第29話 前と後ろ。

『第1回 3時のスイーツコンテスト』の会場は、植物園から南に徒歩で20分程度の距離に位置している。先程まで真上から元気に照りつけていた太陽も、高い位置に浮かぶ雲の塊たちに遮れられ、今は暑さも一時休戦中といったところだ。

僕たちは家族連れやカップルで賑わう鴨川沿いの遊歩道を歩きながら目的地に向かった。

明るい色の石畳にわずかに熱気を奪われた空気が足元を通りすぎる。後方から絶え間なく追い越していくその川の流れ。こちらの意思をみすることなく二人の未来へ遠ざかるその姿を目にすると、過去も未来も僕の手の届かない場所にある感覚に襲われてしまう。


先程見せた美沙の涙。結局僕はその意味を聞けないままだった。美沙が向けた涙のその先にあるものが、例えば二人の未来だとして。

僕は急に胸が締め付けられ、隠れる太陽がやけに恋しくなった。


「そうだ!」


突然の美沙の思いつきが耳に届いた。

その声に無意識にうつむいていた自分に気づかされ、2秒未来を歩く彼女の背中に視線を向ける。


「カルピスソーダ!」


――聞き覚えのあるそのフレーズ。


美沙は僕に振り向き笑顔を見せつつ、彼女の後ろ方向のに向かってゆっくりと歩みを進める。胸にはオレンジ色の小さな宝石サードオニキスが揺れ光る。

それでもその笑顔を静かに見つめ続ける僕に、念を押すようにもう一度その短いフレーズが届いた。



「かるぴす、そーだ!!」



(そーだ…な…… 美沙の言う通りだな…)


何気ない美沙の一言に隠されたいつもの感情。

まるで「戻っておいで!」とでも言われているようだった。



「美沙、一つ聞いてもいい?」


「うん、もちろん!」


「例えば、僕が未来へ帰ったとして――」


「うん」と相づち、続きを促してくれる。


「――嫌?」



美沙は何も言わずに再び前を向いた。

そしておもむろに空を見上げて、静かに想いを放った。



「きっとね…… 意味があると思うの」

「そのお別れには」


美沙は続ける。


「だって命はいつか死んじゃうじゃん。いつかはお別れが来ちゃう…じゃん」


「でもね。それでも残された人って、ちゃんと生きていけると思うの。いや、生きなきゃいけないの」


「大好きな誰かのために…」



細くて小さい美沙の背中が小さく揺れて、再び僕に振り向き笑顔で一言。



「――嫌に決まってんじゃん!」

「今日のコンテスト、楽しもうね!この夏一番の想い出にしよ!」



「うん、そうだな…」



(それでも未来を向け、かぁ… うん、きっと、そうだよな)


僕は少し歩みを早めて美沙と並んだ。

そしてそのまま彼女を追い越して、今度は僕が振り向く。歩みをゆっくりとに進めながら。



(これから先は、こうでありたい――

どんな未来がようとも)



「いっちょ、暴れてやりますか!」

という僕の笑顔に。


「ハイ、先生!」

と手を上げながら元気よく。


美沙が歩みを早めて僕の横に並んでくる。

そして手を繋いで、今度は二人で未来へ向かった。

会場まであと少し。

先程よりも少しだけ早まったスピード。今の僕にはこの早さがとても心地よかった。



※※※



「ねぇねぇ、作戦会議!しよーよ」



会場に着くなり、美沙からの提案が耳に届いた。


(作戦会議、かぁ。なんだかとても懐かしい響きだな)


その記憶が蘇ってくる。内容をふんわりと思い返すと9割は他愛もない雑談ではあったが、それでもそれらが今の僕を形作っている事には変わりない。

僕が美沙の提案に賛成の意を示すと、おもむろに僕の手を引きエレベーターに乗り込んだ。

そして屋上に出る。

先程少し陰っていた日差しは既に復活し、夏特有の強いそれが僕たちを照りつけた。それでもいつもより湿度が低いからだろうか。それとも美沙と二人きりの屋上だからだろうか。

僕の不快指数は思った以上に上がらなかった。


二人肩を並べて眺める屋上からの京都の街並み。南の方角には一筋の一際ひときわ高いビルが主張していた。美沙は突然、そのホテルを指差しながら話しかけてくる。



「あのビルって、いっくんはどう思う?」


「ん?どう思うって?」


「京都ってね、建物がみーんな低いでしょ?その中であのビルだけが背高ノッポなの」


「こうして改めて見ると確かにそうだね。まるでみたい」


美沙は僕の声とその風景を静かに受け止めながら続けた。


「そのホテルと仏さんがね、いま争ってるの。あのビルが高すぎて京都らしくないんだって」



生まれる前に起きたその争いを僕は知らなかった。

美沙が言うには、今から数年前に持ち上がった建替計画に、ホテルの運営会社と伝統を重んじる京都仏教会の間で争いが起きた。ホテル側はその計画を法律に基づき進めようとし、一方仏教会側は景観を損ねるとして反対する。一度はホテル側が譲歩しその計画を中止することで和解したものの、最終的にはその和解は破棄され、今から約1ヶ月前に京都で一番高い16階建ホテルが誕生していた。


清水きよみずさんとか金閣寺とか行ったらね、入り口におっきな看板が置いてあるの。そのホテルに宿泊する者は入山を拒否する!って」


きっとどちらにも正義があるのだろう。

歴史やブランドを守ろうとする人たちと、それにあらがってまでも新しいチャレンジを試みる人たち。美沙の「どう思う?」と言う問い対して、僕は暫く考えていた。

世の中を便利に進化させてきたのは、概ね過去や常識にとらわれずに目標に向かって突き進んだ人たちだ。周りからは変人とか奇人などと揶揄され逆風にさらされながらも、前に進み続けた結果が、人の歴史を作り上げてきた。

とは言うものの、御先祖様が作り上げてくれた伝統や歴史があるからこそ、日本人らしさという風土が保たれている事も事実なのだろう。



「――いっくんは、どう思う?」



再び届く二度目の催促。

「どっちが正しい?」ではなく「どう思う?」という彼女の問いかけ。おそらく美沙は、僕に正しさなど求めていないはずだ。きっとを求めているのだろう。どちらが正しいかなんて誰にもわからないのだから。



「僕なら――」

「いっぱい声を感じながら、じっくりと挑戦していくかな」



この1994年の世界で僕が得たものを素直に言葉にした。この世界にくる前の自分であればきっと「どうでもいいや」などと声にしてしまっているだろう。面倒くさい争いから逃げる自分自身の姿。もうそんな姿は僕の中にはなかった。


どんな状況でも信じて未来に行こうよ――


美沙の問いにはそんな感情が込められているように思えて仕方がなかった。



「うん。抹茶羊羹!」

美沙の嬉しそうな笑顔が京都の空に響く。



(少しは成長できたのかな……)


自分自身を振り返りながらそう思っていた僕に、更に言葉がやってくる。


「じゃあ作戦会議、終わり!」


「ん?終わりなの?――」と微笑む僕に、

「今日はそんな作品なんでしょー?」

という美沙の笑顔。



「あ、そろそろ集合時間だ。急がなきゃ!」



そう言いつつ、僕の手を引いて進もうとした美沙に「ちょっと待って!」と言葉を向ける。

歩みを止めて不思議そうに見つめるその瞳を、僕は笑顔でリセットし言葉を奪った。



「そろそろ時間だ。急ごうぜ!」



今度は僕が美沙の手を取り会場に向かった。

僕が前で、美沙が後ろ。

繋いだその手から伝わってくる嬉しそうな彼女の感情が、僕の心をくすぐっていた。

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