開かずのドアの向かいの部屋を医務室へと改装して整えると、彼女はさっそくカエル君を診たがった。

 ちゃんと医療用の薄手の手袋も完備していて、ぬかりはないのよ、とアピールしている。


「……元気だから、いい」

「元気な時の記録も付けないといけないじゃない!」


 と、言われても、カエル君には彼女が医者だという実感はわかないらしい。(そうだよね)

 不毛な追いかけっこを途中でビヒトさんが止める。


「どちらの気持ちも分かります。ですので、全員、診てもらいましょう。坊ちゃまは最後で」


 つまり、練習台を用意するから、それで二人とも我慢しろと。


「わしもか?」


 のほほんと眺めていたヴァルムさんが、ひょいと自分を指差す。


「ヴァルム様はどうせまたすぐ何処かへ行くおつもりでしょう? 最初に診てもらって、健康とはどういうものかを示してくださいませ」


 ビヒトさんの笑顔にいささかの悪意を感じるけど、気のせいかな?

 ひょいと肩をすくめて、それでも孫のためと思ったのか、面白がっているだけなのか、彼は上衣を脱ぎ始めた。


「あ、お爺様、こっちでお願い」


 テリエルも慌てて医務室へと戻っていく。

 ドアの向こうに消えていくヴァルムさんの大きな背中を見送っていると、ビヒトさんが僕の肩を抱いた。


「ということなので、ご協力お願いします」

「……やっぱり、僕も入ってるの?」

「全員と言いましたでしょう?」


 でも、他の従業員まで診せるつもりはないようだし、僕は除外されてもいいんじゃない!?

 なんて抗議は聞き入れられないと、その笑顔と肩の上の手の重みでよくよく知らされた。

 協力するのは、構わないんだけどさ。

 ビヒトさんの後にテリエルの前に座った僕を彼女は当たり前に診てくれた。聴診器を当て、瞳孔やのどの様子を確認し、採血の時に一度失敗したくらいで、ちゃんと医者に見えた。


「ごめんなさい」


 ってちょっと落ち込む顔が可愛らしかったので、僕は満足だ。


「大丈夫。上手かったよ」


 ビヒトさんは自分が終わるとさりげなく彼女のサポートに回っていて、彼女もそれを不思議には思っていないようだった。この家の中での役割が、それだけ出来上がっているに違いない。

 僕の後に渋々座ったカエル君とテリエルの様子を着替えながらそっと観察してみたけど、思っていたほどテリエルに気負った様子は見えなかった。

 真剣に彼を診て、細かく質問し、カルテを埋めていく。採血を終えた後などは、彼のことよりそちらの方にばかり意識が向いているようだった。


 なんとなく、ビヒトさんとカエル君と三人で目配せしあう。

 彼女はカエル君が着替えてしまう前に、僕らの血を持って隣の調剤室でさっそく検査を始めた。試薬を使う簡単なものから、陰圧にできる作業ケースなど使う本格的なものまで揃ったその部屋から、彼女は一日中出てこなかった。



 ◇ ◆ ◇



 ひとまず、彼女がカエル君に触れたいがために診察を強要するんじゃないか、という懸念はある程度払拭された。

 ある程度というのは、そういうつもりが無いわけじゃないと判ってしまうからなのだが、それに輪をかけて、彼女が検査や実験にのめり込みやすい性質たちだと知れてしまったからだ。

 寝食も忘れるほど、もちろんちょっと声をかけたくらいでは聞こえていない。生返事が返ってくるだけのことも多くて、僕たちは頭を抱えた。

 それだけ真剣なのだと思うと無理に止めることも憚られる。

 とはいえ、それで倒れられるのも困るので、唯一反応のあるカエル君の声に頼るしかないというのも辛いところだった。


 調剤室にこもりがちなテリエルをなんとか引きずり出す、という生活は彼女がカエル君の体調をほとんど把握するまで続き、少し落ち着いたと思った頃、彼女がカエル君のベッドに忍び込むという事件が起きた。

 朝方、飛び起きたカエル君がビヒトさんの部屋に逃げ込んでコトが発覚したのだけれど、ビヒトさんにかなり絞られて落ち込んだテリエルから話を聞くと、彼にも同情を禁じえなかった。


「違うの。そりゃ、そういう気が全くないのかと言われれば、否定はできないけど、そういうつもりじゃなくて……だって、何度かお願いしたけど断るんですもの……」

「……何を、お願いしたって?」

「せ……せーえきの提出……」


 頬を赤らめてこちらを見ないということは、それが恥ずかしいこと、という認識はあるらしい。

 さすがに言葉を失った僕は、何度か深呼吸した。酸素が足りなくて、めまいがするような気がする。


「それは……」

「だって、それだけ調べられてないんですもの! 気になるじゃない!」


 うん。まあ。うん?

 いや……どうかな。

 是非はいったん脇へ置いて、僕はこめかみを押さえたまま、別のことを聞くことにした。


「だからって、寝てる人のを勝手に採取しようっていうのは、乱暴じゃない?」

「ランクは採取だって言ってくれるのね!」


 ぱっと嬉しそうに顔を上げたテリエルだったけど、目が合うと、またしゅんとうつむいた。


「どうしても調べてみたかったんですもの……」

「君たちは幼いころから一緒にいるだろう? いくら検査のためとはいえ、若い彼には抵抗あるだろうし、君はずっと彼に好意を伝えているからね。よけい嫌だろうさ。そこに君が忍んでくれば、どんな間違いが起きたっておかしくないんだよ?」

「それは、さんざんビヒトに言われたわ。女としてだけじゃなく、侵入者だと勘違いされたら、もっと危ないって」


 うんうんと、僕も頷く。


「反省してるなら、いいけどね。君の研究熱心なところは、嫌というほど解ったから――」


 ほっと気を緩めたところで、テリエルがじっと見つめているのに気付いた。


「ランクは、私が研究のためにしてるって信じてくれてるのよね?」


 嫌な予感がした。でも、僕には頷くしかない。


「……待って、僕から頼んでとか言われても、きっと無理だよ? あきらめ……」

「そんなこと頼まないわ。そうじゃなくて、」


 一度、彼女は言葉を切って、もう一度自分の中で反芻してから真剣に僕を見上げた。


「ランクの精液をちょうだい。比べるサンプルにするから。前例があれば、カエルも承諾しやすいでしょ? ね。お願い」


 僕はその場で崩れ落ちなかった自分を大いに褒めてやりたいと思った。

 どうしたかって?

 しばらくカエル君に恨みがましい目で見られていたことで察してほしい。僕が彼女のお願いを断れるはずもないのだから。


 ……できるなら、そういうお願いは、ベッドの中で聞きたいのだけれど……


 複雑なダメージをおった僕のやけ酒を、ビヒトさんが黙って付き合ってくれたのが救いだった。




 そうやって小さなトラブルを越えて、どうにかこうにかリズムが取れてきたころ、連絡だけで何年か戻ってこなかったヴァルムさんがひょっこり帰ってきた。

 彼のいない間にあったあれこれを報告しているうちに、彼は笑いながらも何度か考えるような仕草をする。話題が一区切りしたところで、久しぶりだからと露天風呂に誘われて、二つ返事でお供することにした。


「家ン中はまだごたついとるようだが、店の方は順調みたいだな」

「はい。そっちはなんとか。帝都で顔合わせしたことで、スムーズになったとこもあります」

「そうか。んなら、わしはそろそろ引退してもええかもしれんな」


 にっと笑うヴァルムさん。冗談なのかどうかわかりにくい。


「え? まさか。冗談ですよね?」

「うんにゃ。わしがいなくとも回るようになったのなら、それでええ。元々商売はわしのガラじゃねぇからな。ちょっと、やりたいこともあるんだ」

「そ、それは、もちろん、自由にしてもらってもいいんですけど……辞めることは……」

「別に店を閉めるわけじゃねぇ。そのままおまえさんがやればええ」

「僕が? いや、でも、ヴァルムさんの店、ということで認知されてるのに、突然僕の店ですって言っても……」

「都合が悪ぃか?」


 頷く僕にヴァルムさんはふぅむ、と目を瞑った。


「今のままでいいじゃないですか。僕、困ってませんよ?」

「とは言ってもな。わしもそろそろいつおっ死んでもおかしくないからなぁ。身辺整理をしときたかったんだが」

「え、縁起でもないことを言わないでくださいよ!」

「時に、おまえさんは嫁をもらうつもりはあるのか?」

「え?」


 急な話題の変化に少々戸惑う。


「え……と。まあ、縁があれば」

「そうなった時、店はどうする? 外からの通いにするか?」


 村に部屋を借りて?

 全く想像ができなくて、思わず否定的に首を振る。そうなると、結婚を現実的には考えていないのが丸わかりだ。

 ヴァルムさんは口元だけ笑うと、お湯を掬って顔を洗った。




 ヴァルムさんの突拍子もない提案は、次の日の夕食の時間にも飛び出した。


「テリエル、いくつになった?」

「今年、十九になるわ。そろそろ子供扱いはやめてくれると嬉しいんだけど」

「そうか。んなら、丁度いいな。嫁に行け」


 全員が動きを止めた。普段どっしりと構えているアレッタさえ、目を丸くしてヴァルムさんを見てる。


「突然何を言うの? 私はカエルの主治医よ。どこにもいかないわ」

「別に、家を出ろとは言ってない。ここにいて、坊主を診てやりゃあええ」

「どこにそんな奇特な話を飲む相手がいるっていうのよ」

「いたら、いくか?」

「いかないわ」


 きっぱりとした口調と鋭い瞳にも、ヴァルムさんは怯む様子もない。そう言うことは解っているという風情だ。


「城の方にな、断りにくい縁談がちらほらあるらしい。うちに集中しているということだから、どうも、嫌がらせの類のようだが、そうという証拠もないようでな。ラディウスは身を切っても断ると言ってくれとるが、お前はそんな領主に何か返せるか?」


 さすがのテリエルも、大きくなった話に口を閉ざした。


「ラディウスがそこまで身を入れてくれるのは、お前のためじゃない。ここまで彼を支えてくれたお前の父親を守るためだ。国の話は確かに我らには関係ないと思いがちだが、あいつが真っすぐにやってきたことが、こんなことで壊されるのはさすがに忍びない。形だけでもええ。嫁に行け」


 テリエルの手にしたスプーンが小刻みに震えているのを、僕は見た。


「……どこの誰に嫁げと? その誰かはここへ来てくれるの? 形だけで許してくれると?」


 それでも、声はしっかりとしているところが彼女の気の強さを証明している。

 僕はそっとスープの皿に視線を落とそうとして、ヴァルムさんがニヤリと笑ったのに気づいてしまった。あれ? と、思う。同じことはビヒトさんも感じたようだった。視線を戻した時に目が合う。


「わしもな、そろそろ店から手を引こうと思っとってな。ランクに譲ってやろうと思ったんだが、難色を示されてな」

「え、いや、それは!」


 思わず声を上げた僕をヴァルムさんは手のひらで制する。


「元々そうするつもりだった坊主はまだ体調が不安定だし、ビヒトの仕事の方が好きらしい。なら、お前にやるのもいいかと。実の孫だ。外からの横やりも入らんだろう。とはいえ医師の仕事も兼ねるなら大変だ。しっかりしたベテランをつけてやる。だから、嫁に行くというよりは婿を取ることになるな? 結婚してしまえば、縁談は物理的に無理ですと断れる。八方円く収まるという訳だ」


 もう一度、その場に静寂が降りてきた。



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