第25話 ふわっふわタイム。

バーベキューが終わった後の帰り道。

家に向かって歩き出した僕の背中に、美沙の一言が届く。



「少しお散歩しよ!」



そう言って、僕の都合を聞くこともなく反対方向に歩き出す。いまだ頭と感情を右往左往する先程の余韻を少々整理しておきたい気持ちにもうながされ、黙って美沙の背中を追った。

石畳の小道。美沙が前で、僕が後ろを歩く。

何も話さず同じ歩幅でゆっくりと。

僕のを知る美沙は、きっと今の僕の心を慮ってくれているのだろう。

何も言わないことが、何よりの証拠であった。


宇治川を左手に見ながら川上に向かって続く。その先にある小さな朱色の喜撰橋きせんばしを渡り、中洲状に横たわるに入る。

そこに設置された大きなおりの中には、数羽の海鵜うみうが仲よさそうに暮らしている。今はちょうど鵜飼うかいの開催期間なのだろう。全国でも珍しい女性の鵜匠うしょうさんがその檻の中で出番を待つ海鵜たちを楽しそうに世話している姿が見える。



「今日、ちゃんと納得できたー?」



実家を後にしてからようやくの一言。

あの時、一瞬ウインクしたような素振りで祖父の元に駆けていった美沙。やはり母との二人きりの時間を作るための気遣いだったのだろう。

思い返せば結構長い時間を二人で過ごした気がする。その間、誰かに水を差されぬよう祖父たちの気をひきつけてくれていたのかも、とさえ想像した。



「――ありがとうな、美沙」



その言葉を聞くと同時に、少し前を歩く美沙は振り返り、僕の腕をギュッと捕まえる。そして覗き込むような仕草でニコッと笑顔を向けてくれた。



――こっからは一緒に歩こ!



とでも言っているような気がして、僕はふんわりと優しい気持ちになった。



(やっぱ、この笑顔とずっと一緒にいたいな......)



思わず自分の小っ恥ずかしい先程の公開処刑の全貌を思い出し、再び頬を赤らめてしまう。



[お酒は、ハタチになってから――――!!]



「あ、そう言えば、まだ酔ってる?」

と、美沙を覗き込むように顔色を確認する。

「酔ってないよ!」という笑顔を捉えた瞬間。唇に柔らかい感触。不意に訪れた二度目の短い温もり。


僕は美沙のその笑顔に刹那驚くも、その美沙の心を素直に受け入れていた。

僕の中の美沙への気持ち。同じ時間を過ごす中で明らかに以前とは変わっていることに気がつく。

好きという気持ちと大切に思う気持ちのその二つの気持ちが同じものであったらと願った嵐の夜。

もう既に、この願いは叶えられていたんだと、いまようやく認めることができた。



(美沙、ずっと一緒に...居ような......)



母が育ててくれた僕の心は、美沙の未来へと引き継がれていく。



※※※※※※※※



帰宅前に僕たちは宇治橋商店街にある井上藤二郎堂本店に立ち寄った。美沙のバイト先だ。

まだ一度も行った事がなかった僕のリクエストをご機嫌に叶えてくれた形である。

暖簾のれんをくぐり敷地内に一歩足を踏み入れると、店の入り口まで雰囲気を作る石畳がのびる。その左右には和をかもす前庭が広がっていた。


(こりゃ相当本格的な店だな。観光客も多いわけだ...)



「あら美沙ちゃん、今日はオフなのに珍しいな」



店に入るなり、一人の男性の声が耳に届く。

暫く続く美沙と彼とのやり取りをかたわらで聞くに、この方が店長の井上さんだとわかった。物腰が柔らかく、誰にでも好かれそうな優しそうな方である。

そして、いつものように美沙に紹介された後、僕たちは前庭がよく見える窓際の二人席についた。閉店間際なためか、客の入りはかなり落ち着いてる様子だ。僕はブレンドと美沙用の抹茶ミルクを注文した後、窓からの景色を眺めながら美沙に言葉を向けた。



「なぁ美沙、さっき母さんに渡したってどんなものだったの?」


「ん?あー、あの紙袋ね。あれは今朝いっくんに飲んで貰った新作にちょっとだけ秘密のスパイスを加えたものよ」


「秘密のスパイス?」


「うん。だから、いっくんには教えないけどねー」と、無邪気に微笑む。



なんだかスッキリしない顔をしていたのだろうか。それでも美沙は少しだけヒントをくれた。今日は頗るご機嫌のようだ。



「まぁ言うなれば、チー姉ちゃんの幸せを願うってとこかな」



美沙はもしかするとすごい能力の持ち主なのかもしれない。飲む人それぞれの心をちゃんと感じて、その人に合わせたものを作る。人が品を選ぶ世の中に飼いならされた僕の思考は、逆をいくその考え方がとても新鮮に映った。



(いわゆるオーダーメイドの喫茶美沙...... メイド喫茶美沙...... おー、繋がった! やっぱり美沙が、例の喫茶店の発祥の人、だったんだ!!)


などと、どうでも良いこと思い出して遊んでいた僕の耳に、美沙の柔らかい声が届く。



「いっくん」


「ん?」


「―― 今、幸せ?」



6年ぶりに生きた母と過ごした時間や、先程の美沙の二度目の温もりも相まって、僕は「はい、とっても幸せな気分です!」と素直な笑顔を贈った。



(あ、今朝のパルプンテ効果、派手さはなかったけど、いつの間にか発動済みじゃね?もしかして)



そんな何気ない会話を繰り広げている僕たちに、注文の品を運んできた井上さんから、更にいい知らせが届く。



「おめでとう!今度のスイーツコンテストの一次審査、君たち合格だよ。美沙ちゃんに今度伝えようと思ったんだけど、せっかくだからね。本番、頑張ってな」



(やっぱり美沙の珈琲って、すごいや!)



「でしょー!」と美沙の嬉しそうな声。


僕たちは笑顔で見合った。

もう言葉を必要としない二人の心疏通。

僕はブレンドをすすりながら、暫くその特別感に浸っていた。



※※※※※※※※



手を繋いで歩く帰り道。

夕刻ではあったが、まだまだ明るい空が僕たちの未来を明るく出迎えてくれている気がする。夕飯は今日のお礼にと、僕が作ることになっていた。



「今日は何を作ってあげようかなー?」という僕の独り言に、「オムライスがいい!」と美沙の笑顔。


「ん?オムライスは水曜日のお楽しみだろ?」


「いーの!食べたいの。いっくんオムライス!ふわっふわタイム!」


「今日は、いっぱいのありがとうを込めて、もっと特別なものを作ってあげようと――」


「いっくんオムライスが食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたい食べたいー!」



こうなった美沙は、もう止めようがない。

それでも、いつものわがまま無双とは一味違う美沙の無双に、今の僕の心は、ふわっふわっと軽く弾んでいた。



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