第20話 「キミ」の名は。

「おーい賢太朗、これ店に持ってってー!」


「あ、はーい」



僕は叔父おじさんに言われたまま出来上がった商品を店の方に持っていく。お盆期間の休日ということもあり店内は賑わっていた。観光客に加えて近所の見知った人たちの顔も見える。おそらくおそなえ用の和菓子を求めての来店であろう。


叔父さんと言っても僕の3つ上の21歳である。つまりは母の弟さんだ。ここは、僕が知った人たちは一律に26歳若い世界なのだ。

東京の大学に進学するも早々に中退して店を継ぐために2年前に帰ってきていた。本人曰く、今はまだまだ修行の身、だそうだ。僕と年齢も近いこともあり、弟分として日頃から可愛がってくれていた。


そんな僕といえば。

今日は朝からずっとソワソワしていた。

夕方頃に母が福岡から帰ってくる事実を祖母から今朝聞かされていたのだった。

明日のバーベーキューで対面する心算こころづもりであったのだけれど。1日早く訪れる歴史的瞬間への心の準備が、全くもって追いついていない。


そんな中でのこの忙しさ。

今の僕にはとてもありがたいものだった。この気持ちを多いに紛らわせてくれる。

今から4日前の美沙と花火を観ながらの決心。けっして揺らいでいるわけではないが、もうすぐそのことが訪れると思うと、やはり複雑な子供心が暴れ出した。



(これで今日何回目だろう。こうやって店に商品を並べにくるのは。今日はやけにお客さんが多いな)



そんなことを思いながら表参道に面する陳列棚の上に出来立ての商品を並べている僕に、突然女性の声が飛んでくる。



「あのー、ここのお店のお勧めって何ですかー?」



意識はさておいて、目線を商品に向けていた僕でもその声がこちらに向けれたものであるとわかった。

僕は視線をあげならがも「そうですね――、」とあらかじめ準備済みのそれなりの答えを返す途中で、思わず思考が停止し声が途切れてしまう。



母の姿だった。



髪型も髪色もかなり若い雰囲気ではあるが、僕にはすぐにわかった。写真の中に閉じ込められていた母がそのまま動いている感覚。


母は店内をキョロキョロと見回す。

まるで始めてここを訪れたような仕草である。

次の言葉が出ない僕に向けて、再び声が飛んでくる。



「ん?どうしたの――

お兄さんのお勧めでもいいのよ!」

という母の微笑みに、


「この新作、食べて欲しいです......」

と、ようやく絞り出した一言を返し、新作の抹茶羊羹を指差す。

せっかく賢太朗がスイーツコンテスト用に作ったものだから、試食付きで試しに販売してみようという祖父の鶴の一声で、昨日から販売し始めていた。

僕の自慢の処女作である。



「試食、されますか......」という僕に、

「うん!食べたい!」と笑顔を向けて反応してくれた。



(母さんだ... 本当に元気に生きてる......

動いてる...... 笑ってる...... 喋ってる......

目の前にいる......)



6年ぶりの再会。

もちろんこの事実は僕だけのものだ。

目の前の母でさえ、わかるはずもない僕の感情。


既に一口サイズにカットされた試食用のそれに爪楊枝つまようじを刺して母に渡す。渡すときにわずかに触れた母の指。実感があった。生きている母に触れた実感が。



「ん――!!なにこのとろける感じ!既に羊羹超えてるわ。すっごく美味しいじゃん!」と周りのお客たちにわざと聞こえるような声をあげる。



「これ、キミが作ったの?」


(キミ......)



母から向けられた言葉。

しょうがないのはわかってる。頭では理解できる。今の僕は店員としての『キミ』であり、あなたの愛する息子ではないことを。

それでも、僕に刷り込まれた記憶がそれを拒絶した。



「キミ......ではありません。賢太朗です。

城之内...... 賢太朗です――」


「あ、ごめんごめん!」と苦笑い。



僕にはそれが精一杯の主張だった。



(僕は、伊藤賢太朗。あなたの息子です)



その気持ちをいっぱい込めた一言だった。

その時、店に帰ってきた祖母の優しい声が耳に届く。



「あら、千恵子。思ったより早かったのね」



母は僕をみて少女のような屈託のない笑みを向ける。



「ごめん、驚いたー?実は私、ここの元看板娘なの!試してごめんねー」と小声で耳打つ。



(知ってるよ。言われなくても......)



「そうだったんですね」



たぶん、今の僕はとても不自然な笑顔だろう。

今にも泣いてしまいそうだ。サヨナラを告げることもできなかった母に会えた嬉しさが、母とわかった時からずっと込み上げているのだから。



「この子が賢太朗君ね」



祖母はそんな僕の心を置き去りにしたまま、母に僕を紹介する。そして僕は母に改めて会釈した。


なんとも余所余所よそよそしい儀式。

でもかえってこの儀式が僕の心を不思議と落ち着かせてくれた。僕と母がである事実を、ふわつく僕の心に明確に示してくれた気がした。



「それよりもね、彼――」



母が話題を変えて表参道に視線を移す。

そこには人の流れに紛れ込んで目立たなかった一人の若い男性。こちらの方に姿勢正しい一礼を向けてきた。



それは、紛れもなく父だった。



祖母はこのことを既に知っていたかのように母と話を続けている。



「あのかたが例の?」


「うん。伊藤さん」

という母の小声と、彼に向けられた祖母の微笑み。


「お父さんにちゃんと伝えてる?」と母。


「うん...... まぁ、その話は後で後で」

と祖母の返し。



ほんの少しだけ引いていたお客の流れが再び活性化してきた店内に気づき、祖母の意識は仕事に戻っていく。母は一人待たせている父に笑顔で駆け寄り、人の流れの中に飲まれていく。


(父さんとばあちゃんが初めて会った瞬間......か......)


母と父が並んで歩いていく後ろ姿を横目で見ながら、僕も再び店の奥の現場に戻った。



※※※※※※※※



「賢太朗君、明日はお店閉めてるから11時に家の方に来てね」という祖母に軽く挨拶を返して、今日の仕事が終わる。



現在17時を過ぎたあたりだ。

季節柄まだまだ日も高い位置にあり、辺りが夕暮れをかもすまでにはもう少し時間がある。

僕は店を出た後、なんとなく宇治川の方に足を向けた。先程の母との再会で、いまだバタつく頭の中を整理したかった。美沙と顔を合わす前に。


平等院表参道を奥に抜けて宇治川に出たところに静かに横たわるベンチ。

2015年くらいだっただろうか。

宇治を舞台にした吹奏楽アニメで主人公が座ったことで有名になったナントカベンチ。

一人そこに座り、陽の光を浴びながらも平然とした顔で流れ続ける川を眺めながら、今日の出来事と明日のことを考えていた。



(父さんでよかった...かな......)



ふとぎる僕の正直な気持ち。

もし見知らぬ男性を連れていたら。そう思うとホッとしている自分に気がつく。


不意に訪れた再会。

もし宣言されていたものであれば、きっともっと動揺していたか、もしかしたら自分自身の鼓動に耐えきれずに逃げ出していたかもしれない。

僕は、この結果的なをありがたく受け入れる。



このままいけばあと20年で亡くなる母。

以前、どうやっても運命は収束していくということを本で読んだことがある。もしその説が正しくて母の死が免れない運命であるとしたならば。僕がその事実を伝えること自体が母の心のかせとなり続けてしまうのではないだろうか。

今日の僕のように、その瞬間が不意に訪れる方がいいのではないだろうか。



(イカンイカン!どうもこのナントカベンチに座ると、気持ちが後ろ向きになる......)



僕はおもむろに顔を上げ、よどんでしまった思考を振い落とすように、帰り際に祖母からもらった試食サイズの抹茶羊羹を一つ手掴てづかみで口に入れる。



(美沙の珈琲にこの羊羹。こりゃ最優秀賞も夢じゃないな!僕たち最強!)



気持ちだけでも前を向こう。

僕はそう強がって家路に着いた。


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