番外編「カエリミチ」

※古い文献を調べることに。

 鳥居のわけとカエルの名前の由来なども少し。



「神官様、帰ってきたみたいよ」


 ランチに来ていたヴィヴィが、思い出したようにそう言った。

 思わず動きを止めてしまって、持っていたトレーを常連さん自ら受け取られてちょっと焦る。彼はいいのいいの、と笑ってくれたが。


「みたいって、ヴィヴィが会ったわけじゃないの?」

「うん。うちのお客に熱心な信者さんがいてね、臨時の方には悪いけど、やっぱり銀髪の神官様がいいわって話してるのを聞いたの」


 神官サマがいない間、臨時で神官さんが派遣されてたようだ。それも結構お年を召した方だったとヴィヴィが教えてくれていた。

 早朝の礼拝と葬儀などの祭事をこなしていたようだが、小さい村なのでそれ程数は多くないはずだ。


「ふうん。じゃあ、ヴィヴィはまた礼拝に通うの?」


 にやりと笑って聞いたら、そうねぇと曖昧に微笑まれた。なんぞ。


「ユエも親しいみたいだし、最近ジョットさんともお話するようになったから、礼拝に行かなくても会えるのよね。上手くいけば、ここでも会えるでしょ?」

「まあね」


 っていうか、いつ代書屋さんと仲良くなったんだ。聞いてないぞ。

 突っ込むべきか迷っていたら、クロウの怖い顔が目に入った。はいはい。働きますよ。

 でも、彼が帰って来たなら、一度会いに行かなくちゃ。カエルは渋い顔をしてたけど、古い文献を紐解くなら彼はきっと役に立つ。だから、カエルには悪いと思ったけど彼が帰ってくるまで調査はお預けにしてたのだ。




 暑い暑いと言ってたけど、ここ数日は朝晩過ごしやすい。ずっとこの位の気温だったらいいのに。

 宿の入口から入ってくる風に目を細めながらカエルを待つ。

 5刻の3つの鐘が鳴り終わる頃、彼は姿を見せた。


「じゃあ、帰ります。お疲れ様でした」

「おぅ。また明日な」


 ルベルゴさんに手を振って、カエルの手を取ると私はおずおずと彼を見上げた。


「あのね、寄っていきたいとこがあるんだけど」


 ん? と紺色の瞳に見下ろされた。


「ちょっと、教会に……」


 それだけでカエルは察したらしい。眉間に深く皺が刻まれる。


「帰ってきたのか」

「らしいんだけど、見かけたわけじゃなくて」

「わかった」


 仏頂面のまま進行方向を変える。

 カエルは神官サマが私のことを好きだと思ってるみたいだけど、きっと少し違う。確かに興味は持ってるんだろうし、他の人よりは好意もあるんだろう。でも、そうだなぁ、例えるなら、万華鏡の中のビーズ、みたいな?

 覗き込んで綺麗な模様が刻々と変わるのを楽しんでるけど、それをばらしてビーズのひとつを欲しいとは思ってない。


 彼は多分、カエルが危ない目にあったりしても助けると思う。カエルが自分で何とかできるから、そうしないだけで。私に対する興味と同じくらいはカエルにも興味を持ってるんだけど、それを気付いてないのか、気付きたくないのか……

 まぁ、教えるほどでもないから言わないんだけどね。


 教会に着くと礼拝室の方はもう灯りも落ちていた。自室かな、とそちらに向かうとカエルに引き止められた。何、と思う間もなく彼が先行する。

 私を背中に隠す様にドアの前に立つと、そのままノックした。

 いや、そんなとこで過保護発揮しなくても。いきなり魔法とか撃ってこないから。


「……はい……少々、お待ちを」


 気持ちはこちらに向いてないようだが、確かに久しぶりに聞く、低音の耳心地いい神官サマの声だった。


「お待たせいたし――」


 ドアを開けた神官サマはカエルを見て目を見開いた。あ、珍しい。本気で驚いた顔だ。


「お久しぶりです。……痩せましたか?」


 カエルの後ろから顔を出して尋ねると、視線を移した彼は片眉を下げて口元を拳で押さえるようにしてくすくすと笑った。


「シスター・マーテルと同じことを仰る。監視の目が無いと食べるのは後回しになりますので……体重は落ちたかもしれませんね」


 元々肉付きはよくないのに、さらに痩せたとか。総主教に説教してやろうかな。


「こちらに居る間に増えていたものが戻っただけなんですけどね。戻ってからはきちんと食べさせられてますよ。……で、何か御用ですか?」


 身振りで入るかと促されたけど、カエルは首を横に振った。


「神官サマ、民族研究みたいなのしてるって言ってましたよね?」

「はい。研究というほどではありませんが……趣味程度ですよ」

「カエルのご先祖様の文献、ちょっと調べたいんですけど、専門家の意見も聞けたらと思いまして」


 彼はちらりとカエルを窺う。カエルはずっと仏頂面だ。


「いいのですか?」


 薄く笑って投げかけられた言葉は、カエルの眉間の皺を深くさせた。


「……気に食わん。が、ユエの言うことはもっともだ。あんたにはもう知られてるし」

「戻ったばかりでお忙しいですか?」


 ふふ、と目を細めた神官サマは少し黙り込んだ。


「そう、ですね。中央に比べると随分余裕があるのですが、こんなに帰れないと思ってませんでしたので、引き継ぎや雑務が、少し」


 頬に当てた手の人差し指をとんとんとリズミカルに動かして、思案する。


「余裕をもって、来週なら問題無いですよ」


 じゃあ、と私はちょうど1週間後を指定した。その日は私も休みをもらって朝から資料を漁るつもりだ。


「解りました。楽しみにしていますね」


 話は終わったとばかりに踵を返すカエルに半ば引きずられるようにして背中を向けた私に、神官サマの声が追ってくる。


「ユエ、あれから魔力には慣れたようですか?」

「え。あ、お陰さまで、少しずつ慣れてる、みたいです」


 首だけ振り返って告げると、神官サマはにっこりと笑った。


「それは良かった。試してみても?」


 え? と思ったら急に足を止めたカエルに抱き寄せられ、やや乱暴にキスされた。差し込まれた舌が苛立っているのが分かる。


「このくらいなら、もう何ともない。あんたが試す必要もない」

「……そうですね」


 可笑しそうに肩を震わせる神官サマをひと睨みして、カエルは再び踵を返す。

 相変わらず、性格が悪い。最後の一言はわざとだ。カエルが反応するから面白いんだろうなぁ。

 呆れながら、私は早足のカエルに小走りでついて行くのだった。


 ◇ ◆ ◇


 2刻の1つ目の鐘の頃、神官サマはやってきた。

 資料は離れの地下に収蔵されており、お爺さんが記憶を頼りに古そうな物を次々と隣の部屋のそこそこ大きな机の上に積んでいた。

 ランクさんは買付けで出ているので、リエルは執務室で仕事だが、こちらのことは気になっているようだった。


 木簡に穴を開けて紐で纏めたようなものには、確かにこちらの言語で何か書かれているが単語や言い回しが古いのか、漸く日常会話が筆談でもできるくらいになった私ではぱっと見読み取れない。もちろん、じっと見ていればルビが浮かぶのだが、外国語を見るより遥かにゆっくりとしたスピードだった。


「神官サマはこういう古い言語は読めるのですか?」

「概要はわかりますが、細かく読み取るのはなかなか……資料つき合わせてなんとかですね。ユエは……読めるのでしょう? 期待していますよ」

「私もなんとかですよ。すらすらは無理っぽいです」


 結構な量の中から神事に関するものや、それを興した人物の記述が無いか調べていく。神事といっても、青い月の出る前後あの中島で祈りを捧げていたということぐらいしか出てこない。

 古いものは削れたり欠けたりしていて読み取れないものも多い。

 集中し過ぎて目がしぱしぱしてきた。ちょっと目頭を押さえて休憩していると神官サマに呼ばれた。


「ユエ、神事とは関係ないのですが、少し面白いことが書いてあるみたいです。読んでみていただけませんか」


 それは束ねられた羊皮紙のようなもののひとつだった。


 ――ソノ者初代ニ似タ濃イ毛色ヲ持ツコト多シ。症状無キ者モ番ウト『タマハムモノ』ヲ産ミ落トスコト幾多。親ヲ犠牲ニ産マレタ者ヨウヨウ育テラレズ、泣ク泣ク天ニ返サレリ――


「濃い、色?」


 ってか、初代?! 初代って。


「髪色が濃い夫婦ではタマハミが産まれやすい、というようなことだと思うのですが」

「初代に似たってことは、初代も髪色は濃かったんですよね。初代の子にはタマハミはいなかったのかな……」

「初代の子に言及された資料は見てませんね。ただ、タマハミの記述は200年ほど前の資料ですでに減っていて、その後はほとんど見かけません。この地だと開拓期に入った外の血と混ざりあって薄まったという可能性があるかと」


 ……聞いても、大丈夫かな?


「……カエル。お母さんって髪色濃かった?」

「俺の髪と瞳は母譲りだと聞いてる」

「お父さんは……」


 一瞬、言葉を詰まらせたが、カエルは答えてくれた。


「どの程度かはわからんが、茶系だったようだ」

「同郷の人同士だった?」

「いや、父は外の人間の筈だ。巫女の婆さんが、確かそう……」


 確認するように、カエルはお爺さんに目を向けた。

 お爺さんは全員の視線を受けて、資料の山の中で小さく息を吐いた。


「そうだ。どこからか流れてきた、多分訳ありの人間だと言っとった。ただ、ここで暮らしてる間は勤勉で物静かな奴だったと」

「タマハミの家系は他の青い月が見られる土地でも発生していますから、そういう所の人間だったのかもですね」

「ちなみに、巫覡ふげきは髪色の濃い一族の者がなる習わしだった。生涯独身で、神に仕えるのだと」

「じゃあ、カエルのお母さんがもしかして次の巫女さんだったの?」

「恐らく」


 じゃあ、巫女のお婆さんがもうやめるって決めたのは、カエルのお母さんの為だったのかな。


「初代からタマハミしか産まれないのならば初代の血は残らないので、恐らく初代の子は違うのでしょう。初代の子の血を引く者同士が子を作ることで先祖返りのような作用をもたらすのかも」

「先祖返り?」


 カエルが眉を顰めた。

 神官サマは私をちらりと見る。


「初代は、ユエのように違うことわりの世界から来た者ではないかと。もう少し言えば、ユエの世界から。世界を渡る過程で青い月の影響を大きく受けるが為に、それを多く必要とする個体が現れるのかも……と」


 仮説にしちゃ上出来だ。出来過ぎてる気もする。


「経験から血を薄めてきたので、タマハミが産まれにくくなってるのではないでしょうか。ただ、薄まるにつれて髪色だけで判断できなくはなってるかもですが。それでも確立的には随分と操作できると思います。なにせ渡ってくる者も減っているようですから」

「そうなの?」


 神官サマはこくりと頷いた。


「古い言い伝えなどを集めてみると、以前はいきなり降ってきたり、現れたりするマレビトの話が幾つもあるのですが、時代を追うごとに減っていき、開拓期以降はほとんど聞かなくなります。私は以前これらを違う星からの訪問者かとも思っていましたが……」


 にこりと笑われる。


「ユエの話を聞いて、違う見地に立って考えるようになりました。他の星とは違い、理の違う世界の行き来など、止める存在がいてもおかしくありませんよね? 行き来によって生まれたタマハミという異質な存在を放置しておきたくないのかも」


 ちょっと、突飛過ぎて私もくらくらしてきた。落ちてきた私が言うのもなんだけど、よくそんなこと思い付くね!?

 多分、神官サマ以外の全員が同じこと思ってると思うよ。


「……ユエの子も、またタマハミを産む可能性がある、のか?」


 不安気にカエルが呟く。


「彼等……彼女等かもしれませんが、がそれらを収束させたいのだとすれば、2つの世界を離して閉じておきたいのでしょう。だから、ユエは加護を、強い加護を賜った。最後のマレビトになるかもしれませんからね。タマハミは子を持てなかったでしょう? でも、貴方の子は産まれてくるかもしれない。ならば、その子は健やかでなければ意味が無いと思いませんか?」


 沈黙が落ちる。

 ふふ、と神官サマはそこで意地悪い笑みを浮かべた。


「まぁ、一番希望的観測に寄った仮説では、ですが。実はタマハミを増やしてこちらの世界を食いつぶそうとしていたのかもしれませんしね。マレビトが来なくなったのは、あちらの勝手な都合で、この世界は助かったの、かも。だいたい、放っておいてもタマハミ達は長く生きられないのですから、そのうち滅ぶことは確定ですし」

「……神官サマ」


 ひと睨みしてやると、彼はそっと肩を竦めた。本当に一言多い。


「どちらも確証はありませんよ。文献から言えるのは、この先、子孫に髪色の濃い人とは子を作るな、と言い聞かせた方がいいというくらいです」


 細く息を吐く。確かに、それは言い伝えた方がいいかもしれない。全てを止めることは出来ないとしても。


「貴方達は都合のいい方を信じていればいいのではないですか? 思い続けていれば、うっかり叶ったりしますよ?」

「……うっかりって」


 カエルはちょっと呆れ声だったけど、私は叶いましたっていつもより甘く微笑まれたら、信じてもいいかもと思えてきた。

 その時不意に、がらんがらん、と隣の部屋から硬質な物が床を転がる音がした。


「おっと、いかん」


 お爺さんが何か蹴飛ばしたらしい。資料が積んである狭い場所で彼は身を屈めて何か拾い上げた。少しの間それを眺めて、ひょいと私の方を振り向いた。


「嬢ちゃん、これも読めるんか?」


 差し出されたのは掌ほどの長さの石のような物だった。

 気になるのか、神官サマも身を乗り出す。

 私はそれを受け取って皆にも見えるように机の上に置いた。

 そこには何か硬いもので傷つけたのか、直線的なカクカクした文字が5文字彫られていた。神官サマは眉を寄せる。


「見たことない文字ですね……記号、かも?」

「記号じゃないですよ。文字です」

「ユエは読めるのですか?」


 読める。ルビが無くとも。


「カエリタイ」


 カエルも神官サマも石から目を離して私を見た。


「帰りたいって書いてあるんです」


 カエルにはカタカナを教えてるから、もしかしたらよく見れば読めるかもしれない。

 私はそっとその文字をなぞる。

 誰が彫ったんだろう。初代なのか、その後にも来た人がいるのか。その人達は帰れたんだろうか。


 結局、あの鳥居のような物の事は何1つ分からなかった。

 ただ、これを彫り付けた人とあれを置いた人が同じなのだとしたら、理由が少しわかるような気がした。

 鳥居はこちらの世界と神聖な世界を隔て、繋ぐ物だったはず。もう1度、繋がって欲しかったのかな。

 帰りたいと願う姿を見て、信仰と勘違いしたのかも。


 上手く説明できない私の話を神官サマはただ黙って聞いてくれた。時々小さく頷きながら。カエルは隣でそっと手を繋いでいてくれていた。ふたりとも私が帰れないということにとても気を使ってくれる。だから、全然寂しくないんだけど、そういう時私はそれにどっぷりと甘えることにしている。


 昼を過ぎても上がってこない私達の様子を見にビヒトさんが下りてきた。片付けは後回しにして、一応の報告をしながら遅めの昼食を皆で食べる。


「ふぅん。そんな意味があるものだったの」

「あれが、そうであれば、ですよ? もう形もよく判らなくなってたし……」

「ユエの名前も何か意味があるのかしら?」


 素朴な疑問、という風にリエルは口元に人差し指を当てる。


「あぁ、私の名前は、私の国の隣の国の言葉で『月』を表すんです」


 ふふ、と急に神官サマが笑った。

 何か可笑しかっただろうかと、ちょっとむっとして彼を見ると、彼は1度目を合わせてからカエルの方を見た。


「すみません。どこまでも、縁があるのだなぁと思いまして。それとも、こういうのは運命というのですかね?」


 ビヒトさんだけが、感慨深げに頷いた。


「カエルレウムとは、古い言葉で『青』という意味です。その髪と瞳の色から付けられたのでしょうね」


 私はカエルと目を合わせて、それから何だか急に恥ずかしくなった。何で恥ずかしいのか、よく分からないんだけど。

 顔を赤くして俯いた私に、皆は示し合わせたように小さく笑った。

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