第四章 知り得た自分


「…………」


 皆、言葉を発する事が出来なかった。

 それにより静寂しじまが訪れるということも無く、緊張により遠ざかっていた騒ぎの音が思い出したように戻ってくるだけ。


「……そんな」


 のぞみがポツリと漏らした。


「どうして、兄さんが」


 涙を浮かべることも出来ず、失意に満ちたその表情は絶望に支配されてしまっている。


美季みきさん!」


 思い出したように、果琳かりんが叫びながら女将おかみの元へ駆け寄る。

 美季、というのが女将の名前なのだろう。

 のぞみのぞむ、亭主も遅れて続く。

 女将が倒れた状態のまま、果琳は息と傷を確認する。


「血はほとんど止まってます。ただ出血量が多いからすぐに運ばないと」

「救急車を呼びましょう。希、フロントに」

「う、うん!」


 言いつけられ、希は跳ねるようにして中へ入っていった。

 そんなやりとりが交わされた後、望が亭主の方へ向いてたずねる。


「父さん。父さんに封印されたと言っていた遊戯童子あそびどうじって一体何なんですか。教えてください」


 父さんに封印されたという発言から察するに、夕鳴ゆうめい、というのが亭主の名前らしい。

 亭主は話すべきか迷いかねているようだったが、望にもう一度呼ばれると目をつむり、苦々しい表情と共に喋り出す。


「あれを封印したのは、もう二十年以上前の事だ。土蜘蛛つちぐもの残党、その最後の生き残りだった。力もほとんど残っておらず、直接的な害は無かったが、真名まながわからずはらう事が出来なかった」

「力が殆ど無かったのなら、封印せずとも詠唱で祓えなかったのですか?」


 望の問いにも、表情を変えぬまま亭主は首を振る。


勿論もちろん、最初はそうしようとした。だが、あれが恐ろしいのは一瞬で人に乗り移れることだ。それも意識はそのまま。ただの鬼化とは訳が違う」

「では、兄さんも−−−−」

「いや、乗っ取られてはいないだろう。それでも傀儡かいらいになっているという意味では変わりない」

「っ……」


 告げられた重い事実に望は黙り込んでしまう。

 先ほどからサイレンの音に加え、悲鳴や怒号がひっきりなしに響《ひ

び》き渡っていた。

 それはまるで、絶望賛歌。

 京都が、音を立てて崩れていく。

黒き暗雲の如き絶望が、皆の心を覆い尽くしていく。

 けれど、それでも諦めない奴はいる。


「私、行きます」


 果琳かりんが立ち上がりながら、りんと言い放った。


しんさんを止めないと。このままじゃ被害が拡大するだけです」

「で、でもどこにいるか分からないんですよ?」


 望が弱々しくそう口にするが、果琳は首を振り、決然と意思を示す。


蒼龍殿そうりゅうでんにいる。前に蒼龍殿で出くわした時、あそこは霊脈が特に強い場所だって言ってた。東山の方向に幻想種の反応があることからも、可能性が高いと思う」


 言って、果琳が俺を見た。


貴己たかみ。貴己が行かないなら、私は一人でも行くよ」


 薄闇の中で果琳の瞳は既に、赤と緑に光っていた。

 果琳は行くと言ったら本当に行く。

 そんなことは、俺が一番わかっているはずだ。


「貴己さん……」


 望が瞳を揺らして、心配そうに俺を見つめてくる。

 迷っている、ように見えるのだろう。

 あるいは、失意のどん底に突き落とされたように。

 確かにそんな風に見えるような、泣きそうな顔をしているかも知れないが、違う。


「……俺さ、さっきまで、女将さん達の名前知らなかったんだよ」

「……?」


 望が首をかしげるが、構わず続ける。


「果琳が女将の名前を呼んだのと、望が、父さんに封印された鬼って言ったのを聞いて、たった今知ったんだ。それで気づいた」


 大きく息を吸い込み、荒れる息を無理やりしずめる。


「俺は、何にも知らなかったんだ。ただ少し内状を聞いただけで満足して、自分の頭で考える事をしなかった。しても、遅かった。その結果がこれなんだって、その欠陥が、女将さん達の名前を知らなかったっていう事実で示されてるんだって、気づいた」

「そ、そんなこと−−−−!」


 そんなことない。そう言おうとする望を俺は手で制止する。


「そんなことないってのは分かってるよ。今言ってることは全部、支離滅裂しりめつれつで、滅茶苦茶めちゃくちゃ破綻はたんしてる。被害妄想のたぐいに入るんじゃないかってくらいだ」


 でも、と言って、俺は一度上を見上げる。

 そうしないと涙が出てしまいそうだった。

 天蓋てんがいとなって空を覆う、深い青の闇。

 俺は〈世界〉を見つめたまま、口にする。


「それでも、俺は自分が悔しい。悔しくてたまらない」

「え……?」


 この感情は何もかもが出鱈目でたらめで、徹頭徹尾が頓珍漢とんちんかんだ。

 確かに、理不尽な状況にいきどおっていないのかと聞かれれば全くそんな事はない。

 ふざけんな、と叫んでやりたい。

 だがそれとはまた違う、憤慨ふんがいのようなものが心の奥底から湧いてくるのだ。

 自分でも、なんでこんな気持ちになるのか分からない。

 には、こんな気持ちになる理由が無いはずだ。

 だからこれはきっと、記憶を失くす前の俺のもの。

 約束を果たせなかった自分と、静さんへの怒りと悔恨だ。


「記憶が無いから仕方がない。なんて言い訳は絶対にしない」

「それは、つまりどういう……?」

「どうなんだろうな。自分でもよく分からないんだ」


 もはや自分でも種類のわからない感情が区別も付かないほどごちゃ混ぜになっている。

 言葉で感情を言い表せないことにすら憤っていると、不意に果琳が微笑ほほえんだ。


「貴己はプライドが高いの。気にしないであげて」

「プライドですか……?」


 望はよく分からない、といった様子だが、俺には充分だった。


「プライド、か。ハハ、確かにそうだな」


 今まで胸の内で渦巻いていた感情が、ストンとに落ちた。

 俺はずっと前からプライドが高いのだろう。

 その事実に気づけたことが何故だか嬉しくて、笑ってしまう。


「何のプライドなんですか?」


 望が問うてくるが、そんなものは一つしかない。

 俺は笑って答える。


「受けた依頼は絶対に完遂させること、だ。鬼退治も、百鬼夜行も、望たちのことも、全部な」


 今抱いている悔しさを理由にする必要などない。

 ただ、己を動かす原動力になればいい。

 そうして俺が悔しさをバネにする決意を固めた所で、


「それで、貴己は行くの? 行かないの?」


 果琳が明からさま、挑発するような調子で俺に問いを投げ掛けてくる。


「……」


 大きく息を吸い込み、吐きだす。

 答えは決まっている。


「行くに決まってんだろ」


 果琳の目を見据みすえ、答える。


「そうこなくっちゃ」


 果琳はニッカリと笑う。


「だ、だったらっ! 僕も一緒に行かせてください!」


 望が声を張り上げたのと、希が戻って来たのは全くの同時だった。


「の、望? 一緒に行くって……」


 状況がわからず希は困惑しているが、望が希の元まで行き、両手を掴みながら声をかける。


「希! 僕と一緒に行こう。兄さんを止めるために!」


 今まで、陰陽師としての活動を制限されていた希にとって、それはあまりに急な提案。


「えっ。で、でも父様は……」


 希は思わず、亭主の反応をうかがう。

 問われた亭主は小さく息を吐くと、優しい笑みを浮かべ、言った。


「行ってきなさい。希、望」

「い、いいんです、か?」

「ああ、元より全ては私が不甲斐ふがいないせいでこうなってしまった。もっと、あの子と向きあってやればよかった……。だが、こうして悔いていても仕方がない。だから、お前たちは貴己くん達と共に行きなさい。私は私に出来る事をしよう」


 亭主はそこで一拍置き、つむった目をカッと見開く。

 そして、大気を震わすほどの声で叫んだ。


陰陽連おんみょうれん、全部隊! 十二天将をここに!」


 迫力に圧倒されるのもつか、次の瞬間には何処どこからともなく十二人の人影が、皆一様に顔を伏せて亭主の周囲にかしずいていた。


「久しいな、友ら。普段ならば酒と共に再会の祝辞を上げるところだが、生憎あいにくとこうして話す時間すら惜しい。事態は一刻を争う。皆、やってくれるな」


 無言でうなずき、彼らの一人がおごそかに答える。


「元より我らの命、散らす覚悟は出来ています。全てはこの日の為に」


 その返答に、亭主は鷹揚おうようと頷きながら右腕を掲げた。

 そして、有無を言わさぬ威厳を以って、英傑のかおで語りかける。


「我らが守るべき都に、再び災禍さいかの門が開かれた。敵は百鬼夜行の魑魅魍魎ちみもうりょう。行くも地獄、帰るも地獄。しかし、だからこそ奴らに思い知らせろ。やいばいできたのは奴らだけでは無いということをな。これは、我らの矜持きょうじと誇りをけた、奴らとの全面戦争だ! 行け!」

「はっ!」


 一礼と共に、傅く者らが瞬く間に闇へ溶け込んでいく。

 俺たちは呆気あっけにとられていた。

 普段の職人じみた顔からは想像もつかない、圧倒的迫力。

 真に人の上に立つ者の雰囲気オーラを亭主は纏っていた。


「父さん。今、陰陽連って……」


 呆気にとられながらも、望が何とか口にした言葉、陰陽連。

 陰陽師について何も知らない俺ですらその名前を聞いたことがある、陰陽師をまとめ上げる組織の名称だ。

 それらは全部で十二の部隊に分けられており、それぞれが安倍晴明あべのせいめいの用いた式神の名を取り、その総称を十二天将というらしい。

 無論、トップはいずれも錚々たる面子のはずだ。

 それをたった今、亭主は一つの号令で全てび出した。


「父様、もしかしてうちの家って……」


 希が恐る恐る尋ねると、亭主は少し照れ臭そうに笑った。


「本家である土御門つちみかどが数代前に途絶えてしまってな。柄では無いのだが、今の頭代を任されている。母さんは嫁いできたから違うが、うちの従業員も半分は陰陽師なんだ」

「「し、知らなかった」です……」

「言っていなかったからな」


 そして、今度は寂しげに微笑する。


「陰陽師になるという事は、いつ来るかもわからない京都の危機の為に、一生を捧げる覚悟をするという事だ。だからこそ、お前たちにはごく普通の幸せな人生を歩ませてやりたかった……。二人共、本当にすまない」


 亭主は、自らの娘たちに深々と頭を下げた。


「あ、謝らないでください! 僕はむしろ感謝しています」

「感謝……何故だ?」

「だって今、こうして力になれるんです。そのための力と術を教えて下さって、本当に感謝しています」

「わっ、わたしもです! 母様が女の子だからってわたしがお稽古けいこを習うのを止めようとした時に、父様がいつも説得してくれました!」

「そうか……そうかぁ」


 声を震わせ、亭主は熱くなる目頭を押さえた。

 それは、純然たる感謝の言葉。

 しくも、この窮地きゅうちが家族の垣根を取っ払う契機となったらしい。


「貴己くん、果琳ちゃん」

「は、はいっ」


 唐突に名を呼ばれ、

 俺と果琳は急いで亭主の元へ駆け寄る。


「娘達を……息子を、よろしく頼みます」

「「はい!」」


 亭主は父親の顔で言った後、即座に真剣な表情へと切り替わる。


「貴己くん、渡すものがある。少し待ちなさい」


 すぐにでも出ようと皆が息巻く中、俺は自室にある木刀を取りに行こうとして、再び声をかけられ振り返った。


「渡すものですか?」


 何か戦闘に使えるものでも渡してもらえるのだろうか、と思っていると、亭主が目の前で印を組み始めた。


臨兵りんぴょう闘者とうじゃ皆列かいれつ在前ざいぜんぎょう……解」


 望が唱えた物とはまた違う九字だ。

 それにずっと速い。

 恐らく術の練度による差だとは思うが……などと考えている時、


「−−−−−−−−」


 何処からともなく、刀が現れていた。

 刀が空中から現れた事にも驚いたのだが、それよりも驚愕きょうがくしたのは空気。

 刀が現れた瞬間、空気が張った。

 尋常じんじょうでない雰囲気からわかる、その神秘性。

 明らかに人智を越えているであろうそれは装飾されておらず、たださやに下げ緒がいつけられているのみであるというのに、息をむほど美しかった。

 純粋に美しい、時の傷が刻まれていない朱色の鞘。

 それを目にした俺は、既視感を抱いた。


「これって、静さんが持っていた刀の鞘と同じ……?」

行平ゆきひら作、名を鬼千切おにちぎり。中御門に伝わる家宝の祓魔剣ふつまけんだ。恐らく現存する鬼斬りの中では最古の物だろう」

「何故、同じものが?」

 

 ああ、それはだね、と亭主が丁寧に説明をしてくれる。


「鬼千切は神様に奉納するための刀、いわゆる御神刀というものでね。御神刀は、そのために複数造られた刀の中から最も出来が良いものを奉納するんだ。それを真打と呼ぶ。あの子が持っていったのは倉庫に保管していた、影打と呼ばれる刀だ。恐らく、あの鬼と一緒に倉庫からくすねたのだろう。まじないはかけておいたのだが、よもやあの子に破られようとはね」


 亭主は一息に喋った後、ふっ、と笑みを浮かべ、


「帰ってきたら、褒めてやらないとだ」


 俺に刀を差し出しながらそう言った。

 その笑みは静さんの面影を想起させて、やはり親子なのだな、と胸が締め付けられる。


「必ず、連れ帰ります」


 覚悟を述べ、うやうやしく刀を受け取った俺は、刀の想定外の軽さに目を見張った。

 俺の表情を読み取ったらしく、亭主が更に説明を加えいれる。


「その刀は言ってみれば“対幻想種特化武器”だ。殺人性能はなく、刃もほとんどついていない。だから遠慮なく、静をぶった斬ってくれ」

「……わかりました」

「私ではどうすることも出来なかった。いつから変わってしまったかも、気づけなかった。絶対にどこかで助けを求めていたはずなのに」


 悲しげに、そう口にする亭主の言葉に俺は違和感を覚えた。


「助け……? あぁ、そうか。そういうことか」


 そして、その事実に辿り着いた瞬間、衝撃が全身を駆け巡る。


「……何とも、壮大な救難信号S O Sだな」


 遠大かつ、捻くれたそれに思わず笑ってしまった。


「今、この場に僕と果琳がいる時点で、静さんの助けは通じてますよ」

「それは、どういうことだ……?」

「夕鳴さんが言っていたじゃないですか、依頼主は静さんだって。もし本当に百鬼夜行を引き起こすだけなら、俺らを呼ぶ意味がない。それなのに俺と果琳はここに呼ばれた。それはつまり−−−−」

「あの子が、心のどこかでは助けを求めていた、と?」


 俺はゆっくりと頷き、東の空を見る。


「言い方は悪いですが、薬物中毒者が警察に捕まって安堵あんどするのと似たようなものだと思います。やめたくてもやめられない。自分ではどうすることも出来ず、考えた末に辿り着いたのが、俺と果琳だった。……相当調べたんだと思います。でなきゃ俺たちが依頼を受けている事なんか知り得ない」


 そういった意味で言えば、最後の救いであったはずの俺が記憶喪失だったのは、静さんにとって絶望にも等しかったのだろう。

 あの、凄絶な悲哀の笑顔を思い出す。

 苦々しく、自分は魔導を使えないと言った時、俺が記憶を失っていなかったなら、全てを打ち明けてくれていたのだろうか。


 ……分かるはずないな。


 俺は首を振って、淡い幻想ごと打ち払う。

 今、俺がやるべきは静さんの元まで行き、百鬼夜行を止めさせることだ。

 タラレバの妄想をしている暇など無い。

 だから、


「だから、依頼と約束を果たしに行ってきます」

「あぁ……頼んだよ」


 俺は無言のまま頷き、旅館を後にする。

 門の前では希と望、果琳が待ってくれていた。


「悪い、待たせた」

「大丈夫。行こう!」

「ああ、行こう!」


 そして、俺たちは走り出す。

 この狂った夜を、終わらせるために。

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