第17話 ナントカ喫茶。

カランコロン――


とおるさん、こんにちは!」

「おー、美沙ちゃん待ってたよ。いっくんも」



僕は「お久しぶりです」と会釈しながら久しぶりに喫茶北野の扉を叩いた。

以前、話の成り行きで美沙の独創的な珈琲作りを目にして以来、つまりは、美沙がこの店にスカウトされて以来の訪問である。



今日は8月10日の水曜日。

例のスイーツコンテストの書類審査の締切日にあたる。提出書類はスイーツと飲み物のレシピとその完成品写真の2つ。通常なら大会本部へ郵送するところなのだろうが、祖父の強烈なこだわりによって羊羹の開発が押してしまったため、仕方なくこうやって主催者の一人でもあるマスターに直接お届けにあがったというわけだ。いわば裏口提出といったところだ。

それであるならば、家からより近い井上藤二郎堂本店でもいいのではないかと思いはしたが、これとは別にここに来る理由があったのだ。もっと具体的に言うと「今日ここに提出したい」という美沙の希望を叶えるためだった。


挨拶も早々に、僕はカウンターの席に着く。

当然その横に美沙が座る―― と思いきや、彼女は勝手知ったるナンタラを武器に、掛けてあった自分専用のエプロン片手にカウンターの中に向かった。



「ねえ、いっくんってまだ私の珈琲、未経験だよね?」



そう言えばそうだった。

前回は全て北野さんに飲み干されてしまい、そこで頂いたのは、何ともノスタルジック?な髭を蓄えた濃いニヤケヅラだけであったことを思い出す。


僕は「うん」と軽くうなずいてアシストすると、美沙はコンテスト用の珈琲を飲んで欲しいと満面の笑みを浮かべた。



(――僕は絶対に、あのマヌケヅラにはならない!髭も生えて無いし!)

(でも楽しみだ!――)

(――でもならない!)



一人どうでもよい葛藤と戦いながら、バリスタとしての美沙をじっと眺めた。やはり以前とは違い風格が漂う。悪意ある表現をすればこなれてきた感とも言えるが、それでも、その真剣で力強い眼差しを見ると、彼女の作品が待ち遠しくなる。


コンテスト用の珈琲は、美沙のアイデアで急須で淹れることになっていた。ただし、最後の抽出工程のみであるが。簡単に見えて案外難しいのがこの抽出だと以前に何かで読んだ記憶がある。

お湯の温度やドリップ時間、もっと細かく言えば蒸らし工程など、急須でいれるとコントロールしやすくなるのかもと勝手に想像する。

あとマニアックすぎて理屈があまりわからなかったのだが、急須の陶磁器で水のが取れてまろやかになるとか。



段取りは順調に進み、あとはカップにそそぐだけとなったところで、突然美沙が言葉をかける。僕にではなく、マスターにでもなく、その急須に。



美味おいしくなーれ!!」



指でハートの形を作り、まるで魔法でも掛けているかのような仕草だ。ボサノヴァのBGMが静かに流れる店内に、呪文を唱えるヘンテコな作法。



(お、そうか!もしかして今この瞬間が、電気店街にあるナントカ喫茶の始まりなのか――!?)



ちょっと興奮した。

美沙が着用するエプロンのヒラヒラもあいまって。

まだ行ったことなかったけど。ナントカ喫茶に。

まだチェリーボーイだけど。僕は。

でもチューはしたけど。



「召し上がんなさいませ、ご主人さま――」



(やっぱ、この瞬間だ!テレビで見たやつだ!)



一人で勝手にワッチャワチャしていた僕の思考に、いつの間にか現実に戻っていた彼女の声が響く。



「早く飲んでよ。じゃないと冷める!美味しくなくなるぅ――」



そう美沙にうながされ、それでも冷静にそれっぽく一旦香りを楽しんだあと、無言で一口 すする。



「......」


さらにもう一口。


「............」



僕の反応をじっと待ち続けている美沙を横目に、このとき僕は激しく翻弄ほんろうされていた。

どこかで味わったことがある懐かしい味に。



(このほのかな甘い香りの奥に潜む、深い味わいと微かな苦味......。どこかで味わったような......)



そうだ。きっとあの『旅』という看板の喫茶店の味にとても近い気がする。あの時は余りにも急な出来事で味すら意識していなかった。

でもこの味は、きっとその味に似てる。


そう脳裏をよぎった瞬間。

とても不思議な体感がふいに襲ってくる――


一瞬フワッと体が宙に浮くような感覚。

そして気がつくと真下には自分と美沙とマスターの3人の姿。黙り込んでいた僕に必死に何か語りかけている美沙。それでも反応を返さない僕。

そして、マスターの笑い顔――



(なんだ?こりゃまるでドローンからの映像のようじゃないか......。これってもしかして、意識だけが体から飛び出しているのか?――)



まるで無声映画のような風景。

このまま何処かにまた飛ばされてしまうのでは?という不安が脳裏をかすめたその時。



「―――― 帰ってきてよ!」



という美沙の叫びで映像が変わる。

目の前には、僕の肩に両手をかけて、必死に揺らし続けている彼女が現れた。



「―――― 飛ん...でた......?自分が... いや、意識が?」



僕のその呟きに、美沙が即座にかぶせる。



「大丈夫?いっくん。顔、ニヤケて変だよ......」

「いっくん?戻ってきた......の?」



僕はハッと我に帰った。

元いた世界でハマってたRPGゲームのセリフであればおそらく【なんとケンタロウは生き返った!】という文字が画面下部ボックスに表示されているところだろう。教会の中で。



なんとも不思議な体験だった。

しかし気分がすこぶる良い。

未経験なので想像の域を出ないことが悔しいが、きっと美味い酒を飲んだ後のほろ酔い気分に近いのかもしれない。


「どうだった?美味しい?」との美沙の問いに、「うん、気持ちよかった!」と、とても素直に答えてしまう。


僕のこの評価に、同じ経験をしたマスターも納得な様子であるのがわかった。

あとでこっそりマスターに尋ねたところ、『ここまでぶっ飛んだ人は今までにいなかった』ということだったが、それでも最終的な評価は、気持ちよかったとか、幸せな気分になったとか、もっとお代わりしたいなどの前向きなものに集約されるらしい。


この麻薬性をはらんだ美沙の作品に僕は恐れを抱きつつ、(結局、不覚にもニヤケヅラをかもしてしまった......)と、一人反省にも後悔にも似た苦笑いを浮かべていた時だった。


カランコロン――と扉が開く。


続いて、「遅くなっちゃってゴメンナサイ!」

という女性の声。


僕はその声に視線を向けると、一人の見知らぬ女性の姿がそこにあった――


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