第五章 激突


 それは人も妖怪も、あまねく全てが叫ぶ阿鼻叫喚の地獄絵図。


 生者亡者が入り乱れ、修羅場の様相を呈するそれは、されど命を選別する無情の煉獄れんごく


 そして、その燎原りょうげんの只中、泥犂ないりの街を疾く駆ける者一人。


 蛙鳴蝉噪あめいせんそうを蹴散らして、百鬼夜行を掻い潜り。


 それら有象無象を捨て置いた、彼が目指すは首魁しゅかい坐する万魔殿。


 それは地獄を革命せんとする、うら若き閻魔えんまのようでいて。


 されど蜘蛛の糸を掴まんとする、救いを求める咎人とがびとの様でもある。


 ただ一つ、今この局面で確かな事は−−−−


 京都の命運は、形無あらなし貴己たかみに懸かっていた。

 



 疾駆する勢いそのままに、貴己は蒼龍殿へ文字通り転がり込む。

 即座に体勢を立て直して前を見すえると、貴己は蒼龍殿の全貌を目にした。

 広い板張りの空間は武道場を彷彿ほうふつとさせる、質素かつ厳かな造り。

 そして正面奥、『心道』と書かれた掛け軸の下に、たたずむ人影が一つ。


「やぁ、案外早かったね。もう少しくらいはかかると思っていたんだけれど」

「おんぶに抱っこしてもらって、挙げ句の果てに辿り着けませんでしたじゃ済まされないですよ」

「確かに。それもそうだ」


 その人影は朱色の鞘に収まった刀をたずさえたまま、心底愉快そうにくつくつとわらった。

 油断ならない銀縁眼鏡の奥にある瞳は、既に人ならざるモノの光が宿っている。

 貴己は遂に、しんと対峙した。


「それにしても、果琳かりんちゃんには驚かされたよ。僕の見通しは随分と甘かったんだね」

「鬼門の鬼なんざ寄越しといてよく言う」

「本当に殺すつもりだったんだ。そういえば、のぞみのぞむの姿も見えないけれど、もしかして門の前で立ち往生しているのかい?」


 静の問いに貴己はゆっくりと頷き、口を開いた。


「百鬼夜行を今すぐ止める気はないのか」

「無いね。というより、いつかは勝手に止まるよ」

「……?」


 いぶかしむ貴己に、静はたのしげに話し出す。


「百鬼夜行の終焉には、最強の妖怪が現れる。名を空亡そらなきという。聞いたことは無いかい? “黒き円”とか“終焉ノ光”だとか呼ばれているものだよ」

「……」

「無いのか、まぁいい。その空亡は『百鬼夜行を終わらせるもの』と言われていてね。正しくは『百鬼夜行の終焉に空亡が現れるのではなく、空亡が百鬼夜行を終わらせる存在』なんだ。僕はそいつを以ってこの世界を変える。変えるんだ」

「…………は?」


 あまりに突拍子もない発言に、貴己は困惑する。


「僕を認めてくれないこんな世界、間違ってる。だから僕はこの世界を変える。そして貴己くん、君を殺して僕自身も生まれ変わるんだよ」

「……自分が何を言ってるか、わかってるのか?」

「もちろんだよ。僕は陰陽師を継ぐために今まで全部やってきたんだ。百鬼夜行や、京都も、僕にとって前座に過ぎない。世界を変えれば、父さんたちもきっと僕を認めてくれるだろう?」

「……」


 くらく嗤う静の瞳はうつろで、けれど炯々けいけいと“底知れないモノ”が宿っている。


「一応言っておくぞ、静さん。あんたの言ってることと、やってることは滅茶苦茶だ。矛盾しまくってる」

「ああ、わかってるよ。だから、僕は世界を変えるんだ」

「……話にならねぇな」


 支離滅裂。

 静は完全に遊戯童子の傀儡かいらいにされてしまっていると、貴己は確信した。

 だから貴己はもう一度、今度はに声をかける。


「静さんから出ていけ」


 それは静の中にいる“底知れないモノ”、遊戯童子あそびどうじに対しての呼びかけ。

 本当に答えるかどうか貴己には分からなかったが、たった一言、


『嫌だね』


 一層の邪悪さを増した声は、疑うべくもない遊戯童子のものだ。

 遊戯童子は嗤ってこそいるが、拒否など微塵も考えさせない、有無を言わさぬ口調で貴己に語りかける。


『こんなにぎょやすく楽しい憑代よりしろは他にいない。こんな規模の遊びは本当に久々なんだ。最後まで付き合ってくれよ?』


 深淵そのものと形容するほどに黒く、穴の空いた瞳が見つめてくる。

 人ではないモノとの対峙に、貴己は思わず臆してしまいそうになる。


 ……怖いのは今更なんだから、やる事は決まっている。


 それでもグッと堪え、一歩踏み出す。


「だったら、俺はあんたをとめる。俺は殺されてなんかやらないし、世界を変えるなんて戯言ざれごと抜かすのもやめさせてやる」

『−−−−君に出来るのかなぁ?』


 対峙していたはずの静の姿が消えた次の瞬間、その声が右の耳元で聞こえた。

 身の毛もよだつような、耳にまとわりつく声。

 不可思議な瞬間移動で、いつの間にか背後に回られている。

 だが、貴己はそれを予期していた。

 ほとんど反射に近い反応速度で振り返りつつ、刀を鞘ごと振るう。


「読めてんだよッ!」


 貴己が二度見ただけで導きだした瞬間移動の着地点、それは“その場にける静から最も遠い人間の背後”。

 切っ掛けは果琳の二度目の攻撃を放った際、静が瞬間移動を使わずに避けた事だった。

 一度目は瞬間移動を使って従業員の背後に立ったが、果琳が二度目の攻撃をした際、静は瞬間移動を使わず回避に徹していた。

 そうして次に静が瞬間移動をした時、今度は貴己の背後に現れた。

 あの瞬間はあまりに突然のことで思考が停止したが、その分貴己が受けた衝撃と恐怖は並のものではなく“あの瞬間移動を見破らなければ絶対に静を倒すことは出来ない”という強迫観念を貴己に刻みつけた。

 その強迫観念により貴己はここに到るまでに、たった十数秒の攻防を見ただけのみで瞬間移動の仕組みを看破していた。


 ……当たる!


 一撃を確信した貴己だったが、刀は虚しく空を切った。


「へぇ……。すごいね」


 瞬間、声が聞こえた。


「−−−−っ!?」


 貴己は咄嗟とっさに右へ飛びのき距離を取る。


「なっ、なんでだ!?」


 思わず零れ出た貴己の驚愕の声に、静が真剣な面持ちで問うた。


「まさかとは思うけど “僕から最も遠い人の背後”に飛ぶんじゃないか、なんてつまらないこと考えたりしてないよね?」

「……な」


 図星を突かれて絶句した貴己を見た静は一転して嗜虐しぎゃく的な笑みを浮かべる。

 同時に、腕を高らかに掲げ、指を鳴らす。

 その瞬間、貴己の前方で光が生まれた。

 それは泡沫うたかたのように淡く、紫に明滅する玉響たまゆら

 人の頭ほどもあるそれは空間の至る所から生まれ、その数を幾何級数きかきゅうすう的に増やしていく。

 気づけば、玉響は蒼龍殿の中を無数に飛び交っていた。


「“外”では確かにそうだ。でも、流石にこれで分かっただろう?」


 そして不意に玉響の一つが弾けたと思えば、そこには静がいた。


「−−−−っ」


 魔導を使えぬ貴己でも、ここまでくれば嫌でも理解できる。

 あの玉響は、その一つ一つが純然たる魔力の塊。

 それはつまり、静は玉響が無くならない限り、無制限に瞬間移動を行えるということ。


「君は既に、土蜘蛛の巣に絡めとられているのさ」


 底冷えするような声が貴己の魂を揺さぶってくる。

 目の前で腕を広げて笑うそれは、もはや静の皮を被った別物だ。


『精々楽しませてくれよ……。!』


 土蜘蛛最後の残党、遊戯童子あそびどうじが遂にその本性を表した。


「−−−−っが!?」


 再び玉響が弾け、遊戯童子の姿が消えたと認識した貴己が身構える間も無く、鈍い衝撃がその背中に走る。


「がっ! はっ……!」


 貴己は打撃で吹き飛ばされながら、それでも受け身を取って立ち上がるが、既に目の前には酷笑をたたえた遊戯童子がいて、その笑みを絶やさず抜き身の刀を振るってくる。


「ぐっ!?」


 対して貴己は刀を抜く暇など無く、鞘ごとで受けるしかない。

 だが、鞘に入った刀といった取り回しが良くない物を用いた防御はどうしても動きに精彩を欠く。

 それゆえに、変幻し死角から迫り来る遊戯童子の乱打に貴己は対応できない。


『ほら、さっさと本気を出せ。打ち所が悪ければ死んでしまうぞ?』

「がっ、ごほっ、ぼっ!?」


 一打、また一打と攻撃を重ねられていく。

 致命傷は決して与えられず、なぶり殺しのサンドバック状態になっていた。


「はぁっ、げほっ……ぐ……」


 どれほど経ったであろうか。

 無限の責め苦に感じられたそれは数十分、あるいは数分だったかも知れない。

 だがそんな事を思う余裕など貴己には無く、せめて意識を手放さないよう耐えるのがやっとだった。


『あぁ、なんて事だ。我を終わらせるに足る存在だと静が言っていたから楽しみにしていたというのに、全くもって期待外れではないか』


 遊戯童子は大げさに肩をすくめた。

 対する貴己は、満身創痍で息も絶え絶えに片膝をついている。


『これならまだ希と望の方がマシだったろうに。両儀の彼女たちならば、一縷いちるの勝ち筋は見出せただろう』


 お前では役不足、場違いだ、と遊戯童子は吐き捨てた。

 だが、静は貴己を一瞥する。


「でも、君はまだ諦めてないんだろう? 勝てないと分かり切っているのに」

「……ああ」


 勝てない。

 それはどうしようも無い事実だということを、貴己は認めていた。


『愚かだな。殺す前に遊んでやろうと思ったが、暇つぶしにすらならないとは』


 飛び交う玉響の波間で、遊戯童子は刀を持ち直す。

 今度こそ自分を殺すつもりであろうと、考えるまでもなく分かる。


 ……たとえ、力を使ったとしても、自分に勝ち目は存在しない。


 ……それでも、だからこそ、やることは一つだ。だから、


『死ねよ』


 一刀、貴己のくびに目掛け振り下ろされた瞬間、


「断る」


 刀を鞘ごと振るい、貴己は遊戯童子の一太刀を迎撃する。

 鈍い音が蒼龍殿内に響く。

 そのまま刀の柄を体の正面で持ち、鞘から一気に引き抜いた。

 真打、抜刀。


「−−−−、−−−−」


 空気が震えた。

 冴え冴えとした刀身は、ただただ鋭くかそけき氷のように照明を照り返す。

 心なしか、玉響の挙動も活発になった様に感じられた。


『……へぇ』


 遊戯童子の悦びが、静の顔で残酷な笑みとなって模られた。


『ようやく本気を出す気になったのか。いいぞ、いいぞ。我を止めてみろ。殺してみろ。然もなくばお前が死ぬぞ。ああ、我を愉しませてくれ』


 恍惚こうこつとしながらも未だかつてない殺意を迸らせて刀を構えた遊戯童子に、貴己は平然と笑いかえす。


「お望み通り、遊んでやるよ」


 次の瞬間、二人が消えた。

 取り残された刀の鞘が意外なほど空虚な音を立て、地面に落ちたのと同時。

 刀と刀が激突し、パッと火花が散る。

 それは涅槃寂静ねはんじゃくじょうの戦い、その火蓋が切って落とされた瞬間だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る