第三章 狼煙と鬨の声

 立ち並ぶ屋台や出店を時折冷やかしながら歩くこと二十分。

 八坂やさか神社の入り口である荘厳そうごんな朱門の前まで辿り着いたは良いのだが。


「すごい人だねぇ。みんな御神輿おみこし目当てなのかな?」

「それ以外ないだろ。にしても人酔いしそうだなこれ……」


 喧々けんけん囂々ごうごう、人がごった返している。

 予想するまでもなく、午後に行われる祇園ぎおんまつりを目当てに皆やってきているのだろうが、それにしても量が凄い。

 人がゴミのようだと冗談の一つでも言いたくなるが、これほどの量になると冗談でも何でもなく洒落しゃれにならない。


「すまん。ちょっと外れる」

「はいはいりょーかい」


 あまりの人の多さに気分が悪くなった俺は中に入る事なく、道端に逸れた。


「何だってこんなに多いんだ。うちの学院の廊下だって昼休みでもせいぜい三分の一以下だぞ……」

「いくら日本一でも世界遺産には勝てないよ」

「はっ、ほんとだな」


 ため息と愚痴ぐちき、果琳かりんの返答に苦笑する。

 果琳の言った日本一、というのは学院の規模の話だ。

 俺と果琳が通っている魔導学院は日本にあるそれらの中でも、全校生徒数や進学実績など様々な要素でトップを誇っているのだが、存外ちっぽけなものだと思い知らされた。


「ここを回るのは流石に諦めるか……」


 朱門の破風はふを真下から見上げ、俺はひとちる。

 朱門からは絶えず人が吐き出されると同時に、絶え間なく人が飲み込まれていく。

 こう言えば聞こえはいいかも知れないが、実際の出入りの速度は遅々ちちとしている。

 亀か牛かと形容したくなるような進みの遅さなので、中に入れば数時間取られる事は明白だ。

 ただ、八坂神社を回ることを諦めるとなれば、次の行き先を決めていないため、昨日しんさんに渡されたピックアップリストの中から選ぶことになる。


「そしたら伏見ふしみ稲荷いなり行こうよ! すずめの丸焼き!」


 と、俺の独り言を聞いていた果琳が再び伏見稲荷を推してくる。


「あー……うん。どうしようか」


 俺は口ごもりながら、肯定も否定もできない。

 なんせ伏見稲荷はリストにしっかり入っているので、このままだと伏見稲荷へゴーだ。

 静さん何で伏見稲荷入ってるんだよこれじゃリストに無いから後回しとか言い訳出来ないじゃないか、とここにはいないはずの静さんに心の中で文句を言っていると、声がかけられた。


「あれっ? 貴己たかみくんと果琳ちゃんじゃないか」

 何度目かのシチュエーション。

 相変わらずの長閑な声と爽やかな容姿で、静さんがそこにいた。


「こんにちは。旅館だと全然会わないのに街中だとよく会うね」

「こんにちは。ホントですね」


 なんなら俺らのことけてませんか? などと藪蛇やぶへびな事は言わず相槌あいづちのみに留めておく。


「昨日、ちょうど静さんにもらったリストの中から次の行き先を決めようとしてたんです。静さんの方は大学の研究ですか?」


 相槌のみに留めた俺と違い、果琳が上手く会話を広げてくれる。


「研究の方はひと段落着いたんだ。今はただの散歩みたいなものだよ」

「研究はもう終わったんですか?」

「うん。今日の夕方ごろには成果を見せられると思うよ」

「おおー! 楽しみにしてますね!」

「だから二人共、六時半までには旅館に戻ってきて欲しい」

「「わかりました」」


 俺と果琳の声が重なる。

 それを聞いた静さんが笑って、「それじゃあまた」と歩き出すのを俺は呼び止める。


「あの! 静さん!」

「うん? 何かな?」

「静さんには、今も夢がありますか」


 俺がたずねると、静さんはその表情を少し曇らせた。


「……あの子たちに何か言われたんだね」


 俺は無言のまま頷き、「それでも」と続ける。


のぞみのぞむに直接言われたわけじゃなくて、俺自身が考えて静さんと話したいって思ったんです。静さんの研究成果を見せてもらった後でいいので、話せませんか」

「……」


 静さんは何も言わずその場に立ち尽くしていた。

 けれど、不意に小さく息を吐き、


「わかった。待ってるよ」


 と言い、去っていった。


「……貴己」


 静さんの背中を見送りながら、壁に寄りかかった果琳が名前を呼んでくる。


「落ち着いてるって。これはずっと考えて出した答えなんだ」


 実は昨日の生成り騒動の後、床にいてからもずっと思慮しりょしていたことだった。

 いつの間にか寝てしまっていたが、朝に希や望の顔を見た瞬間、すぐさま思い出したくらいには色々と思案を巡らせていた。


「一応きちんと答えも出してあるんだ。一筋縄じゃいかないだろうけど、やれるだけやってみる」

「貴己がそう言うなら私は信じるよ」


 果琳は壁から身体を剥がしながらそう言って、歩き出す。

 が、すぐに振り返って、笑って言った。


「ダメそうな時は言ってね。将棋のお返しくらいするよ」

「……覚えてたのかよ」


 人混みの中、果琳と話しながら歩き出す。


「あれは流石に反省したよ。後悔はしてないけど」

「いやしてくれ。あと、カンパチの分もあるからな」

「それは卵焼きあげたじゃん!」

「等価交換になってないんだっての! ……あ、そういえばさ」

「うん?」


 俺は憤りながら、ふと昨日のある出来事を思い出した。


「果琳ってさ、時間が止まったような感覚におちいったことってあるか?」

「どういうこと?」


 小首を傾げ問い返してくる果琳に、俺は言葉を探りつつ答える。


「なんていうか、集中した時って時間の進みが遅く感じることあるだろ? でも昨日、希を止めようとした時に、そんな比じゃないレベルで時間の進みが遅くなったんだ。遅くなったというか、本当に止まったみたいだった。別に極限まで集中してたわけでもないのに」


 ふむふむと頷きながら俺の話を聞いていた果琳は、


「それクロノスタシスってやつじゃない?」

「くろのすたしす? なんだそれ」


 俺が聞いたことのない単語を口にした。


「なんだっけな。なんたら運動のなんたら。サッカーみたいな名前だった気がする」

「いや意味がわからないが……」


 「ちょっと待ってね」と言って、果琳はスマホを取り出し、検索機能を用いて何事かを検索し「ああこれこれ」と俺にスマホを手渡してくる。


「ええと……“眼球がサッカード運動と呼ばれる速い眼球運動をした際、その直後に目にした最初の映像が長く続いて見える錯覚さっかくである”……これがクロノスタシス?」


「うん。それが起こったんじゃないかなって。あとはのぞのぞ姉弟ブラザーズの魔法を受けたって可能性もあるね。もしかしたら消滅してたかもだから、危なかったね〜」


 あはは、と果琳が他人事ひとごとのように笑うが、俺にとっては笑い事じゃない。

 というのも、白と黒の魔法は印象に違わず、互いが互いを打ち消し合うような反属性の関係にある。

 通常、一つの物体に白と黒の魔法を同時にかけても消滅する事は無い。

 だが、込められた魔力量が多かったり、あまりに多くの魔法をかけられると事象飽和を引き起こして消滅することがある。

 俺は確かに希の魔法は受けていたから、望の魔法を受けずに済んだか受けても運よく消えなかったという事だ。


「理由はよくわからないけど、今こうして歩けてるんだからいいんじゃない?」

「うーん……まぁそういう事にしておこう」


 何も腑に落ちていないが、いくら悩んだって答えは出そうに無い。

 俺は一度考えることをやめ、純粋に寺社仏閣巡りをする事にした。


 ……すずめの丸焼き、見たくねぇなぁ。


 そんな事を思いながら。



 結局、旅館に戻ってくる頃には六時半ギリギリだった。

 帰り道ではすでに祇園祭は始まっており、遠くから人の喧騒けんそうと共に「コンチキチン」と独特な音が聞こえてくる。


「美味しかったなぁ……貴己も食べればよかったのに」

「いや……想像以上に見た目がアレだった」


 また旅館までの街路樹のアーチの下を歩きながら、俺と果琳はくだんの、すずめの丸焼きについて話していた。


「貴己が食べないなら二羽食べたかったのに」

「俺に免じてどうかそれは勘弁して欲しい」


 言いながら、俺は下げた頭の上でパンと手を合わせる。

 別段何をどう調理しようが、それを誰が食べようが何も言うつもりはない。

 すずめが可哀想だ、などと言う訳でもない。

 ただ単純に俺自身が、姿焼きを苦手としているだけだ。


「貴己って丸ごとダメだよね。おせちの海老えびとかもダメでしょ?」

「ダメだな……最近だとたいの姿造りとか焼いてないのも見ただけでダメになる」


 恐らく理由としては果琳が幻想種を討ち倒す際、丸焼きにすることが多いせいだろう。

 が、当の本人はそんな事には微塵みじんも気づいていない。


「見た目で判断するなんて良くないよ。そんな子に育てた覚えはありません!」

「まず育てられた覚えもないんですが……」


 なんだか会話する気力まで消えてきたぞ。

 アレだけで精神力と呼ぶべきものがごっそりと削られた気がする。

 重い足取りになりながら、それでもなんとか旅館の自室に戻ると、部屋の隅に畳まれたままの布団へ倒れ込む。


「いや、疲れた……」


 人酔いもしたし、すずめの丸焼きに精神を持っていかれたせいで、やる気が全く起こらない。

 しばらくそのままでいると、


「ドーン!」


 と突然、果琳が俺の上にダイブしてきた。

 女の子が自分の上に乗っかってくるというのは、通常なら喜ぶべき事なのだろう。

 だが、


「ぅおっっふ! おっも!」


 ……あ、やっべ。


 思わず口走ってから後悔するが、後の祭り。


「んなぁーっ!?」

「だって果琳めっちゃ筋肉質じゃんか重いのは当たり前だろ! 脂肪より筋肉の方が重いんだぞ!」


 俺は必死に言い訳をまくし立てるが、髪と同じくらい真っ赤に染まった顔と耳では聞いてくれそうにない。


「それ私が脳筋ゴリラって言ってるようなもんじゃん!」

「いや脳筋では無いと思うけどゴリ……いや逆か。あれどっちだ?」

「よーし歯ぁ食いしばれ〜!」

「ちょっと待て待て待て! 目が光ってるから! 落ち着け、な!?」


 握り拳を固める果琳の瞳は、魔法行使の際に赤と緑に光る異色瞳オッドアイへ変じていた。

 つまり本気マジである。

 胸ぐらを掴まれた俺が覚悟を決して目をつむった瞬間だった。


「きゃあああああああああ!?」

「「!?」」


 女性の甲高い叫び声が聞こえた。

 近い。

 声の届き方からして恐らく外に通じている、旅館の中庭がある辺りだろう。

 

「果琳!」

「行こう!」


 俺と果琳はそれまでの一切の流れを断ち切って立ち上がり、声のした方へ駆ける。

 そして中庭の見える廊下へ辿り着いた俺は、


「…………な」


 言葉を失った。


「…………え?」


 果琳も全く同じらしく呆然と目の前の光景を見つめている。

 そこには、藤の着物を着た一人の女性が肩から血を流して倒れていた。

 女将おかみだ。

 かなり広範囲に血が見えるが、服を伝っただけで出血量はさほどでは無い。

 恐らく、のだろう。

 かたわらに立つのは、すらりと背が高く、刀を持った左腕の銀時計と袖を血で濡らしている人。


「…………静、さん?」


 俺の口からこぼれ出た言葉に、その人が振り返った。

 銀縁の眼鏡にまでついた血の赤が、どうしようもないほど目に焼き付く。


「こんばんは、貴己くん、果琳ちゃん。遅かったね。今から研究成果を見せる所なんだ」


 言って、中御門なかみかどしんは静かにわらった。

 遠く、どこかで爆発音が響く。

 視界の端で煙がもうもうと黒い柱を立てるのがわかった。

 次いで、人々の叫び声が聞こえ始める。

 嚆矢こうし濫觴らんしょう

 それは、これから始まる激甚げきじん事変じへん狼煙のろしに過ぎなかった。

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