間章 それでも忘れられぬものは

 しんにとって、原体験と呼べる記憶。

 それは泣いて自分に詫びる母親と、悲しげな表情で自分を見つめる父親の姿だった。

 静には、何故母が泣いているのか理解出来なかった。


「ごめんね、静……。お母さんが弱いばっかりに……ごめんね」

「お前のせいじゃない。誰のせいでもない、運命だったんだ」


 ただ謝り続ける母と、それを宥める父。

 その光景は、静の心に名称不明のしこりを生んだ。

 後になって理解したそれは、罪悪感という名の感情。

 だが知った所でどうしようもなく、静にこの世界の理不尽を刻みつけただけであった。


 静は一般的な目線で語れば、とても幸福な身であった。

 裕福な家庭、何不自由ない暮らし、優しい両親。

 生まれつきの環境はこの上ないほどに恵まれていた、と静自身も自覚していた。

 だがそれら全ての意味が成さなくなったのは、希と望が生まれてから。

 ある時、父が静に打ち明けた。


「本当に申し訳ないのだが、静、お前に陰陽師を継がせることは出来ない」

「え……」

「お前には、魔導を扱うことは出来ない。魔導を扱えない者は陰陽師になることは出来ないんだ」


 目の前が真っ暗になった。

 本当に申し訳ない、と何度も頭を下げる父の姿など、静の視界に入っていなかった。

 いつも、狩衣かりぎぬを着て出ていく父の背中を見送っていた。

 それを見る度に、自分もいつかああなるのだ、と心の中で遠い未来の姿に想いをせていた。

 けれどそれは叶わないと、憧れていた父の口から告げられた。

 幼子の身にとって、それはどれほどのショックだったのだろうか。

 その場で倒れた静は、知恵熱で三日三晩うなされた。


 静ならば、割り切ってくれるだろうと両親は思っていた。

 それだけの賢さは持っているはずだ、と。

 その考えは半分正しく、もう半分は間違っていた。

 静は賢すぎた上に、幼すぎたのだ。

 神童と褒めそやされるほどに優秀だった静は挫折をした事など無く、周囲に言われるがまま、努力すれば何でも叶うと信じていた。


“君なら何だって出来る”


“天才だよ”


“静くんは中御門なかみかど家の誇りだね”


 何も知らない、上辺だけの無責任な大人の発言を、『そういうもの』と踏まえて捉えられるほどの人生経験も無く、静は叶わぬ努力を続けた。


 だから妹たちの才能が、静にとって初めての挫折だった。

 自分がどう頑張っても扱えぬ物を、妹たちは誰に教えて貰うまでもなく行使していた。

 希と望が互いを浮かせて遊ぶ光景を見た時、その異様と共に生じた絶望を静は忘れることが出来ない。

 劣っていると、はっきり自覚した。

 劣等感に苛まれ、何もかもから逃げ出したくなった。

 だが、既に築き上げられた神童としての対外的な印象を静は崩すことが出来なかった。

 自分を認めてくれるのは何も知らない人間だけ。

 やり場のない怒りや鬱憤うっぷんおりのように積み重なっていく。

 いっその事、妹たちが自分を見下してくれればまだ良かったのかもしれない。

 はっきり自分は下なんだ、と認識して陰陽師のことを諦めることが出来たかもしれない。


 だが、そうはならなかった。

 希と望は事あるごとに静を頼ってきた。

 そして、尊敬の眼差しで見つめてくるのだ。

 僕をそんな目で見るな、と何度も叫びたくなった。

 二人にその頭脳が羨ましいと言われた時、臓腑ぞうふが煮えくり返る思いがした。

 母が「少しは静兄さんを見習いなさい」と二人を注意するのが皮肉にしか思えなかった。

 自分の夢が叶うことはないと、そう思い始めていた時だった。

 それは夏休みに開かれた、著名な武道家を招いて行われた合同稽古だった。

 静はその出会いをよく覚えていない。

 貴己たかみとは、いつの間にか友達になっていた。

 恐らく、果琳かりんを見た時のインパクトが大きかったせいだろうと思っている。

 貴己に興味を持ったのも、何故あんな女の子と知り合いなんだろうか、と果琳絡みであった。


 何を考えているのか分からない。


 それが、数日間貴己と触れ合った静の印象だった。

 天然や不思議系とも違う。

 静は貴己を形容する術を持っていなかった。

 本人を形容するべき色が無く、透明であるがゆえに読むことが出来ないような、静にとって貴己はそんな透明感を持った謎多き存在であった。

 事実、静は貴己と話したことの多くを覚えていない。

 大半は他愛のない事柄の話で、調子を合わせていたからというのもあるだろう。

 それでも静は、薄闇に包まれた道場で結んだあの約束を−−−−

 七年経った今でも、確かに覚えている。

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