第31話 コンテスト〈前編〉

開会式はプログラム通りに滞りなく流れていく。

開始から15分。来賓、審査員、主催者らの挨拶も終わり、今は事務局スタッフによるコンテストのルール説明に差し掛かったところだ。始業式などの学校行事の眠気を誘う開会式とは明らかに異なる空気感。競技開始が迫ったこの空間を、独特の緊張感が支配していた。



(きっと60分ってアッという間なんだろうな……)



僕は、前方の事務局スタッフに視線を集中させながらも、思考は既に次の60分間を捉えていた。

ペース配分を考えながら抹茶羊羹作りの段取りをイメージする。日頃から現場で鍛えられた甲斐もあってか、体が勝手に動く姿が浮かぶ。まるで体操選手が空中で魅せる華麗な技を決めるときの感覚、というと大袈裟かも知れないが。



「えー、60分間が終わった後は、番号順に審査員に実食していただきます。その際、事前にお伝えしている通り、5分程度で作品のプレゼンテーションをして頂きます」


「それと飲み物だけは、実食直前にいれて頂いても結構です」


「それから――」



ルール説明に続き、いくつかの注意事項が会場に響く。もう少し開会式終了まで時間がかかりそうだ。



(今日は、今まで学んだものを全部出してやる!

じっちゃんの名にかけて!)



右手をグッと握りしめて気合を入れつつ、隣に立つ美沙にふと視線を落とすと、心穏やかに瞑想中のように見えた。


(お、瞑想だなんて!今日は美沙も遂に本気モードか!?)


そう思った瞬間。

目を瞑ったまま音もなくカクッと膝元から体が傾き、ビクッと驚いた様子で周りをキョロキョロと見回していた。



――えっ!?ま、まさか……

単なる居眠り!?



「……お話、もう終わったぁ?」

と少し寝ぼけた声。


その小さな呟きに向けて、言葉なく首を横に二度振り返し、いまだ続く開会式の緊張感を伝えると、


「じゃあ、もう少し……」

と残して、再び目を瞑った。



フッ、こんな時にまで……

やっぱ美沙、だな。

まぁここまで貫くと、逆に気持ちがいいや。



僕は、諦めにも尊敬にも似た感情を詰め込んで優しく苦笑った。そんないつもと変わらないマイペースな彼女を見ていると、気負いすぎていつの間にか体に力が入りすぎている自分の姿に気がつく。

大好きなモノづくりを楽しむ事よりも、いい作品を作ってお世話になった人たちのためにいい成績を残すことに思考の大部分を支配されていた僕は、開始ギリギリのところでに戻ることができたような気がした。



(やっぱ、今日はいっぱい楽しもう!

うん、きっとそれがいいや。夏休み最後の想い出作りだって美沙も言ってたよな)



心の中だけで呟いたその方向修正に、

「ねっ」と未だ瞑想中の美沙から小さな波が返ってくる。


どこまでが意図的で、どこまでが無意識なのか。

その境界線はどこまでいっても曖昧だったが、僕は漏れ出た微笑みを抑えることができなかった。




※※※※※※※※



「それでは始めてくださーい!」


スタッフの合図で、遂に60分間の戦いの幕があがる。僕は早速、開会式中にイメージした通りの動きで抹茶羊羹作りに取り掛かった。


一方美沙は、と言うと――


キッチン台を放ったらかしに、ゆっくりとした足取りで前方に向けて歩き出していた。



(――ん?どこに行くんだろ?)



まるで自由奔放な子猫のようだ。部屋の片隅でこちらを眺めていた涼子さんと目があう。両手を中ほどまで挙げて「さぁー?」的なジェスチャーが目に入った。「まぁいつものことだし、ほっとけばー?」という意志が伝わってくる。

きっと何か美沙なりの考えでもあるんだろうなと勝手に忖度そんたくし、取り敢えず自分のやるべきことを粛々と進めていくことにした。


先ずは、鍋に水を張り、沸かす。

水といっても今日は特別なのだ。予め美沙が用意してくれた薄めの水出し珈琲を使う。所謂いわゆる隠し味だ。

それが沸くと祖父が取り寄せてくれた信州の天草から作られた粉寒天と奈良の吉野産の葛粉をレシピ通りの配分で溶かし、これまた事前に用意していた僕特性のこし餡と和三盆を加え、弱火でひたすら練る。

この練りが足りないととろけるような口溶けが出ないのだ。しかも味にむらが出て全然美味しくない。


ひたすら練りながらも、ふと顔をあげて周りを見やると、3名の審査員と何やら楽しげに談笑している美沙の姿が視界に入る。全くって(本当に彼女は出場者か?)と疑ってしまう光景だ。他のペアーは表向きそれを気にすることもなく黙々と作業を続けていたが、心の中では「はい、消えたー!」とでも思っていることだろう。



(ふっふっふっ、うちの美沙を舐めんなよ!

彼女の辞書には『常識』という文字がないだけなんだからな!)



僕は美沙を小馬鹿にされた妄想を振り払うかのように、彼女の天才的なイイ部分だけを抽出したエビデンスを元に、強がり含みの援護を向ける。


周りの出場者とは明らかに違う美沙の奇行きこうに、遂に大会スタッフが駆け寄り何やら話をし始めた。『早く持ち場に戻りなさい』とでも言われているんだろうか。

それでもしばらくすると、和やかな雰囲気に変わり、二つの笑顔が溢れていた。



※※※



競技開始から15分が経過した頃、ようやく美沙が我がキッチン台にハウスしてくる。僕の練り作業は焦げ付きに細心の注意を払いながらも、いまだ続いていた。



「おかえり。何話してたの?」


「あー、メッチャ楽しかった。おっきな白バラつけた一番偉い真田サンってスッゴイんだよー」


「ん?どこが?」


「見て!あんなに太ってるのに腕立て伏せ50回もできるんだってー」と、これはさすがに小声で。


(ん?なんの話してたんだ?)と一瞬戸惑うも、

(……うん、きっとこれも何かの作戦のはず!なにせ、あの美沙なんだから!)と強く自己洗脳を施し、更に(信じろ!オレ)と鼓舞した。



そんな気持ちとは裏腹に「そうなんだ。――で?」

とそっと続きを促してみる。



「その隣の田中サンってね、昨日旦那さんと喧嘩になってご飯作ってあげなかったんだってー。旦那さんかわいそうに。私ならせめて晩御飯はいっくんに作ってあげるんだけどなぁー」


(ん?、いま完全に僕と被せましたよね!?)


……まぁ、この際どうでもいいんだけど。

でもあなたの食材、まだ生豆きまめなんですけど……

お嬢さん、色々と大丈夫なんでしょうか?



「そうなんだ。――ほいで?」

と、(これが最後だぞ!)という若干の焦りぶくみで続きを促した。



「でね、お願いがあるんだけど――」


「お願い?なんの?」

と手元を動かしたまま尋ねる。


「えっとね、真田サンは甘さ控えめで抹茶は濃いめね。で、田中サンは後味スッキリな甘さにして、一口サイズで作ってあげて。それから最後の一つは、今のレシピ通りでいいから――」



一気にそう言い終えた後、「さっ、私もそろそろ始めちゃおっかなー」と、旅印のエプロンの紐を後ろ手で結び直してキッチン台に向かい合った。


この時、ようやく僕は思い出した。

審査員の好みをその場で聞き出す作戦を、昨夜立てたことを。



(そっか!美沙はこれを探りに行ってたんだ!)



「ありがとう。すっかり忘れてたよ。みんなの要望聞いてくれてたんだね?」


「いんや。ちょっとお話ししただけよ」

と想定外の短い返事。


(――ん?どう言うこと!?)

と混乱気味な思考に、更に声が届く。



「いっくん、今日は頼りにしてるよぉー」



美沙の屈託のない笑顔が僕を捉える。

僕は、イマイチ理解できないその言葉と笑顔を前に、それでも彼女が導く未来を強く信じて手元を動かし続けていた。

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