第40話 ばあちゃんの昔話。

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気持ちよさそーに寝てたから、

こっそりと出かけちゃうよんっ

遅刻しちゃダメですよー

あ、それと今日は少し遅くなるからねっ

和菓子づくり頑張ってー

ファイッ!ᕦ(ò_óˇ)ᕤ


寝顔がかわいいダーリンへ♡ by美沙

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(遅刻しちゃダメって…… 置き手紙で言われてもなぁ。まぁ、今日は出発が遅いからよかったけど)



朝目覚めると、美沙はキッチンテーブルに一枚の置き手紙を残し既に家を後にしていた。最後の一文あたりに全くもって不慣れな心が異様なざわつきを覚えて逃げ恥る。思わず見て見ぬ振りをしてしまったわけで。ここら辺、狼狽うろたえずにドシッと居座るまでには、まだまだ修行が必要なのであろう。そう、あの涼子さんのように。


喫茶北野で自らの将来像を宣言したあと、美沙は火曜日のみだった嵐山でのバイトを早くも増やしていた。今日からは週末も喫茶北野で働くシフトとなっている。さらに言えば9月からは宇治でのバイトはスパッと辞めて嵐山だけに専念するそうだ。

勿論、美沙のバイト先の井上藤二郎堂本店の店長さんにはかなり抵抗されたらしいが。それでも将来のことを伝えると渋々了承してくれたそうだ。

看板娘をアッサリと取られてしまったことを思うと、ついつい井上さんと北野さんの友好関係の方を心配してしまうものの、「私じゃなくても大丈夫!ほっといてもあそこはお客さん多いし」とまるでヒトゴトのような笑顔。さらに「あそこは珈琲じゃなくてお抹茶の店だしねー」とも。

きっと本音はそこなのだろう。

すっかり身も心も嵐山仕様な美沙を思うと、その行動力と結果のに納得しっぱなしである。もしもこのままの美沙でずっと突っ走ったとしたら。未来ではどんな美沙になっているのだろうか?

末は博士か大臣か?と、どこかで聞き覚えがある言葉が脳裏をよぎる。


「ははっ、ありえねー」

と思わず苦笑いを浮かべた。


(世界に羽ばたく有名バリスタなら、ありえるかもな)



さて、現在時刻は朝の9時半を回ったところだ。僕は朝の忙しい時間帯に現場に入っては邪魔になるだろうと、現場が落ち着く14時以降を狙って出勤することを祖母に伝えていた。

勿論、忙しい製造を手伝うという選択肢も多少は頭をよぎったのだが。やはり最後の作品作りに集中したい気持ちを優先することにした。二つのことを同時に出来るほど器用じゃない!とやや言い訳交じりに言い聞かせて。



僕はキッチンで一人、美沙が作り置きしていた丸っこい塩にぎりを頬張りながら、ふと昨晩のことを思い出していた。なんだか夢の中の出来事のような、それでいてあたかも他人事のような。

それでも、美沙感たっぷりな置き手紙と塩にぎりがそれが事実であることをしっかりと主張していた。


そして僕は――


本当の温もりを知ってしまったからだろうか。戸惑いながらも、彼女への愛おしさは今までにないほどに高まっていた。



(これが愛ってやつなのかな)



そんなどうしようもないたかぶりをまぎらすかのようにふと視線を和室に向けると、卓袱台ちゃぶだいの上に佇む原稿用紙たちが目にとまる。

僕は美沙の置き手紙を一旦テーブルに置き、塩にぎり片手に和室へと向かった。



※※※※※※※※ ※※※※※※※※



「賢太朗、どうだ?」


「まだフワフワの食感が物足りないんですよね」



試行錯誤を繰り返す僕の背中に祖父からの声が届いて暫しのやり取り。ステンレス製の畳一枚分の作業台に置いてあった4度目の仕込み品を一つ口に入れた祖父が言葉を向ける。



「メレンゲ投入してからは?」


「えっと、240秒間しっかり混ぜて、それからすぐに冷蔵庫に入れてます」


「そうか。納得するまでやってみろ。時間は気にするな」



祖父はそう言い残しマイペースな様子で現場を後にした。14時過ぎにここに入ってから既に5時間が経過しようとしている。もちろん店は既に閉店しており、この建屋に残るは僕一人となっていた。



(この条件出しが大変なんだよな)



『その店にしか出せない味』はこうやってもがきながら生まれてくるのだろう。同じ原材料を使っても、味や香りや食感や見た目、つまり結果は幾千通りにも分岐する。もっといえば、同じ製法でも作る人次第で味は変わる。さらに重ねると、同じ製法で同じ人が作ったとしても、その日の体調や心持ち次第で変わってくることもあるのだ。生菓子はそのくらい繊細な生き物なのである。



(混ぜ方と温度、ちょいと変えてみるか……)



そしてもう一度、つまりは本日5回目の仕込みを試すも納得できず。

完全に行き詰まった僕は気分転換にと隣の事務所で休憩を取る。いつものインスタント珈琲をテーブルにコトリと置き、ズシリとソファに浅く腰掛けて天井を仰いで大きく息を吐いた。


何気なく天井の木目調の細い筋模様を端から目で辿ってみる。一本の線から始まり、そして分岐し、再び一つになり、更に別の方へと分岐する。まるで阿弥陀籤あみだくじをなぞっているような感覚。この世で起こる出来事もきっとそんな感じだろう。永久に同じ状態ではいられない。未来とは、刻々と変化していく今の積み重ねなのだから。出会い、別れ、発見、経験、失敗、成功、偶然、そして必然。

いろんな要素が絡み合って進むさまを今の状況に重ねると、僕の心はそれでもちょっぴり未来を向くことができた。


そんな思考が、透明ガラス扉仕様の古めかしいスチール棚を捉える。そこには綺麗にファイリングされたレシピ帳がずらりと並んでいた。祖父やそのもっと前の代の人たちが必死になって作り上げてきた歴史たちがこれらの一冊一冊に刻まれている。


僕はその中でも一番古そうなものを手に取りペラペラとめくり進む。そしてあるページで手が止まった。

そこには、僕がこの店で一番好きな[わさん葛餅]のレシピと完成絵、そして開発者のサインが書き込まれていた。



(明治二十六年 岡 大吾郎さん……か……

この人もきっと同じ経験をしてたんだろうな)



過去のレシピ帳から伝わりくる人の心を想像しながら、少し冷めた珈琲に口をつけた瞬間。扉のノック音と共にドアが押し開く。祖母の姿が視界に入った。



「あんまりコン詰めすぎると体に毒よ。お腹すいてるでしょー」



その手に収まる茶色い丸盆には、綺麗に整った三角形の握り飯が二つと急須と湯呑みが見える。僕は祖母の溢れる笑顔に癒されながらもお礼と共にそれを引き取った。





「奥さん、この大吾郎さんってご存知です?」


まだ温もりが残る握り飯を頬張りながら、僕は開いたレシピ帳と言葉を向けた。


「あー、この人はね、確かお父さんのおじい様じゃないかしら。私は直接会ったことないんだけど、お父さんから話は聞いたことがあるわ。ものすごく頑固者だったそうよ。お父さんとどっちが頑固かしらねっ」と嬉しそうに微笑む。



(じいちゃんの、おじいちゃん……)



「じゃあ、このかたを最初に作ったんですよね?」


「そうね。でも、途中で2回レシピが変更されてるわよ。うーん… どこら辺だったかしら…」と祖母は棚に並ぶレシピ帳を探り始める。

しばらくして「あったあった、コレとコレね」と言いながら二冊のレシピ帳を重そうに机に置き、僕の目の前でそれぞれのページを開いてみせた。



「昭和44年 岡 勝吉かつきち、昭和58年 岡 千恵子……」



(じいちゃんと…… 母さん?)



目の前のその記録に明らかな疑問を抱いた僕に、祖母の声が重なる。



「昔ね、千恵子が確か中学生頃だったかしら。夏休みの自由研究でわさん葛餅の改良をやったことがあってねー。今の味はその時の味よ。つまりは千恵子仕込みの味ってことねー」



(わさん葛餅、母さんの味……)



「実はお父さんね、昔は千恵子に店を継いで欲しがってたの。あ、もしかすると今も本音じゃそうかもしれないわね。まぁいろいろとあったから、そこはわかんないんだけど」


「だから自分の味をあえて千恵子に改良させたのかなーって。今思うとね」と微笑む。


「でもね――、」と続けながら、祖母は僕の右横にあるパイプ椅子に静かに腰をかけながら言葉を続けた。


「千恵子、お父さんのこと嫌ってたのよね」



(嫌ってた……)



僕は、急にざわめきたつ気持ちを抑えながらも静かにうなずいて続きを促す。



「ほら、2人とも頑固者でしょ?だからよくぶつかってたのよ。特に千恵子の将来のことでね――」


「お父さんは高校卒業したらこっちの道に進ませたかったんだけど、本人はどうしてもコピーライターになりたいって言ってねー」


「それである日、大喧嘩になっちゃって。千恵子が家を飛び出して。まぁ大雑把に言えば、それっきり福岡よ」



「今も、二人は?」



「おそらくねー。この前のバーベキューで少しは戻れるかなーって思ったんだけど。お父さんからしたら、いろいろ飛び越えての結婚します宣言でしょ」と苦笑いを浮かべる。



(そう、だったんだ…… でも……)



「ごめんね、こんな暗いはなししちゃって。賢太朗君には関係ないことだよね。ごめんごめん」


そう言いつつ手に持っていた湯呑みをテーブルの上にコトンと置いた。


「でもね、なんだかとても不思議な気分になるの、賢太朗君見てると」


「不思議な気分……」


「うん、なんだかねー、本当の家族と話してるみたいで。どうしても他人とは思えないのよねー」


「だからこんなことまで喋っちゃうのかなー?自分でもよくわかんないけどねっ」



優しく浮かべたその笑みに向け、僕の心が思わず前のめりになったが今はグッとこらえた。



「お父さんがあなたを迎え入れることを決めたときもね、実はとっても嬉しかったの。あ、それと千恵子も言ってたわ。あの2人はなんだか身内みたいだねって」



祖母の話に耳を傾けていた僕の心に、いろんな想いが次々と溢れ出てくる。既に居ても立っても居られなくなっていた。



「奥さん、岡さんは今どこにいますか?」


「ん?お父さん? たぶん家に方にいるわよ」



僕は徐に立ち上がり、「ありがとうございます」と一言残して部屋を飛び出した。

『賢太朗君、どうしちゃったの急に!』という祖母の声が開けっ放しの扉から小さく聞こえてくる。それでも僕は、その言葉を置き去りにしたまま祖父の元へと向かった。


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