aside_マーテル

※「蒼き月夜に来たる 22.童話とデンセツ」のマーテル視点



 偶然に会ったというユエさんが、ファルとニヒに連れられてきたのは彼女たちが散歩に出掛けているはずの時間でした。

 2階の事務机で書類仕事を片付けていると、外から2人の声が聞こえてきて、2人だけで帰ってきたのかと不思議に思ったものです。

 あの2人は特別に仲の良い関係ではありませんでしたから……


 ユエさんが絵本の多さにとても驚いていましたが、その気持ちはとてもよく解ります。

 ルーメン主教は何でもないことのようにほいほいと本を増やしますが、少し前までは絵本など上流階級の一部でしか見られなかったものです。

 紙が普及し始め、最近は少し手に入りやすくなったのかもしれませんが、まだまだ庶民には遠い物――その認識は間違っていません。


 主教は子供との関わり方が分からないからと充分な支度はしてくれますが、こちらに足を運ぶことは滅多にありません。

 ですから、絵本を届けに来た時もすぐに教会の方に戻るのだと思っていました。


「――誰か、来ているのですか? お散歩に出ている時間だと思ったのですが……いつもの子にしては声が……」


 はっと思い至ったように、主教は部屋の中を覗き込みました。


「宿のクロウと一緒に、たまに来てくれることになったユエさんですよ。今日はお休みの所をニヒ達に捕まったようです」

「……少し、ここにいても宜しいですか?」


 こちらに背を向けて寄り添う3人に、少し口元を緩めて彼の方は仰いました。

 もちろん構いません。

 この孤児院もあの絵本達も、ルーメン主教の管理する私物に等しいものです。

 せめて座って頂こうと椅子を取りに動こうとしたら主教に止められました。

 このままで、静かにと人差し指を口元に当てて……

 その仕種がとても美しく、私は少しどぎまぎしてしまいます。

 男の方なのにそれ程緊張せずに対峙していられるのは、その中性的とも言える美しさのせいかもしれません。

 初対面の時も神の御使いだと信じて疑わず、私はこのまま人の世を去るのだなと思ったものです。

 その前後のことは霞がかかったように思い出し難いのですが、それだけははっきりと憶えています。


 暫く彼女達の様子を興味深そうに眺めていた主教は、子供達の話がタマハミや人狼等の所謂教訓話になるとその表情を興味から探求者のそれへと変え、ゆるりと動き出しました。


「面白い話をしていますね。私も混ぜてくれませんか?」


 ユエさんの後ろから少し屈み込むように覗き込んで、主教はお声を掛けました。

 子供達は勿論、私も驚いていました。主教御自ら子供達にお声を掛けられることなど、これまで一度もなかったのですから。

 神官の見習いになりたがっているナランハとは少しお話しになるのですが。


 ファルが本を読んでくれるのかとねだっています。

 そんなことがあるのだろうかと、ちょっとはらはらしながら見守っていると、ルーメン主教はユエさんの隣に座り込み、膝にファルを座らせました。

 床に直に座り込むなど、普段の主教からは信じられません。ましてや子供を膝に抱くなど――

 半ば呆然と主教の語る童話を聴いていました。礼拝で語られる荘厳な聖句とは少し違う、優しい語り口でした。


 お話が終わる頃、皆が帰ってきました。いつものように駆け込んできたミゲルとリベレも、ルーメン主教の姿に驚いて動きを止めています。

 主教はファルを膝から下ろして立ち上がると、2階を借りても良いかとお聞きになりました。

 勿論です。断る理由は――反射的に承諾してから、書類を片付けずにここにいることに気が付きました。慌てて片付けに戻ります。

 あまりに呆然とし過ぎていて、何故ルーメン主教が2階を借りたいと言ったのか、その理由まで思い至りませんでした。

 彼の方はニヒのお話を聴きたかったのです。彼女達に何があったのか――

 そして、やはり主教はユエさんがニヒの通訳を出来ると確信しておられました。

 知っているのに、彼女を教団に紹介するでも、彼女に教団を売り込む訳でもないのは何かお考えがあってのことでしょうか。


 ニヒのお話が終わると、主教はユエさんとの握手を交わしていました。

 正直、とても強引に見受けられて、私は不思議でなりませんでした。初めて彼の方が人間なのだと思い知った気分です。

 ユエさんがニヒと階下に降りたほんの隙間に、失礼かと思いながらも聞かずにはいられませんでした。


「ルーメン主教は、ユエさんをどうなさりたいのですか?」


 別に、どうされるのでもよかったのです。恋人のように愛でるのも、御自分の為に加護の力を独り占めするのでも――

 私は彼の方のすることに否やはありません。ただ、主教の為に力になれるのなら、知っておかねばと思っただけなのです。

 私の信仰は初めからオトゥシークには無いのかもしれません。


「どう、ですか。そうですね……もっと視たい、ですかね」


 簡潔すぎて、良く分かりません。


「取敢えず、彼女には『繋ぐ者』の加護は見えないのです。例え他の者にそう見えたとしても、無いものは報告も出来ません。そのように理解しておいて下さい。後は私の趣味の範囲です」


 ルーメン主教の趣味……夜空の観察と民族研究の事でしょうか。

 ユエさんの容姿を鑑みると不思議ではない解答でしょう。

 主教の言葉を教団には報告する気がないと判断して、私は解りましたと頷きました。


 彼女の後を追ってルーメン主教が階段を降りた後、2階の窓からそっとお二人が並んで歩くのを見守ります。

 ユエさんに冷たくあしらわれるのを愉しむかのように、主教の肩が揺れているのが判りました。

 彼女は彼の方を1人の人間として扱います。宣誓を受け、あの瞳を覗いた後も。

 そのように振る舞う人を、私は見たことがありませんでした。

 瞳を覗かなくとも多くは畏怖し、一部は媚び、また一部は崇拝します。私のように。

 その全てに彼の方は平等に接するのです。神の教え通り、請われれば身を差し出し、厭われれば身を引きます。

 そんな方が彼女には執着を見せる……彼女が人として扱うから、彼の方も人になるのでしょうか。

 それとも……彼女の方が特別なヒトなのでしょうか。


 階下から子供達の笑い声が聞こえてきました。そろそろナランハだけでは大変でしょう。

 私は考えても解決しない問題は主に預けて、今向き合わねばならぬ事に意識を戻したのでした。

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