二日目

 二日目:


「こらーっ! お前、いつまでそうやってゴロゴロしてるんだーっ!!」

 ミナヅキ(六月)に入った、とある日朝のことだった。

 大きな瓦葺の二階建て武家屋敷中に、女性の怒声が響き渡る。

 その屋敷二階にあるとある畳部屋で、布団の上で横になっていた浴衣姿の男が、少しだけ目を開いた。

 彼の体は背が高くかなり引き締まっており、筋肉隆々な体で浴衣越しにも、はっきりわかるほどだ。

 顔も、どことなく猛禽類を思わせるようなシュッ、とした顔、主に目なのだが……。

 今は、視線も定まっていなかった。

 彼の名は鬼金剛オニコンゴウ

 ……いや、本当の名前は別にあるが、ここではこの四股名で呼ぶことにする。

 彼は元大相撲。つまり男相撲の力士で、幕内まで上り詰めた、それはとても強い力士だった。

 ……「だった」と言う通り、今はもう、引退してしまったのだが。

 相撲力士の体格で、ソップ型という、引き締まった体格の相撲力士のことを指す言葉があるが、「ソップといえば鬼金剛」という時代も、この世界にはあったのだ。

 しかし、今はそれも昔。

 こうしてとある人物の家に居候して、毎日ゴロゴロしているのだった。

 彼の部屋には、酒瓶や薬の袋やらが大量に転がっていた。

 見ての通り、そういう生活だった。

 奥や壁の方には映像受信機や、机、折りたたみ式テーブル、棚などが置いてあるが、本棚や額縁などの文化的なものは一切ない、殺風景な部屋だ。

 ──いや、唯一、文化的なものが一つだけあった。

 壁に飾られた彼が現役時代締めていた化粧廻しだ。

 鬼のような形相の神様の像の意匠を図画にしたその化粧廻しは、壁掛けの透明な箱の中に飾られ、彼の現役時代を感じさせる数少ない物品だった。

 しかし鬼金剛はそれを見る素振りもせず、相変わらず部屋で横になっていた。

 その時だった。

 バンッ!!

「鬼金剛ーっ! オラーっ! 起きろーっ!!」

 畳部屋のふすまが乱暴に開かれると、部屋に女性が飛び込んできた。

 そしてその勢いのまま、足で鬼金剛の体を蹴飛ばした!

 ゴンッ!!

「ゲフウッ!?」

 女とは思えないほどの強さで腹部を蹴飛ばされた鬼金剛は、全盛期にも負けないほどの腹筋で耐えた。が、それでも口から空気が飛び出て、先程のような悲鳴とも鳴き声とも取れる音が漏れ出す。

 そして腹をさすりながら起き上がると、

「痛ってーな……。何すんだよ親方ァ!!」

 そう抗議すると、目の前で仁王立ちしている才女を見上げた。

 少し長めの白髪に赤い目。真っ白な肌。ぱっちりとした切れ長の目、鋭い山のように盛り上がった鼻。妖艶、というにふさわしい形と大きさの口。とても元力士とは思えない、小さく鋭利なラインの顔。その下は、太い首に、びっちりと体に張り付いた浴衣に包まれた、背高の体と大きな胸と尻。浴衣から見え隠れする手足はしっかりしていて、今でも現役として通用しそうな体つきだった。

 彼女の名は、月詠親方。女相撲部屋の大手の一つ、月詠部屋の持ち主であり、かつては名女横綱と呼ばれた女傑だった。

 長く務めた女横綱の地位を「もう飽きたから」という理由で退き、今は部屋の親方として務めている彼女だったが、頭を痛めていることがあった。

 それは──。

「お前ここに来てから何した!? なにやったぁ!?」

「……いやあ、別に迷惑になるようなことはしてませんけど?」

 鬼金剛のとぼけた答えを聞き、月詠親方の顔が新雪の上に乗った真っ赤な血のように紅潮しては、

「何もやってね〜から問題なんだろーが!! 部屋の手伝いにも行かず、屋敷の家事もやらず、酒とクスリを飲んでゴロゴロしてるだけじゃねーか!! この糞引きこもりが!!」

 そう叫ぶと、また鬼金剛を蹴飛ばした。

 ガッ! ゴロゴロゴロゴロ……。 ドスン!!

 蹴り飛ばされて蹴鞠のように勢い良く転がされた鬼金剛は壁に勢いよく激突した。

 壁にめり込んだ鬼金剛は、しばらくしてから穴から抜け出し、

「……で、親方は何をさせたいんですか。炊事? 洗濯? 庭の草刈り? それとも伽ですか?」

 少しすねた表情で、その場にあぐらをかいて座った。

 その様子を見て、月詠親方はふん、というと、窓の外を見ては空を見上げた。

 空の上の方では、空飛ぶ船や、翼を持った鋼鉄の鳥などが行き交い、そのかなり下方の空では、杖状のものや、大きな板状のもの、あるいは自動車に似た形の乗り物に乗っている人々が流れを作って飛んでいた。

 そして地上では、歩いたり、自転車や宙に浮かんでいる板状のものに乗ったり、自動馬車に乗ったり、自走・飛行する人間、アンドロイドや清掃などの作業用自動人形、そして人間と見た目がそっくりな人造人間ホムンクルスなどが、ビルや塔、神殿などの谷間の道路や歩道などを行き交い、鋼鉄の巨人ローダーや多足歩行の各種有人・無人機械ワーカーなどが、建築現場や警備現場などで忙しく動き回っている、そんな世界。

 それがこの秋津洲アキツシマ皇国の首都、新京シンキョウだった。

 秋津洲皇国とは、大陸一つがまるごと国家である多民族・多種族帝国で、この世界に実在する様々な神々(神格)が信仰されている多宗教国家だ。皇王と呼ばれる、かつて建国した勇者(現人神)の子孫であり、神殿群(パンテオーン)の最高神官を兼ねる「皇王(皇帝)」と、それに従う国王(州王・藩王(藩主))、神殿群・教会の神官、貴族、武士、騎士、魔術師(魔道士)などにより治められている。

 文字通り、様々な世界の人、もの、技術などが混じり合い、渾然一体となった世界であり、国家。それが秋津洲皇国だった。

 そうしてしばらく空を見ていた月詠親方だったが、フン、と鼻を鳴らすと、指でなにもない空間に四角を描いた。

 すると、その指で書いた四角の中に、この国の文字や画像などが浮かび上がった。

 これは魔法陣の一種で、表示窓ヒョウジ・ウィンドといい、様々な情報を表示したり映像を見たりするときに使う共通魔法だ。

 表示窓はそれ自体が魔法演算機で、魔法通信網に繋がり他の魔法演算機などと通信することによって文書、画像、動画、音楽データなどをやり取りすることができるのだ。

 そしてその表示窓に指で触れては色々操作しながら、月詠親方は話し始めた。

「あたしの部屋に、入門当初から幕下上位まで一気に上がってきたのだが、ここ数場所十両前で足踏みしている、天才肌の女力士がいる」

「……へえ」

「彼女を十両に導いてやってほしい。そういう依頼が彼女のスポンサー《タニマチ》から来ている。よろしくやってほしい」

「……タニマチ、からねえ。それにどうして俺に」

「『さいのうを掘り起こす』のが得意だったお前なら楽なもんだろ。特に、女力士に対してはな。そんな理由さ」

「何厭味ったらしく言っているんですかもう……。過去のことですよ……」

 月詠親方の嫌味に、鬼金剛は口をとがらせて抗議した。その口ぶりには、その理由を信じていない様子が伺えた。

 が、彼女はどこ吹く風、何も聞こえていないという様子だ。

 彼をいじめているのか、それとも可愛がっているのか。

 それとも両方なのか。

 月詠親方の方が、一枚も二枚も上手なのかもしれない。

「彼女は負け越して下がったとは言え、来場所の番付もいい位置。優勝でもさせれば十両昇進だ。何、簡単な仕事だ」

「何さらっと言っちゃってるんですかねこのカミビトは……」

「なんか言ったか? ええ?」

「いーえなんでもないですー。……で、その女力士の名って?」

 月詠親方はヒョウジ・ウインドをぽん、と押すと、鬼金剛の方へと見せた。

 そこには、気品がありつつも素朴な顔立ちの美少女の顔があった。

 銀髪に金の目、白い肌。

 その顔は、どことなく目の前の髪が白髪に赤目の女性と、似ているような気もした。

「<天ノ宮>だ。若くて美少女な女力士だ。最近の歌姫アイドル力士にも負けないほどの顔と容姿だ。どうだ、やりたくなっただろ?」

 しかし鬼金剛は、自分の鼻を指でほじくると、つまらなそうな顔で、

「……いえ。どーにも」

 と返した。

 しかし目は違っていた。目の前の女性に気づかれないような、僅かな瞳の動きだった。

 彼の目は、天ノ宮という四股名の女力士の顔と、そのプロフィールを見比べていた。

 彼女の出身は新京生まれの中流貴族だという触れ込みになっていた。

 しかし、この銀髪。金の双眼。これは明らかにやんごとなき一族という、まごうなき証拠。

 その高貴な見かけと「家柄」のあまりの落差。

 この謎、何かあるのかと彼は思考をめぐらせたが、あまりにも情報がなさすぎた。

 鬼金剛は内心、しょうがねえな、と思い、ため息を吐く。

 それを勘違いしたようで、月詠親方は残念そうな顔をして、

「何、食指が動かんか? ……昔だったらこの美少女に、お前は尻尾を振って喜び勇んで指導してやろうとしたもんだが。……なにか、悲しい気分だな」

 と、彼女もため息を吐いた。

 その言葉に、鬼金剛は窓の方を見て、景色を見ると、独り言のように、

「……もうそんな気力もなくなりましたよ。俺は、女のお陰で追放させられたようなものですから」

 そう言うと、黙り込む。

 自分の内心を、悟られないように。

 鬼金剛の態度に、月詠親方はもう一度溜息をつくと、言った。

「……この仕事を受けてやりとげてくれたなら、お前の角界復帰に助力してやってもいいんだが」

「……!」

 鬼金剛はその発言に顔を戻し、彼女の方を見た。

 その様子にニンマリとした月詠親方は、指を動かし別の表示窓を表示させると、そこにある数字を表示させ鬼金剛の方へと見せた。

「タニマチからは指導料としてこれだけ払ってもいいと言っている。前払いがこれで、成功報酬はこれだ。成功さえすれば、幕内優勝以上の報酬を貰えるんだぞ」

 その言葉に鬼金剛は息を呑む。

 やはり。なにかあるな。

 合計報酬の桁は、一千万を軽く超えている。

 明らかに、単なる指導料や、それによる成功報酬とは思えない金額だった。

 自分を職業人プロとして認めている。そうだとは思える。

 しかし、単にそれだけではない何かが、この金額にはあった。

 そしてこの報酬は、絶対に成功させろよ、という無言の圧力さえ感じる。

 話に乗るべきか、乗らないべきか。

 鬼金剛は、表示窓ヒョウジ・ウィンドの中の少女の顔を見た。

 そして彼女の経歴や情報に、目を通す。

 その文章を読んでいるうちに、彼の目は少しだけ足を止めた。

 それからまた動き始める。何かの意味を含んで。

 ──こいつは、一体なんなんだ。

 数瞬の思考の後、鬼金剛はゆっくりと立ち上がった。

 そして、問いを月詠親方に投げかけた。

「なあ、個有魔法が『無し』のではなく、『不明』ってどういうことですかぁ、これ?」

 その問いに、彼女は一瞬口をへの字に曲げたあと、こう答えた。

「ああ、彼女の個有魔法は発現しているようだが、まだ具体的な能力はわからないんだ。稽古中でも本割中でも、はっきりとした効果は出ていなくてな。不確定なんだ」

「不確定……」

 そう言うと鬼金剛はますます眉間のシワを深くした。

 そして数瞬考えたように見せかけると、ため息を一つ吐いて言う。

「……いいでしょう、親方。話に乗りますよ。ただ事の真相は、すべて終わったら洗いざらい話してもらいますよ。……どうして俺にこれを依頼したのかも」

 その言葉に、月詠親方は無言で一つ首を縦に振った。

 その顔は賭け事に勝った、というような誇らしげな顔だった。

 しかし、鬼金剛は彼女の勝ち誇ったような顔を見ながら、心のなかでこうつぶやいていた。

 ──あんたの答えで確信した。

 天ノ宮、彼女の個有魔法はとんでもないものに違いない。

 まっ、あの「正体」なら、当然かもしれないけどな。

 それに。親方、俺は一見、金につられて依頼を受けたかもしれませんがね。

 そりゃね。『あいつら』の依頼なら、誰だって受けざるを得なくなりますよ。

 でもそれを差し引いても、こいつはおそらく面白い素材ですよ。この天ノ宮という女力士は。

 だから、乗ってやりますよ。この依頼に。


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