第二章 認知

 振り向いた先にいたのは、うつむき、幽鬼の様に揺らめくのぞみの姿だった。


「……ぁ、ぅあ」


 けれど、様子がおかしい。


「……希?」

「……ぁぁぁ」


 希の顔を見た瞬間、俺は息をんだ。

 今や彼女の瞳はあやしく凶々まがまがしい赫光かくこうを放ち、左のひたいからは異形の角が生えている。

 それは、怪異としておよそ最悪に近いもの。


「っ!? 生成なまなり!?」

「アアアアアアアアアッッッ!」


 希が叫び声を上げながら腕を振るってきた。

 咄嗟とっさ、俺は身を引いて距離を取るが、獣のような俊敏しゅんびんさで希は迫り来る。


「やばっ……!?」

貴己たかみさん!」


 のぞむの黒影によって後方へ引っ張られ、間一髪の危機を逃れた。

 同時、それらは希の元へと殺到さっとうしていく。


「わ、悪い!」

「いいえ、ですが……」


 望が視線を向ける先、希は己を縛り上げる影をまるで切り紙の様に容易たやす千切ちぎる。

 あの黒影に触れても何も起こらぬどころか、造作も無く振り切っている様を見るに、白の魔法で打ち消しているのだろう。


「生成りになっても魔法使えるのかよ、流石だな」


 せいぜい、弱気にならない様に軽口を叩いてみるが、状況が好転する事など無い。


「どうして……何で希が!」


 望が叫ぶが、獣の様にうなり、たけり狂っている希には届いていないだろう。


「やるしかないか……!」


 正直、何もかもが不明な状況下では使いたくないが、そんな事を言っている時ではない。

 下手をすれば、こちらがやられる。

 更には、


果琳かりんが来る前に何とかしなきゃならない……!」


 あと何分猶予ゆうよがあるか分からないが、遅くても十分以内には確実に異変に気づくだろう。

 幻想種には微塵みじん慈悲じひも持ち合わせていない果琳なら、たとえ希であろうと容赦無く灰に変えてしまう。

 だから、俺は半ばすがる思いで望にたずねる。


「望! 希を無力化させる方法はあるか!?」

「あ、ありますけど……」

「時間なら俺が稼ぐ! 頼む、果琳が来る前に! 希を死なせたくないんだ!」


 縞瑪瑙オニキスが如き極黒の瞳を見つめる。

 けぶる睫毛まつげが小刻みに震えているのが、何故だがひどく印象的だった。


「……わかりました」


 時間にすれば一秒も無かったであろうそれは、けれど気持ちは伝わって。

 直後、望は一歩後退し、その場に座り込む。


「二十秒の間、僕の命を貴己さんに預けます」


 半跏趺坐はんかふざで目を閉じ、まじないを唱え始めた。


「二十秒だな。……余裕!」


 俺は己を鼓舞こぶし、不敵な笑みを貼り付け、希と対峙たいじする。

 たった二十秒、されど二十秒の防衛戦。

 守護対象を背に、一歩も引くことは許されない。

 相手は、生成りと化した白の魔法使い。

 彼女はことごとくの黒影を払い切るとこちらを見据みすえ、仕掛けて来る。


「アアアアアアアアアッッ!」

「……来い!」


 叫び、俺は『 』から木刀を取り寄せ、握った。

 



          □ □ □





 Interlude


 それは形無あらなし貴己たかみにとって、最も奇妙で鮮明な出来事だった。

 そして、それは最大の布石だった。


「ガアアアアアアッッ!」


 そら恐ろしいまでに見事な弧を描き、苛烈かれつ極まる回し蹴りが貴己へ振るわれる。

 ブオン、と空が唸る程に剛速のそれは、昨日の手合わせの時より明らかに膂力りょりょくが増している。


「ぐっ!」


 咄嗟に防御ガードした左腕がきしむ。

 衝撃を抑え切れず、負荷ダメージが身体にまで伝わる。


「だぁっ!」


 けれどまたたき一つの内に振るったはずの一刀を、希はいとも容易く回避する。

 今ので打ち合いは四合目。

 対峙してから十秒。

 貴己は望を守るため、全力で食い下がっていた。

 貴己の背後にいる望は禅を組み、九字を唱え、印を組んでいく。


てんげんぎょうたいしん……」


 それは陰陽道にいて、呪力を持つとされる九つの漢字。

 それら一つ一つに外魔力マナを込め、呪を編み上げていく。

 途轍とてつもない練度の魔力は、望の周囲から影となって湧き上がる。

 陽炎かげろうごとく、彼女を覆うは黒の紗幕しゃまく

 視覚化されるにまで至った高密度の外魔力は、必然希の目に映り、異変として認知された。


「アアアアアアッ!」


 ともすれば、獲物へ喰らいつかんとする餓狼がろうが如く、のぞむ目掛け一直線に突喊とっかんする希。

 貴己が立ち塞がり、行く手を阻むが、半鬼と化している希の、白魔法を幾重いくえにもかけた突進は尋常では無い。

 見た目からは及びもつかない破壊力を秘めたそれは、貴己の身体に等しく衝撃を与え、木刀もろとも望の後方へと吹き飛ばす。

 蹴鞠けまりのように跳ねて飛ばされる貴己。

 それでも意識はあった。

 それは怪我の功名、不幸中の幸い。

 白魔法が希の暴走状態により、貴己の耐性を超えて作用したのだ。

 宙にいる貴己には、世界が揺蕩たゆたっている様に感じられる。


 ……二度目なら、動ける! 動いてやる!


 二度地面を跳ねたところで、三度目は意地と気合いで踏んじばり、体勢を立て直す。

 顔を上げ、前を見据えた貴己と希の彼我ひがの距離、およそ六メートル。


ぺん……じん……つう…………りき……!」


 望は今に呪を編みあげようとしている。

 そして、希が走り出したのと、貴己が走り出したのは同時だった。

 互いの距離が一瞬にして詰まっていき、三メートルを切った時、望が目を見開く。

 立ち上がり、封魔の呪を叫ぼうとした望の目の前には、貴己がいた。

 丁度、希と望の間に立つような形となって、割り込んだ瞬間だった。

 

 ……なんだ、これ。


 繰り返すが、貴己は、希と望の間に立っていた。

 割り込んだ瞬間の、たいが崩れた様な体勢では無い。

 確かに二足を地につけていた。

 そして、それをはっきりと認識している。

 希の白魔法を受けたときに似ているが、断じて違うと言い切れる。

 久遠くおんにも思えて、けれど刹那せつなと分かるこの感覚。

 厳格にはそうでは無いが。

 ていに言えば、そう。

 

 ……


 そうと認識した瞬間、貴己はほぼ無意識に動いていた。

 望へと伸ばされた希の右腕を引き、重心を前方へと傾ける。

 前方へと傾けつつ、その左腰に手を当て、左へ。

 更に右足で希の足を逆方向へ払ったなら、


「ガッ! アアアアアアッ!」


 斜め右へ、まるでともえげを決められた様な形で飛ばされるが、貴己がその右腕を掴み離さない。

 ひっくり返った所に全体重と膂力で荷重を掛け、背中から押さえ付ける。


「ぬっ、ぐふっ! ぐがっ! 望、早く!」


 けれどやはり生成りと化している以上、完全に押さえつけることは難しい。

 顔の側面や腹部に激しい肘鉄を食らいながら、貴己は望へ叫ぶ。

 何が起こったのかわからず、半ば呆然ぼうぜんとしていた望だったが、すぐに気を取り直し、希の額へと触れた。


中御門なかみかどのぞみなんじ真名まなもってその魔をはらえよ! 退転封魔、急々きゅうきゅう如律令にょりつりょう!」


 望が叫ぶと、黒の紗幕が希を覆った。

 それと同時に望と貴己は退すさり、希の様子をうかがう。

 だが、数秒の後、紗幕が晴れても一向に変化は訪れない。

 再び幽鬼のように、ゆらりと立ち上がった希は未だ敵意を放ち続けていた。


「な……なんで!? 何で効かないの!?」


 望が悲痛な声を上げるが、それは何の一助にもなりはしない。


「っ……!」


 再びの打ち合いになると見て、貴己が木刀の在処ありかを目で追った時だった。


「「!?」」


 操り人形マリオネットの糸が切れた様に、突如とつじょとして希がその場にくずおれた。


「希っ!」


 即座に望が駆け寄り、抱き上げて様子を見れば、きちんと息はある。

 ただ意識を失っただけの様だった。

 否、それだけでは無い。

 先ほどまで烱々けいけいと光っていた妖赤の瞳と、左の額に生えていた大仰な角は見る影も無くなっていた。


「魔法が遅れて効いた、って訳じゃなさそうだな……」

「はい。そんな遅効性ちこうせいのものとかじゃありません。これは恐らく−−−−」


 望が何かを告げようとした時、修練場の扉が激しく開かれた。


「「っ!?」」


 貴己と望は振り向きざま臨戦体勢に入る。

 どん、と限界まで開けた引き戸に寄りかかっていたのは、


「はぁっ、はぁっ……」


 肩を上下させ、息も絶え絶えな状態の果琳だった。

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